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写真集

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フィルムカメラ(オリンパスOM-1、ペンタックスMX、キヤノンAE-1、コニカSⅢ、ニコンEL)で撮影した写真たち。
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#写真

フィルムナンバー0183 露出不足への回帰

林邸ア~ト2024 このごろの適正露出の呪縛から自由に不足するため、コールタールくらいべっとり黒い写真を心掛けた38枚から選出。この一週間くらいに撮影したもの。  林邸ア~ト2024での作品はどれも印象深いものだった。上に掲載した中澤ふくみ作品はすでに大月町小才角はCOSAにて鑑賞したものではあったが、薄暗い近代建築のなかで特に狭いスペースを陣取るによってまったく新しい作品として生じてきた。空間を読むと、私には漫画のコマ割りが参照される。視線の誘導とそこへ入る鑑賞者の肉体が奇

’24.03.01~03の間6葉の写真

日常の範囲で

よい写真を撮るためにどこかへ出かける必要はないと思っている。景色が勝っているだけの写真もつまらないと思う。日常を撮りたいと思う。 植物はときに猥雑に思う。ときに細部に侵犯して再解釈するとも思う。 あまり意識していないが、空ばかり撮っている。空を撮るとすこし凡庸なことをしていると思う。

夏の風景

 柏島へと接続する橋のあたりは現在、海水浴場として有名らしく、観光客で駐車場はごった返していた。  柏島の集落は島東に位置し、地図でみると島面積の6分の1ほどを占めるか。港に面した集落の入口で、正面に出迎える稲荷神社の境内には幾本かのアコウの巨木が広い木陰をつくっている。  アコウは別名締め殺しの木、鳥糞に混じって範囲を広げ、そのうちのどれほどかは別の木の窪みに落ちる。発芽したアコウは地表を目指して気根を伸ばし、やがて根を張るが、こうして成長するうちに着生した木はアコウに包

複眼に憧れて

シュレディンガーの複眼へ 近頃はフイルムの入手が困難になり、モノクロネガばかりを使用する傾向にあるが、行動範囲に唯一の現像できる店舗であるカメラのキタムラでは、C41現像でない現像は工場出荷となり、約1ヶ月を要すことになる現実がカメラ趣味を減衰させている。たしかに、私がフイルムカメラを肯定するときよく言うのが、その場で仕上がりを確認できないことによる仕上がりへの想像性なのだが、そうは言ってもカラーネガの現像に要する時間は長くても1時間程度のもの、3日で36枚を撮影し、その結

開かれ230612

純白を直視するのが難しい。 捨て置かれたもの、鑑賞されるためでない花。得体を知られる機会から抜け落ちていられる幸いと痛苦。 5月は橋村一彦・るみ陶芸展というイベントがあった。わずか2日間の開催だったのが惜しいと思うほどには刺激的な展覧会だった。 陶芸という芸術分野にはこれまで殆ど触れてこなかったが、彫刻として見ることができた。硬質な素材で有機的な柔らかさを、静物でありながら流動性を纏う……このイメージは、私がゴシック系の作家もの球体関節人形に抱いているイメージと重なり合

PROVOKEに憧れ

プロヴォーク、挑発する写真。 どうやったら状況を説明しない写真が撮れるのか。どうやって撮影したお前をくらませるのか。 もう縦だか横だか分からないんだ、もうビフテキなんだ。まつm……中平だかなんだか植田正…なんだか分からないや でも雨だっていいだろう? レンズは気になるけどさ、気になるけど、それだけなんだカメラを持ってようやく雨の煩わしさにも惚れてきたな 天気の好き嫌いなんか言ってられっか、撮ってくれって言ってるんだ撮ってくれって言ってるんだ また次回

【写真】街歩き撮り

最近紹介したNIKON NikomatFTNを使用した作品を紹介。あれから新たにズームレンズも購入した。前半の数枚はこれまでELで使用していたレンズ。 陽射しの強い日に極力絞って撮る練習をしている。情報が断片化する仕上がりはボケを使ったものより好みである。 うっかりシャッターを切ると自分の趣向が露呈する。単純なものが反復するもの、朽ちたものあるいは蔓延るものが多くなる。 植物は安易に撮れてそれなりの仕上がりになってくれる。 どうやら最初に目を惹くものを画面上方に配置す

【写真】モノクローム・モノローグ

艶のある黒。 植物群猥雑な、と言ってもいい。植物の直線的な意志はバタイユの思想の体現だった。 心象スケッチいつもの街歩きから色彩を奪うと異情に滑り込む。 車情ノーファインダ雨日傾斜左に傘を持って片手で撮るなら、カメラを斜めに立てて重心が垂直にした尺骨を伝って落ちる楽な姿勢。 夜に虚就く見出しタイトルは堀骨砕三の漫画から。漫画は閲覧注意。

+12

今回のその他写真

【写真】ダム湖周遊

よく晴れた一日だった。 昼の時報のメロディを聴きながら、ようやく布団から起き、シャワーを浴びて外に出た。フイルムを入れて二日ほどおいたカメラを持って。モルトの加減が悪くないらしいことは前回の撮影で分かったものの、日をおいてもそうだという自信には欠けたため、少し時間をあけて撮影を再開することにしたのだった。 最近、安めのカラオケボックスができた。これはその帰りに振り返ったら雨と土とによごれたガラス越しにあった景色。 このところ雨が続いたのでカメラを安易に持ち出せなかったが

街歩き写真

並列するものは美しい。同じものがそのためにむしろ差異ばかり浮かばせてくる。 やっぱり植物は撮りやすい被写体ではある。 あなたたち、とてもかあいいわね。 そこにあって留まっているということに私は強く惹かれるらしい。どこかから来て、何者かの意志でそこあってあり続けている。 徒歩は映画のようにディテールを帯びて演出された現在を立ち上げ、そこの角から現われる景色を用意する。 ドライブイン廃墟にドライブインして、どこからか人影がする。見られている。

公園写真記

花の名前も知らない。 いつもの公園でまたカメラを構える。同じところを撮影していると、自分のカメラの癖に気づいて、つまらない写真ばかり撮っているという気にさせてくれる。どうしたら、異化できるのか。それを考えながら撮影することで、一歩踏み込める領域があるのかも知れない。だからいつもの公園に没頭してみることにしている。 春ですね。この公園でいちばん人の目を惹く桜。花を背景に自撮りしている女性に遭遇する。東南アジア系の方のように見えた。その写真はインスタに上げるんだろうか、それと

峠の道を撮影

イタドリがすくすくと伸び始めている。 峠の道は現在県道が走っている。今では車で走り抜けるばかりのこの坂道のふくらみに車を停めて、山手のほうを歩いた。名前を知らない花がきれいだったので、それを撮ろうと思ったのだ。 現在の県道は山を開削して道を造成していて、山と谷に挟まれた日照が少なかろう道だ。歩行路の向こうは谷になっていて、光を求めて木々が道路より高く伸びていて、暗くなる時分には少し怖い。 植物はとても素直だ。そこに芽吹いて、そこに導かれて、水が低きを選んで集まるように枝