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#自己紹介をゲームで語る

というタグがあったので、書いてみます。
生まれたのはファミコン発売の前の年(1982年)なんだけど、うちはゲームOKな家じゃなかったのでファミコンには触らず育ちました。
小学校低学年の頃は周りの友達もファミコンというより外でボール遊びとか
ドラゴンボールごっこをして遊んでた記憶w

ゲームを触るようになったのはスーファミからなんだけど、友達の家で
聖剣伝説2を2人でずっとやってたのが最初かなあ。
友達が主人公のランディを操作して、自分はプリムって女の子のキャラで
いまでこそ男のプレイヤーが女の子キャラ使うとか普通だけど、当時のおれは主人公キャラ(男)が使いたかった。武器も聖剣だし。

この後バグりがち

その友達とはゴエモンとかドンキーコングとか協力プレイができるゲームを結構やったな。ゲーム下手なおれをカバーして、ゴエモンだとおんぶしてくれたりしてたw
その友達は途中で転校しちゃったんだけど、なんとスーファミ本体をおれに残してくれて(金持ちだったのもある)引っ越し先も鎌倉だったから
そんな遠くないし(うちは東京)転校してからも付き合いは続いた。

家ではなし崩し的にゲームOKにもなり、母親がいま話題の某宗教にハマって家庭がおかしくなったせいもありおれはよりゲームに没頭するようになっていった。
ドラクエ、FF、ロマサガって主にRPGをやって現実逃避をするようになった。

幸いにして家が比較的裕福だったので破産することもなく、父親はおれに辛い思いをさせてるって思いからかプレステもセガサターンも買ってくれた。
中1の終わりに親は離婚しておれは父親についていくつもりだったが、
母親が不憫になり結局は母についていくことになった。
ゆくあてのなかった母におれは提案をした。小学校時代にスーファミをくれた友達が鎌倉にいるから鎌倉に行きたい。友達の親は鎌倉で料亭をやっていて、幸いにも母はそこで働くことができた。
料亭の奥に板前さんたちが寝泊まりする家があってそこで店が閉まるまで友達とゲームをして待っていた。ゲーマーの板前さんがいて、プレステのリッジレーサーとかネオジオCDでキングオブファイターズをよくやっていた。
その人も実家が料亭で、いまは修行でうちの店に来ていたんだが、
ホントは板前になんかなりたくないっていつも愚痴りながらゲームしてた。

ネオジオCDロードくそ長かった

たまに父親に会いに帰ったりもしていた。そういうときはわざとゲームの発売日だったり、ニンテンドー64も父に会いに行ったときに買ってもらった。
また母親の宗教のことはおれはハンデだと考えていて、なんとかそのハンデをカバーしながら生きていた。昔ゴエモンで友達が助けてくれていたように。辛いことも多かったがおれはそのおかげで器用になったとも思う。
手先じゃなく人当たりとか人間関係の方で。アクションゲームはあいかわらず下手w

長くなるから書かないけど、鎌倉にいられなくなる出来事が起こり
母は実家の栃木に帰り、おれは東京に戻った。
父親と暮らせると思ったけど、その頃父は再婚する予定の人(後に再婚)
と暮らしていて、おれは高校生で一人暮らしになった。
それから偶然通りかかった公園で知らないおっさんに猫をもらって猫と暮らしはじめた。

名前はニャーさん

高校時代は学校の友達とバカやるのが楽しくて前ほどゲームはやらなくなったけど、学校が不良とオタクしかいない男子校だったのでゲーマー友達も多かった。そこではじめてチャットにハマってスマブラ部っていうチャットに入り浸ってオフ会にもはじめて参加した。ちなみに64のスマブラは1回もプレイしたことがなかったw
大学時代もサークルが楽しくて後輩と渋谷のゲーセンで遊んだり、友達の家に入り浸ってゲームやったり、大学時代で印象に残ってるのはPS2のガンダムゲー「連邦VSジオン」とかGTA3にドハマりしてた記憶。

死ぬほどやりました

大学は遊びすぎて5年も通っちゃって、卒業して服屋になりたい
(自分の店が持ちたかった)んだけど、ちょうど裏原ストリートファッションの衰退、ユニクロなんかのファストファッションの流行、店舗型からネット販売へのシフトが起こり始めた頃で自信がなくなって親の会社に入れてもらうことになった。
入社は4月からだと思っていたら3月から来いと言われ、入社したタイミングがニンテンドーDS Lite発売と近かった記憶。
ちなみに母親とも絶縁したわけじゃないのでたまには会っていた。
Wiiが都内で全然予約できなくて母がいる栃木の福田屋ってデパートで予約してもらって、Wiiは買ってあげるからその代わり猫をもらってと言われてWiiといっしょに猫を引き取ることになった。
当時「閃光のハサウェイ」の小説を読んでいたおれはもらった猫の名前をペーネロペーと名付けた。

手前がペーネロペー

その頃、大学時代から付き合っていた彼女とも結婚してトイプードル2匹も
飼っていたので犬2匹、猫2匹で大変だったw
次の年に取引先の工場に出向になりペット可のアパートを探したんだけど
ペットOKだけど2匹までって言われて泣く泣く犬だけ連れて行き、猫は父親の家で預かってもらうことに。
工場があったのは栃木だったんだけど、その頃はXBOX360とPSPでよく遊んだ。ちょうどPSPでモンハンが人気の頃で、近くのゲーム屋が発売日0時販売やってくれる店だったのでモンハンを発売日0時に買いに行ったら、普段その辺に若者なんて全然みかけない土地なのに、若い人が長蛇の列を作っててびっくりした思い出。

奥さんの妊娠、リーマンショックを経て東京に戻ったおれは子どもが生まれてからもDSのドラクエ9とか遊びまくり。
その後も歴代ハードを買い揃え、子ども2人にも恵まれたのにもかかわらず家庭よりゲームやツイッターを優先して、奥さんに怒られ、呆れられて離婚されそうになった事もあったけど親が離婚して辛かった子どもの頃を思い出して自分の子どもに同じ思いをさせちゃいけないと思って奥さんに謝った。

最近もあいかわらずゲームは遊ぶけど(怒られない範囲で)昔よりもゲームに集中できなくなった気がする。年のせいなのか他にも考えなきゃいけない悩み事が増えたからなのかはわからない。
あと最近は某宗教の報道が多いから昔のことを思い出して辛くなってしまうことも多い。おれは間違いなくゲームに救われた人生だった。けどゲームに依存しすぎてもやっぱり人生おかしくなってしまうと思う。

ゲーマーたちが楽しくゲームができる世の中になってほしいと切に願う。

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