頭の良い人が、頭の悪い人を見て『こいつバカだなぁ』って思ってる時、

「頭の良い人が、頭の悪い人を見て『こいつバカだなぁ』って思ってる時、

頭の悪い人も、頭の良い人見て『こいつバカだなぁ』って思ってるんですよ。」

(ドラマ「モザイクジャパン」2014年)

amazon primeを何となく徘徊してて、ちょっと気になって観た作品。
かなり面白かったです。
ざっくりしたストーリーは、町ぐるみでAVを作ってる話なんですけど、
永山絢斗、高橋一生、ハマカワフミエ、宮地真緒などそうそうたる顔ぶれの役者が揃い、
画としても迫力があり、ストーリーも面白いので、気づいたら一気に観てました。

その中で特に印象に残ったセリフがこれです。

これってツイッターでよく見る光景だなぁと。
本来であれば交流するはずのない人と繋がれるツイッター。
そこには、頭の良い人も、頭の悪い人もいます。

人それぞれに正義がある中で、ツイッターはそれらを繋げ、やり取りが行われるので、
どうしても噛み合わない瞬間がでてきます。
その時、お互いに相手を「バカだなぁ」と思う感情が発生する。
ツイッターってそんなシステムの上で成り立ってるんです、残念ながら。

相手のことをバカだと思いながら生活することって、
心が不健康になりやすいんですよね。

ふとツイッターを離れて、たまに戻ってTL見た時にそんなやり取りや、なんなら空リプで諭しちゃってるツイートみると、
なんだか体調が悪くなるような気さえしてくるんですよ。
でも、僕にとってもそこは居場所だから、離れがたかったりして、
檻の心地よさってこういうものなのかなと思ったりします。

つまりは、ツイッターは悪を生み出しやすい、ということ。

まあ、そんな中で、逃げるようにnoteを始めたわけですが、
今のところ、この世界は美しいと思っています。

noteは「善」を生み出しやすい。

と言ってもいいのかなと。

”スキ”を押してくれた人のところに飛んで、記事を読ませて頂くのですが、
「文章を書く」ということに向き合って書かれたものは、
触れると、どれもこれも「心地良い」と思えるんですよね。

だからこそ僕はnoteに可能性を感じるし、
なによりも、今の自分にとって、とてもいい影響を与えてくれるツールなので、
この生活を楽しみたいと思います。

それぞれの場所で、それぞれの正義で、
その場所を楽しむことが大事ですが、
「悪」は育てない方がいいと思います。個人的な意見として。

ありがとうございます! 今後ともよろしくお願いします! なんでもひとつ、願いを聞くくらいの気持ちはあります(笑)