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写真集

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フィルムカメラ(オリンパスOM-1、ペンタックスMX、キヤノンAE-1、コニカSⅢ、ニコンEL)で撮影した写真たち。
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#フイルムカメラ

沈黙と多弁の日常

ファインダーは祝福を印して1/250の瞼を閉じよ。 存在は沈黙と多弁を両立している。 赤色呼応。 蚕繭 アナキズムのために咲く。 不作為の風道の奥行き。 在るということ。 波頭または炎上。 船出の差し止め

日常の範囲で

よい写真を撮るためにどこかへ出かける必要はないと思っている。景色が勝っているだけの写真もつまらないと思う。日常を撮りたいと思う。 植物はときに猥雑に思う。ときに細部に侵犯して再解釈するとも思う。 あまり意識していないが、空ばかり撮っている。空を撮るとすこし凡庸なことをしていると思う。

夏の風景

 柏島へと接続する橋のあたりは現在、海水浴場として有名らしく、観光客で駐車場はごった返していた。  柏島の集落は島東に位置し、地図でみると島面積の6分の1ほどを占めるか。港に面した集落の入口で、正面に出迎える稲荷神社の境内には幾本かのアコウの巨木が広い木陰をつくっている。  アコウは別名締め殺しの木、鳥糞に混じって範囲を広げ、そのうちのどれほどかは別の木の窪みに落ちる。発芽したアコウは地表を目指して気根を伸ばし、やがて根を張るが、こうして成長するうちに着生した木はアコウに包

陰を行く写真記

忘れていくならいけというまま忘れられた景色のうちにこそ私の呼吸が生き返すところがある。役に立つかどうかは眼中になく、そこにあることを見捉える光学レンズの眼差しがあったことの疑えなさこそ信じよう。

開かれ230612

純白を直視するのが難しい。 捨て置かれたもの、鑑賞されるためでない花。得体を知られる機会から抜け落ちていられる幸いと痛苦。 5月は橋村一彦・るみ陶芸展というイベントがあった。わずか2日間の開催だったのが惜しいと思うほどには刺激的な展覧会だった。 陶芸という芸術分野にはこれまで殆ど触れてこなかったが、彫刻として見ることができた。硬質な素材で有機的な柔らかさを、静物でありながら流動性を纏う……このイメージは、私がゴシック系の作家もの球体関節人形に抱いているイメージと重なり合

写真記230529

モノクロフィルムなんていまどきカラーネガをスキャンした画像編集で事足りてしまうと思っていたが、このフィルム入手難によって手にとることになったアクロスⅡにすっかり驚かされている。陰影が強く出るのでカラーと全く別の写真になってしまう。 色なんてもつんじゃなかった。そんな気にさせる。その辺のありふれたものを撮っても、どこか意味深な諧調で鑑賞者に何かを示してしまう。 何が写ったのか、もう分からなくてもいい、という気にさせる。闇に沈んだ部分がわずかな明暗をのぞかせた部分にイマジネー

【写真】街歩き撮り

最近紹介したNIKON NikomatFTNを使用した作品を紹介。あれから新たにズームレンズも購入した。前半の数枚はこれまでELで使用していたレンズ。 陽射しの強い日に極力絞って撮る練習をしている。情報が断片化する仕上がりはボケを使ったものより好みである。 うっかりシャッターを切ると自分の趣向が露呈する。単純なものが反復するもの、朽ちたものあるいは蔓延るものが多くなる。 植物は安易に撮れてそれなりの仕上がりになってくれる。 どうやら最初に目を惹くものを画面上方に配置す

+12

今回のその他写真

【写真】友部正人&矢野絢子のライブへそして高知県立美術館にて

4月16日、高知市は喫茶Spoonにて、友部正人×矢野絢子の2マンライブ「さみしがりの言葉たち」があった。 それは京都のライブハウス磔磔でのこと、友部正人手作りのポテトサラダ付きにまんまと釣られて高知から京都までわざわざ飛んだ日に「高知から来ました」とCDとサインを貰うときに伝えると、「こんど高知でもやるよ」と友部さんの言葉がきっかけだった。 後日、友部正人公式ページを見てみると、矢野絢子と共演するという。これは行かないわけにはいかない、そう思った。 このふたりのアーテ

【写真】異化、CineStill400D

梅田に行ったとき、八百富写真機店にてMARIX100Dと一緒に購入したカラーネガフイルム「CineStill400D」を使用してみた。三月末頃、FUJIFILMはカラーネガフイルムの製造を停止した。 それ以前からフジのみならず35㎜フイルムは店舗入荷も少なく購入本数も制限されていた状況で、年々の価格高騰も続いており、フイルムカメラファンにとっては更なる追い打ちとなっている。いま流通している在庫が消化されたら、しばらくフジカラーネガを目にすることがなくなる。なんとか状況が打開

【写真】ダム湖周遊

よく晴れた一日だった。 昼の時報のメロディを聴きながら、ようやく布団から起き、シャワーを浴びて外に出た。フイルムを入れて二日ほどおいたカメラを持って。モルトの加減が悪くないらしいことは前回の撮影で分かったものの、日をおいてもそうだという自信には欠けたため、少し時間をあけて撮影を再開することにしたのだった。 最近、安めのカラオケボックスができた。これはその帰りに振り返ったら雨と土とによごれたガラス越しにあった景色。 このところ雨が続いたのでカメラを安易に持ち出せなかったが

カメラにモルトを貼った話と結果写真

現在のメイン機NikomatELは中古で手に入れた当初からモルトがなかったため、今回まで入光部(裏蓋の開閉軸)に外から黒いビニールテープを巻いて遮光していた。 いちばん最初に試し撮りしたときにはこんな激しい感光があった。 その後に件のビニールテープで遮光性は得られたが、蓋の開閉のたびに剥がさなければいけなかったし、粘着剤も残ってべたつくようになってくるので、いずれはモルトを貼りたかった。 そうはいっても、モルトプレーンはそこらに売ってはいないし、ネットで購入するのも億劫

街歩き写真

並列するものは美しい。同じものがそのためにむしろ差異ばかり浮かばせてくる。 やっぱり植物は撮りやすい被写体ではある。 あなたたち、とてもかあいいわね。 そこにあって留まっているということに私は強く惹かれるらしい。どこかから来て、何者かの意志でそこあってあり続けている。 徒歩は映画のようにディテールを帯びて演出された現在を立ち上げ、そこの角から現われる景色を用意する。 ドライブイン廃墟にドライブインして、どこからか人影がする。見られている。

公園写真記

花の名前も知らない。 いつもの公園でまたカメラを構える。同じところを撮影していると、自分のカメラの癖に気づいて、つまらない写真ばかり撮っているという気にさせてくれる。どうしたら、異化できるのか。それを考えながら撮影することで、一歩踏み込める領域があるのかも知れない。だからいつもの公園に没頭してみることにしている。 春ですね。この公園でいちばん人の目を惹く桜。花を背景に自撮りしている女性に遭遇する。東南アジア系の方のように見えた。その写真はインスタに上げるんだろうか、それと