10/8/21 スピッツ

今日は針生検の日。

乳房にメスを入れ、太い針を差し入れて乳腺組織を採取し、病理に出してがん細胞の有無を調べる。

3日前、乳がん検診の結果、再検査といわれ、再びマンモグラフィーと超音波を受けた。
その結果、組織を取って調べる処置をと言われたのだが、まさかその日のうちにそこまでの展開になると思っておらず、午前半休しか取っていなかったので、別日に予約を入れてもらったのだ。

やっぱりあの日の流れで終わらせておけば良かったと何度も思った。
こういうのは時間をおいても、悪い想像が膨らむだけでいいことがない。
インターネットでミミズのような挽き肉のような検体の写真をみてクラクラしてしまった。。

自分はバンジーするなら直前に知らせてもらった方が綺麗に飛べるタイプだと思う。

待ち時間のぎりぎりまでは物語の世界に逃げていたいため、学生時代からの友達に、おすすめのノンフィクション作品を教えてもらっていた。
朝、病院にいくまでの間は、落ち着かないながらに、ブックスマートという映画を自宅で試聴。

映画はすごく良かった。
私たちは、こんなに開けっ広げには、話してはこなかった。でも、友も私もこの作品は最高にクールだと思ってる。
それで十分なんだよな。気持ちは、何も違わない。いま住む場所が違うことも、ちょっとしたすれ違いにも、意味なんてなかったんだ。
絆がないわけない。

こうやって私たちを繋ぐために作品はあるのかもしれないと思った。
だとしたら、作品を作るって、やっぱり素晴らしい仕事だな なんて思った。

この数年間、子育てして、フルで働いて、合理主義一辺倒ともいえる生活をしてきた。
とにかく物事を、終わらせる、前に進める、賢く暮らす、貯める、そればかり考えてきた。
本棚にはなんと(あんなに若いときバカにしていた)ビジネス書やスキルアップ系の本が増え続けていた。

それも悪いものではないと今は反省している。7つ習慣などのビジネス書の名著から受けとるエッセンスは、私が仕事をしてなくても活きるものだと思っているし、育児に悩んでいた頃の自分に読ませてやりたいと思うほどuniversalなものだと思う。

ただ、ちょっと行きすぎだった。仕事を早く終わらせて時間を捻出するためとはいえ、能率を重視しすぎて、小説の何が面白かったのかな、若いとき暇だったから色んなことを考えすぎてたかな、とさえ思い始めていた。
心を揺さぶられることがあまりなかった。

今、死ぬときに持っていけるものは、ごくわずかだと、はっきりと感じる。
自分が誰かに遺せるものも。

遺せるのは、誰かの中に生きる絆だけ。
仕事ができたとか、きれいだとか、感じがいいとか、表面的な交流は、すぐに忘れ去られる。  

私は死んだあとも誰かのなかに生きてるだろうか。

検査から帰宅して、
いまこれを書きながら、ようやく私は初めて上手に涙を流せた。
まだ、がんの疑いがあるだけのいまの段階で、悲しいとか辛いとか思うことを、自分に許せていなかったのだ。

でも、まだ結果が出てなくたって、泣いていい。
あの子達の大人になるところを見られない可能性があるってことが、
ショックでないわけないから。

ストレスを減らして、生存率を高めるためにも、
自分にもっともっともっと、優しくなることを今日誓う。
五回も取られて、恐ろしかった、そして、これからまだまだ継続する恐怖によく耐えたね、と
自身の一番の友人として、私に語りかける。

針生検の結果は、3週間後。良性なら放置。悪性なら手術。そして「鑑別困難」なら、やっぱり組織をもっと広範囲にくり取るため手術だそうだ。
施術室を出るとき、胸帯は、また使うかもしれないので、はずれても捨てないでね、と言われた。

お疲れ様私。

今日はブラジャーもシャワーもできないけど、せめてごはんは贅沢してね。
スピッツ聴きながら、ドライブならいけるよ。なつかしい、なんていい曲なんだ、甘酸っぱい、なんていい曲なんだ、なつかしい、、、時にはその無限ループの中に逃げていてもいいよ。

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