宇沢弘文「社会的共通資本」

時たまの読書記録。宇沢弘文「社会的共通資本」岩波新書(2000年)より。

本書を初めて手に取ったのは大学生のときです。
前回の読書記録で書いたように、農地が転用される実態を目の当たりにしたとき、土地所有のあり方の点で参考になるから、という理由で先生に薦められたものです。本書で言うところの希少資源の私有制に関わるもので、フィデュシアリーに基づく管理という社会的共通資本の特徴につながる論点です。

本書の問題意識は経済学の基本に立ち返り、人間の基本的権利が満たされた、ゆたかな社会を目指すものです。
私にとってその問題意識は読み返すほどに深く共有され、一方で読み返すつど新たな示唆を受ける本です。その考えを実践して何かしら形にしてみたいという思いは、今となって人生の大きなテーマの一つです。

宮本憲一氏の「環境経済学 新版」では、資本主義などの経済的な主義を容器と表現しています。人間社会の基礎条件をなす中身は容器に決定され、あるいは中身が容器を変えようとするので、資本主義の法則だけで中身を解明することはできないと言います。
本書は農業や医療、教育、環境といったものに対し、本質的な意味で向き合う機会を与えてくれるように思います。

以下が各章の自分なりの要約です。

序章

 ゆたかな社会を実現する経済体制は、社会的共通資本を中心とした制度主義に特徴づけられる。社会的共通資本とは、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、優れた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置である。

1章 社会的共通資本

 資本主義か社会主義か、という問題意識を超えた経済体制のあり方に答えてヴェブレンの制度主義が基本的性格をあらわす。制度主義は民主主義的なプロセスをつうじて経済的、政治的諸条件が交錯するなかから最適な経済制度を考察する。制度主義では希少資源を社会的共通資本(自然環境、社会的インフラストラクチャー、制度資本)と私的資本とに分類し、社会的共通資本は社会の共通の資産としてフィデュシアリ―の原則にもとづき、職業的専門家の職業的規律によって管理、運営される。そこから生まれるサービスは市民の基本的権利を満たすように分配される。
 資本主義の制度的特徴は、市場を通じた資源配分と所得分配にある。その前提は希少資源の私有制である。市場均衡は経済主体の合理的行動と価格機構のメカニズムで実現する。
 新古典派理論は自由権の思想を基礎に、市場経済制度のもとでの資源配分を分析し、①希少資源の私有制②生産要素のマリアビリティ③暗黙裡に想定された所得分配の公正性を前提とする。1930年代の大恐慌ではケインズ経済学が新たなパラダイムを提供した。ケインズ経済学は生存権の思想を基礎に長期間の経済成長を実現するための政策手段を論じ、新古典派理論における資源配分のマリアビリティと市場均衡の安定性を否定した。第二次世界大戦後の安定的な経済成長は生活権の思想をもたらした。ロビンソンが分配の公正、貧困の解消のための新しい理論的枠組みの必要性を説くも、1970年代から80年代の経済学は新古典派経済学を極端に展開した反ケインズ経済学を辿った。これは市場機構の正当性を強調し、理論の非現実性、政策の反社会性をもつ。社会的共通資本はこうした歴史の捻転を是正することに端を発する。

2章 農村

 農業は人々の生存に関わり、自然環境を保全し、労働力と人格的主体との同一性を維持することで社会を安定化させる。1961年農業基本法は工業部門の効率性基準を農業に適用した。農業基本法は高度経済成長期に市場経済的な論理のもとで効果的に機能した一方で、農業と工業とが相対的に乖離した。
農業の考察に必要なことは、農の営みを総体としてとらえることである。農村の規模を社会的合意に基づいて決めた最適水準に維持し、コモンズとしての農村を主体的単位としてとらえることで、工業部門と対等な立場で市場経済的な競争を行うことができる。
 ハーディンは論文「共有地の悲劇」で、共有地が必然的に過剰利用され、再生能力を失って崩壊せざるをえないという命題を打ち出した。新古典派によれば共有地の悲劇は、希少資源の私有制が欠如しているために起こる。しかし現実に機能してきた共有地に私有制か国家統制かの二者択一的アプローチはできない。
 本来、コモンズはある特定コミュニティにとって、重要な希少資源や場所を限定し、特定の利用規約を決める。伝統的なコモンズは特定の制度的条件で歴史的に複雑な内容をもち、フィデュシアリーにもとづいて管理される。三里塚農社構想は分権的市場経済制度の枠組みで機能する経営主体をもち、意思決定が民主主義的に行われることを前提とした、日本の基本法農政の転換を具現化しようとするものである。

3章 都市

 近代的都市計画の理念はコルビュジエの「輝ける都市」を昇華点とする。「輝ける都市」は都市を一つの芸術作品とみる。自動車と高層建築が望ましい誘因を与え、高度成長期以降の日本の都市計画のあり方に影響を与えた。しかし輝ける都市で人間は主体性を失った存在でしかない。近代的都市の理念を超えた都市のあり方を模索する最適都市の概念が提起される。
 日本の経済社会は自動車の光の側面にだけ注目し、国民経済全体の計画、国土の利用計画を策定、実行してきた。自動車の普及が社会の進歩と考えられ、自動車の社会的費用を内部化する配慮がなされなかった。
 ジェイコブスは1930~50年代に「死んで」しまったアメリカの都市の「再生」のための四大条件、①街路はせまく、曲がり、一ブロックは短く②再開発に際し、古い建物を残す③ゾーニングと対照的に、複数の機能をもつこと④十分に高い人口密度、を帰納的に導いた。自動車を中心としたコルビュジエの近代的都市理念を否定し、新しい都市理念のあり方を示唆している。

4章 教育

 教育はあらゆる人間的活動について、進歩と発展を可能にしてきた。学校教育は教育の理念を実現する手段として重要な機能を果たす。子どもは本有的に言語と数学のインネイトな理解力をもち、これを乱暴に扱えば社会が文化的、社会的、人間的に殺伐な、俗悪なものとなる。
 デューイによれば学校教育制度は三つの機能、①社会的統合(社会が必要とする役割を果たす人間的成長を可能にするもの)②平等主義(必然的に生まれる不平等を是正するもの)③人格的発達(精神的、道徳的な発達をうながすもの)を果たす。リベラリズムの立場では、資本主義で三機能が整合的に働くと考えた。ヴェトナム戦争を契機とするアメリカ社会の混乱は、学校教育制度の矛盾を反映した。デューイの理想主義の修正として、能力主義による学校教育が労働の生産性に及ぼす効果が重視されたが、ボウルズ、ギンタスは、法人資本主義体制での学校制度は非民主的、抑制的な性向をつよめると主張した。抑圧と不平等の根源は教育制度でなく、資本主義経済の構造と機能のなかにある。
 ヴェブレンは大学に論点を向ける。大学は本能的性向(自由な知識欲、職人気質)で知識を求める場として存在理由がある。資本主義の至上目的に晒される中で、大学が外部に圧力に対し、いかに自由を守るかが重要な課題となる。

5章 医療

 医療は市民の健康を維持し、疾病・障害からの自由を図るためのサービスを提供する。医療を考える基本的な視点は、経済を医療に合わせることである。
 日本の医療制度の矛盾は医療的最適性と経営的最適性の乖離である。保険点数制度にもとづく診療報酬制度は技術料に相当するものが低く評価され、また医師の個別の技術水準が無視される。
 社会的共通資本としての医療の基本的条件は、望ましい診療行為に必要な費用が医療機関の収入に一致することである。職業専門家の所得は社会的にふさわしい水準に定められ、診療行為に対する社会的な点検がなされることを前提とする。動学的にも希少資源の投下や職業倫理の維持には社会的なコンセンサスを必要とする。医学的最適性と経済的最適性とが一致するためには、社会的な補填が伴う。

6章 金融

 金融という諸要素が複雑に交錯する社会的共通資本では、職業的規範の定義や制度条件を整備しつつ、国際的な広がりの中で経済的安定性を確保することは困難である。
 20世紀末のアメリカの金融危機は1930年代の大恐慌と軌を一にする。1933年銀行法は金融制度の改革を目的に制定され、恐慌を引き起こした原因を銀行の反社会的、非倫理的行動にあるとした。その後のニューディール政策の背後にあった制度学派の考えに反し、経済学は反ケインズ経済学の道を辿る。マネタリズムの考えに合理的期待形成仮説を理論的根拠とした反ケインズ経済学の政策的結論は、市場機構が円滑に機能するために規制を撤廃することである。1971年のハント委員会報告は、規制や監督は必然的にサービスの質の低下を招くという前提で議論を進め、自由で競争的な金融制度への改革を求めた。1970年代の変動為替相場制の導入、金融制度の規制緩和ないし撤廃などの変革を起因として20世紀末の金融危機が生じた。
 日本では住専問題が特徴的な性格をあらわす。護送船団方式による金融的節度と社会的倫理観の欠如、職業的能力の低下が現れた、金融制度の陳腐化の象徴である。
 社会的共通資本としての金融制度は、その管理、運営を官僚的あるいは市場的基準によっておこなわれるものではない。フィデュシアリーにもとづいて職業的専門家によって職業的規範にしたがうものである。

7章 地球環境

 自然環境は複数の構成要素が関連した一つの全体としてとらえられる。自然環境の再生産のプロセスは生物学的な要因で規定されるもので、機械論的な関係を想定することはできない。
 自然環境の考察は経済学の枠組みを超えた、文化のとらえかたに関連する。ハイデンライヒ、ホールマンによれば、①伝統的社会にとっての文化は、自然、宗教、文化を一つの総体としてとらえ、②近代社会にとっての文化は、知的ならびに芸術的な活動に限定される。人の移動が自由になると、文化、宗教、環境が乖離し、伝統社会がもつ知識が否定された。自然が手段化すると、経済学は普遍的な思想として、産業革命の実現に寄与した。
 環境問題と経済の関係の本質的変化は①1972年ストックホルム環境会議における公害問題の国際性、②1992年リオデジャネイロ環境会議における環境問題の規模と将来世代への影響に象徴される。リオ会議で与えられた持続可能な経済発展の概念を実現する経済理論が重要な問題となる。炭素税の制度は、実行可能な唯一の大気安定化政策である。1991年、スウェーデンは世界で初めて炭素税を導入した。議員の数に比例する税制改革委員会が、市民らによる専門委員会が作成した税制改革一般の原案に議論を重ねて改革案として国会に提出し、承認されたものである。スウェーデン国会では民主的な手続きをとったリベラリズムが実現されている。

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