「意見を出す」というのは、答えを出すことではなく、考えるきっかけを作ることであり、自分のスタンスを示すこと。

「意見を出す」ことの心理的ハードルが大きくなりやすい時代なんですね、今。

なぜかといえば、おそらくその背景には「論破」と「否定」と「評論」があるからだと思っています。

萎縮しやすい環境が出来上がってるような気になってしまうんですよね。

つまり、「かなり綿密に練られたきちんとしたものを出さないと、潰されて終わる」と、
私たちは身体で覚えさせられているということです。

その結果、意見を出さなければいけないシーンに直面した時、
綿密に練られた唸るような意見を求められていると勘違いして、
そこまでのものがない場合に黙ってしまうわけです。

僕はこれこそが、モノづくりの一番の弊害だと思っています。

話し合いはプレゼンではありません。

意見出しは、きっかけの投げ合いであるべきだと思います。。

そこには高尚な意見も、練りに練られた意見も必要ないわけです。

漠然ときっかけを「投げられるか」「投げられないか」だけが問われているわけです。

・なんか面白いことしたい
・なんでも良いから楽しくやりたい
・熱くなりたい。見る人を熱くしたい。

でもいいんです。
意見出しは、スタンスを示す場でもあります。

何度も言いますが、答えを持ってくる必要なんてないんですね。
というか、答えがあるなら意見出しなんて必要ないんですよ。

クリエイティブな現場というのは、
「きっかけ作り」ができる人間が集まることが重要だと思っています。

「なんか面白いことしたい」に対して、「どうすれば面白くなるかなぁ」とさらに投げかける。

「そもそも面白いってなんだろう」「面白いを洗い出してみよう」

そうやって展開していくことで面白いことは生まれるわけです。
そこで生まれるものは、
おそらく一人で考えた練りに練り上げた意見より、はるかに面白いものになると思います。

高尚な意見は、現場で生み出すもの。
大切なのは、「きっかけを作ること」と「自分のスタンスを示すこと」です。

今やっていることが、現時点でそれができるポテンシャルのある場所と人が集まってきているので、
改めて僕はめちゃくちゃワクワクしてます。

ありがとうございます! 今後ともよろしくお願いします! なんでもひとつ、願いを聞くくらいの気持ちはあります(笑)