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届いていた。ただそれだけだった。

私の音楽。それは、当時一番届いて欲しい人には、
ちゃんと届いていた。数年越しで。

過去記事からの気づき。

もうこの時点で、私は願望を達成してしまった。
つまり、「私の【根本の願い】が叶っている」
ということ。

「音楽を通じてみんなを笑顔にしたい」だとか、
「私の音楽で、救われる人がいるから、
その人たちに音楽を届けたい」とか、
【自分の音楽を広めていきたい理由】や
【音楽に対する思い】を一生懸命
ひねり出したところで、
そういうことは、突き詰めていけば
「建前」であったということ。

私は、ただただ、自分から離れていった人たちに、
私のことを【わかってもらえれば】
それで良かった。

当時の私は、何よりも、
【自分が理解して欲しい人】からの【共感的理解】を
欲しがっていたのだとわかる。
そう思うと、少し切なかった。
それほど、【自分をわかってもらいたかった】し、
【受け止めてもらいたかった】。
裏を返せば、それくらい、子供の頃からずーっと、
【共感してもらえなかった】
【わかってもらえなかった】
【受け止めてもらえなかった】
ということ。

私は、実家の家族の中では、
誰よりも異端児だった。
昔からの伝統や、形骸化したしきたりは
もうやめて、新しいものを取り入れて
臨機応変に対応していきたかったり、
ほんの些細なことでも、自分の考えていることが
ことごとく家族の意向には全く合わなかったため、
そこはなかなか理解されてこなかった。
それどころか、周りは寄ってたかって、
旧態依然の価値観に私を無理矢理
当てはめようとした。
誰も、私を守ってくれたり、
(厳然と存在する古い価値観を今すぐに
変えることは難しいことも踏まえつつ)
気持ちを理解してくれたり、
庇ってくれることはなかった。

家族はいても、精神的にはずっと孤独だったし、
自分が満たされることはないまま、
だんだんと人生を諦めるようになった。
その代わりに、【わかってもらえなかった】
代償を、友人や、好きだった先生に
求めるようになった。
相手が「重い」と感じるくらい、たくさんの【理解】と【共感】が欲しい、と、ただただ訴え続けていた。
それくらい、当時の私は、しんどかったのだ。

でも、私がまずやるべきだったことは、
【わかってもらえない辛さ】を他人に
ぶつけることではなく、【例え家族にわかってもらえないあなただったとしても、私はあなたの味方だよ】
という言葉を求めることでもなく、それを、誰よりも
【自分自身が理解する】ことだった。
【わかってもらえない自分】
=【周りから疎外されているダメな自分】
=【劣っていて、生きていても仕方ない自分】
と切り捨てず、ずっと自分に寄り添うことだった。

友人や、好きな人に言ってほしかった言葉を、
自分自身にかけてあげることだった。
ここまでやっとわかった。

今は、【理解されない私が悪い】とか、
【理解されない自分はダメ】と思うことも
少なくなってきたので、楽に生きられている。
【音楽】を、【自分を認めてもらうためのもの】
という扱いをすることなく、生きていける。

このような気づきを得られるまで心のことを
学び続け、学んだことを腑に落としていける自分を、
誰よりも誇りに思う。










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