自分ジャーナル.2023.12.07

中学生か高校生の頃、自分は鬱病なんではないか?と思い始めるようになっていた。
その前から自分の悩みや気持ちは周りの人とは違うと感じていた。
学校の教育実習か何かで精神科の先生の所に行く機会があり、その際に診察に訪れる人の症状などを聞くうちに、あ、自分でもそうしたとこある。と強く思ったのを覚えている。

その際に鬱病の症状がどんな内容で話されていたのか詳細は覚えていない。が、確か同じことを堂々巡りで考え続けてしまい常にもがいていることと、完璧を求めてついつい頑張りすぎてしまっているということは症状として挙げられていた。またそうした人は日ごろから常に精いっぱい頑張っているので、頑張ってと声をかけてあげても、これ以上に何を頑張ればよいのかわからなくなり、余計苦しむと精神科の先生は話していた。

その時に自分もそうであると感じた。毎日何を求めればよいかわからず同じ考えを堂々巡りで考え続けている。何を考えたいのかも何を考えればいいのかもわからない中同じことを堂々巡りで考えてしまう。考えすぎて周りのことに手がつかない、日常にも支障をきたす。そうしたことがよくある。

小学生や中学生のころはそのことで頭を堂々巡りさせても時間があったからよかったが、今ではそれによりやらないといけないことを先延ばしにしたり言い訳を考えたり、目の前のやらないといけないことから遠ざかっている。
まるでダメ人間。

また大学生の頃から感じ始めたのは、自分は躁うつ病かもしれないということ。時にはとても前向きにがつがつ物事を前に進めることができる。しかし、ほかの時には頭の中で同じネガティブな感情が堂々巡りし、何も手につかなくなる。前者がそう状態、後者がうつ状態であれば、ある程度自分の特徴はこれに当てはまると思う。また厄介なことに、このネガティブな感情について言葉にしようとしてもできない。なんか気分が晴れないという状態が何日か続いた後本当にほかのことに手がつかなくなるという状態になる。

最近ではそうしたうつ状態に入りやすくなっていることも気が付いている。仕事が忙しくなったタイミングや納得がいかないことについて頭が埋められてしまい前に進むことができない。

中学とか小学生の時とか鬱みたいな気持ちが生まれる前の自分を思い出すと、あの子と遊ぶためにこんな情報集めたから明日教えてあげよ、とワクワクしていたり、みんなと遊ぶために頑張ろう、だったり自分の理想に向けてこんなことしたら近づけるかもと考えたりと前向きな気持ちにあふれていた。

しかし、今はあまりそうした人とのつながりのために何かを考えたり、理想の自分などを考えることが少なくなっている。考えないといけないことが多いのか何を考えたいのか理想の自分がないのか、原因がわからないが、人のために自分のために何かを考えるということがなくなっている。目の前の仕事を実施したり、それ以外の時間はYoutubeを見て時間をつぶしたりなど生産的と言えない日常を送っている

この何とも言えないもやもや。これが言葉にできずずっと悩んでいるし、すっきりしない。忘れられるほどの日々もあるが気が付くとこのもやもやにむしばまれる。時間の使い方が下手なのか、人付き合いが下手なのか、何かがあっていないのだと思うが、それが何かわからないしどこをどう変えるのがよいのかもわからない時がある。

一瞬光が見えてもまた闇に落ちていく感覚である。
自分はどこに行きたいのだろうか。


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