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研修56日目

▲Bien Cuit
"baguette"(バゲット)を買うときは"bien cuit"(よく焼けた)と言うことで、焼き加減が異なる中から焼き色の強いものを選んでもらえます。
ルームメイトの好みはその反対の"pas trop cuit"(焼けすぎていない)です。

さて個人主義という言葉を、他人から独立して自分を主張する傾向と捉えれば、フランスに来てその傾向の強さを日本にいたとき以上に感じずにはいられません。

23日、この日も研修先での調理中、見習いの少女から頻繁に指摘を受けます。
「こうした方が○○だから良い。」
調理場に限らずこちらで受ける指摘は、慣習的にこうなんだ、といったものはなく、自分の考える理由を必ず付け加えるところが特徴的です。"sinon..."(でないと~)と続けるのも典型的です。

周囲でこうしたやりとりがあると、議論が勃発します。
「私はこう思うからこうしているの。」「だとしたら~」といったように。
そこには指摘したことが間違った情報だったらどうしよう、といった恐れはなく、違うとしたらどこなんだと聞き返さんばかりの屈強な精神を感じます。
議論の帰結は、指摘された人が"t'as raison"(君が正しい)と言って受け入れるか、指摘した人が"comme tu veux"(好きなようにして)と言って指摘された人の判断に任せるか、のいずれかが多いように思います。

私が指摘を受ける場合、議論なしに受け入れることが大半です。
目の前には言葉の問題、立場の問題、(あと体力の問題)といったものもありますが、根本的な理由としては、問答無用に決まった手続きというものがあるとは思えないからです。
この日の例で言うと、マイクロプレインというレモンの皮おろし器というものがあり、おろし方には皮おろし器を固定してレモンを動かす方法と、レモンを固定して皮おろし器を動かして削る方法とがあるとします。
前者は削ったそばから皮を容器に落とすことができて早い、という見方があります。後者は削った箇所を目で確認しながら削ることができる、という見方があります。どちらにも利点があり、削る果物の大きさや形状、皮の状態などによって採用する方法は異なるかもしれません。
だからこそ、この文脈では確かに一理あると考えて、一度はそのやり方を受け入れます。理想とする学習は、原則と例外を抑え、文脈に応じて判断することです。指摘を受けることは、特定の文脈ではその手もありかもしれない、という示唆を得ることでもあり、良い機会だと思います。

さて、指摘が誤った認識に基づいていてそれが調理に不具合を及ぼした時、その反応は意外なほどに正直です。
「私がこうすべきだと言ったからこうなりました」と。
個人主義が自分を主張することだとしたとき、彼らは主張に伴う行動と結果にも責任を自覚しているのだと感じさせられます。

■指摘されたこと(6月23日)
・"mangue"のこと:調理
・"chemise"のこと:フランス語
・"vitamix"のこと:フランス語

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