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石巻DAIS訪問記

先日、武谷大介さんが石巻の真野で始めた新しいアートスペースDAISにお邪魔してきました。

DAISにテンションアゲアゲで飛び跳ねる私

アートスペースの呼称で合っているのか甚だ不安ですが、不動産屋にも匙を投げられ放置されていたという廃屋をDIYで改修し、アーティストがレジデンス可能なスペースとして運営していくのだとか。

https://www.facebook.com/daisuke.takeya.7

DAISという名称には、Diversity, Art, Interactive, Studioの頭文字をとったという説と、武谷大介の「だいすけ」に由来するという説があって、真実は定かではないのだけれど、いずれにせよシックでおしゃれな家屋の前には手つかずの農地が広がり、椿や桜や私には名前がわからない黄色い水仙のような花々が点在するそこは、さながらもはや桃源郷。あまりの居心地の良さに時を忘れて入り浸りたくなるのでした。

山桜と私

今後の計画では、小学校のグラウンドほどある農地部分をパフォーマンスのためのステージにするとのこと。パフォーマンスのイベント期間が終わったら、また耕して作物を植えて農業をして二毛作(?)のようにアートイベントと農業のサイクルを回していくと聞きました。

現在、DAISではミャンマー出身のアーティストのmaycoがレジデンスアーティストとして数カ月間(だったと思う)滞在していて、DAISに到着したぼくたちにミャンマー料理を振る舞ってくれました。スパイシー、スパイシーって言ってたので、2日目の昼食はココナッツミルクをふんだんに使ったまろやか&スパイシーなカレーヌードル(?)を出してくれて、これが本当にめちゃうまだったと。私には何と形容して良いかわからないスナック的な前菜もハンバーガーと牛丼と親子丼とラーメンで生きてきた私の舌についに目覚めの時が訪れるかのような衝撃を与えたのでした。むさぼり食ってしまうぅ…。

私にはなんと形容していいかわからない前菜

DAY1

DAISに着いた1日目は、昼過ぎから、「てあわせのはら」が主催しているワークショップに参加。団体HPによると、「てあわせ」とは、

てとてをあわせることから始まり、その温もりを感じ合いながら、からだ全体でともに表現し、コミュニケーションを広げていく活動です。
障害の有無や年齢に関係なく、始めての方も、自由に繋がり合、感じるままに、表現を創りだしていきます。

http://teawasenohara.littlestar.jp/about.html

とのこと。この日は赤井市民センターの体育館に(我々5人を入れて)20人ほどが集まっていました。てあわせが始まった経緯は説明されていたはずなのですが、ほぼ忘却してしまって紹介できないので、HPを見てください!

てあわせのはら
http://teawasenohara.littlestar.jp/index.html

さまざまな障害を抱える子と一緒に「手を合わせる」のコンタクトを基本にして、東弘美さんのピアノに合わせて即興で動いたり踊ったりします。輪になって行われた自己紹介では、てあわせのWSが親同士のコミュニケーションの場所にもなっていること、不登校やひきこもりになってしまっていた子がこの会をすごく楽しみにしていて、今まで見たことのないような笑顔を見せるようになってくれたことなども話されていました。

赤井村の歴代村長

後日、確かAokidと武本君と飲んでる時に、人と人が触れ合う機会が恋人や家族のように非常に親密な間柄に限定されている社会はあまり健全とは言えないのではないかと熱弁を振るった記憶があります。

私がむかし住んでいた京都では坂本公成さんと森裕子さんのおふたり(モノクロームサーカスを主宰されています)が中心になって「京都の暑い夏」という国際ダンスワークショップを開催していました。私はそこでコンタクトインプロの初心者クラスを受講していたのですが、ひととひとが触れるコンタクトの方法を知ることは、ひととひとの関係におよぼす非言語的なコミュニケーションの影響を知ることに等しかった、のです。まぁ、つまり、触れることを通じて相互に得られる信頼や安心はコミュニケーションの根底的な基盤になるだろうということ。反対に言えば、触れ方を間違えると、人との信頼や安心は簡単に毀損されてしまうわけです。

当時は、砂連尾理さんの「介護deダンス」などコンタクトを介護の技法として共有するWSにも参加していたのですが、人との接触が避けられない介護現場では、どのように相手に触れるかは切実な問題になっているようでした。寝たきりの高齢者の身体を起こすために必要なのは言葉による説得でも命令でも懇願でもなく、ただ相手と息を合わせる技術です(この意味で「手合わせ」はケアの最も基本的かつ根源的な技術ではないかと思います)。

手合わせはしごく単純な行為に見えますが、その実、とても高度なテクニックを要するものです。相手と息を合わせる、の意味を知らない人はおそらく山ほどいますから。むしろ、ネットやコンビニなどで人との接触なしに孤立した生活を送ることができるように調整・最適化されたオートマティックな社会では、見知らぬ人とのあいだに張られた空気の膜が厚くなりすぎて、「手を合わせる」という単純な一事が驚くほど困難になっている、かもしれません。その良し悪しはあると思いますが、触れる/触れないでデジタルに二極化されるより、つまり恋人と他人しかいない社会より、そのあいだに手合わせのグラデーションがある社会に何かしらの「良さ」があるような気がします。

「触れる」の回路は様々な分断を越境するためにも、孤立の暴発を防ぐためにも、人との距離の取り方を学ぶためにも「使える」ということですね。特に言葉によるコミュニケーションが難しい場合、「手合わせ」は、ひととひとのあいだで、その関係によってそこに存在する「私」を知る原初的な喜びを与えてくれる優れた《対話》の手段になるのではないでしょうか。相手との関係で「私」の存在を確かめることは喜ばしく、嬉しく、楽しい。関係の色合い次第で身体の感じられ方はどんどん変化していく、ということも、世にはほとんど知られていないように思いますが、てあわせのWSは自分と相手の身体のユニークさを照らしあい、引き出し合う、触れ合うことの機微に気づかせてくれる場であったように思います。

と、思考の彩に絡め取られて、明後日の方向に話を停滞させてしまいましたが、てあわせWSに参加した武谷パーティは、それから車で石巻市内のアイトピア通りに向かいました。おしゃれな雑貨屋やカフェがいくつも立ち並ぶ通りで、この近くには一軒家をシェアして四つのギャラリーを運営するアートスペース・石巻のキワマリ荘や、近々オープン予定の映画や演劇を楽しめる複合文化施設・シアターキネマティカもあります。アートやデザインを起爆剤にして”町”を新たに脱皮させようとする大きなエネルギーをひしひし感じました。

石巻のキワマリ荘
http://galvanizegallery.blogspot.com

シアターキネマティカ
https://ubgoe.com/projects/44
https://note.com/kinematica/

シアターキネマティカの構想/https://ubgoe.com/projects/44

特にシアターキネマティカは私自身が演劇と縁が深いこともあり、かなり気になる場所でした。中を案内してくれたのは代表の矢口龍太さんと副代表の阿部拓郎さん。矢口さんは2017年から実行委員会代表として「いしのまき演劇祭」を牽引している方です。煙草を吸いながら話していたら、どうも革命アイドル暴走ちゃんの『暴走ちゃんの暴走』に映像スタッフとして参加していたようで、ぼくもたまたまその公演のレビューを書いていたこともあって、「おーw」と息が合いました(笑)。

LOVE×FREEの祝祭劇! 松竹とのコラボでますます加速する革命アイドル暴走ちゃんにヤラれっぱなしの1時間~『暴走ちゃんの暴走』
https://spice.eplus.jp/articles/245780

シアターキネマティカとしてオープン予定の建物は、もともと日活パールシネマという成人映画館が営業していた場所に隣接しています。昭和の時代、この通り(寿町通り)には映画文化が栄えていて、徒歩数分の間隔で映画館が立ち並んでいたそうなのですが、2017年に日活パールシネマが閉館したあとは、単館系の映画館はすべてなくなってしまいました(地域の映画館はイオンモール石巻のシネコンだけになっているそうです)。阿部さん・矢口さんはかつて「文化通り」と呼ばれたこのエリアに劇場文化を復興させたいという想いで、このプロジェクトに取り組んでいる、とのこと。

GoogleMAPに残存していた日活パールのスクショ

石巻に新しい劇場文化を興す。劇場のリノベーションにはミニマムで1,000万円以上かかるといいますから、これは大変なプロジェクトです。しかし、演劇や映画を上演/上映するホールに加えて、カフェ、ギャラリー、中庭テラスも含めた文化交流の一大拠点を作り上げようとする阿部さん・矢口さんの構想は極めて魅力的です。

阿部さん・矢口さんが改修中のホールを案内してくれた

話を聞いていると、演劇文化にとっていま重要なのは、集客の規模を増やすことではなく、人々のつながる関係の線を増やしていくことなのではないかと思わされます。というのも、動員数の観点からいえば、シアターキネマティカの客席はおそらく数十人規模ですから、イオンモールのような商業資本の営業する映画館とはやはり比べ物になりません。しかし、石巻に新たな文化拠点を生むことは、0を1にする跳躍です。その意味で、イオンシネマ(を目の敵にしているわけではないのですが笑)はシアターキネマティカに太刀打ちできないでしょう。

重要なのは、こうした”小さな”社会的実践に参与するアーティストのあいだをつなぐ線の数を増やしていくこと、なのだと思います。もうめちゃくちゃに複雑に。言わずもがなですが、19世紀のヨーロッパ(主にドイツ)ではより多くの人が平等に舞台を観劇できる民衆劇場の理念が掲げられ、それからメディアテクノロジーの発達によって地理や時間の隔たりを超えて同一のコンテンツを大量の人間に届けることが可能になりました。そこで文化の担い手は匿名的な消費者としての大衆です。iTunesで好みの音楽をダウンロードしたり、ネットフリックスでおすすめの映画を見たり、tiktokのフィードをフリックしたり、ツイッターのタイムラインをフリックしたりするわたしたち、なわけですが、マーケットのなかでこうしたコンテンツの価値を決めるのは、売上や再生回数やDL数といった量的な尺度に当然なるわけです。大衆的な記号消費社会はマーケティングないしは動員の思想によって成立している。

実際、市場の流通に乗せてスケールしないことには社会的な波及効果は望めないし、そもそも売れない事業には継続性がありません。その現実はあるにせよ、動員数で市場価値を競い合うマーケティング/動員の思想とはべつの戦い方もあるはずです。たとえばそのための戦略として多様なアイデンティティ、関心、思想をつなぐネットワーキングの思想がありうる、ありえてきたはずなのです。とはいえ今度はそのネットワークの生産力がコンテンツの動員力や人脈という人的資本の蓄積にすぐさま読み替えられ、売れる商品(印象深い最も象徴的な事例は初音ミクでした)になってしまうか、過剰労働を拗らせて疲弊していくか…結局、動員できなければ何にもならないんだよと世界の中心に向かって叫ぶ前にやれることはあるはずで、SNSの技術的な支援を利用して、つながらないはずの点と点と点……を強引につなげて(存在してない)線を引き直し異種交配のリンクをつくるネットワーキングの力はいまだ十全に汲み尽くされてはいない、と私などは思うのです。支配的な演劇市場なりアートマーケットなりの大通りに実は密かにあいている抜け道、裏道、脇道をつなげるモグラの穴掘り、ディグディグディグ👿

シアターキネマティカはこれから確実に地域文化の重要な交流拠点になっていくでしょう。この新たに胎動する劇場に、私は意識的・無意識的な境界を超えて、さまざまな点と点をつなぐ異種交配のメディア=サイトになるポテンシャルをみちみちと感じたのでした。

敷地内に放置されていた社には天鈿女命の御神体が招かれ石巻芸能神社が創始された

またよくわからない思考の脇道に逸れてしまいましたが、逸れたついでに言うと、スナックのママさんに聞いた話によれば、石巻のこのエリアは人口比に対して飲食店の数がとても多いんだそうです。私の記憶が確かであれば、このあたりは港町として発展してきたエリアだから、だったような、そうじゃなかったような…。いずれにせよ、たしかに石巻駅周辺は飲食店の数がとても多い印象を受けました。というか、飲食店もそうなんですが、これ全部黒字営業してるんかいなと不思議に思うほどスナックの数が多い。地方都市のスナックビルはときおり見かけますが、それにしてもめちゃ多い感じがしますね…。

そんな感じで、梶原さんやことりさんという今回の訪問に同行していただいた方々と焼いた肉を食ったりなんだったりする夜を過ごし、DAISのまだ障子の貼られていない部屋のベッドに横たわり、2日目の朝を迎えたのでした。

DAY2

零羊崎神社

2日目は、朝からみんなで散歩に出掛けて、近くの商店まで行ってお神酒の酒とまんじゅうを買い、零羊崎神社にお参りしました。ここは日本武尊を祀る神社なのですが、「白鳥宮」と書かれた碑には次のように書かれています。

大化の改新(西暦六四五年)以前の日本は、大和地方(奈良県)の豪族たちが連合して政権(大和政権)をつくり、地方の征服に数百年かけて日本統一に成功した。北上川沿いを進んだ大和勢力の中に白鳥軍団があり、真野の地に白鳥宮があることは、白鳥軍団が拠点とした地と考えられる。

私的にはなんとなくOMG案件なんですけど。こういうの面白いですよね。何がと言われても、わかりませんMNG(めんご)と平謝りなんですが、白鳥軍団とは…! みたいな。しかも、この碑は比較的新しいものだと思いますが、「征服」ってちゃんと記述されてるんですよね。日本武尊の東国征伐は、地霊の平定という宗教的な意味合いも帯びていました。またまた例の折口信夫によれば、毎年の豊作を願う春祭りの儀式にあらわれる「おに」が言い負かされて逃げていく場面は、神による土地の精霊の平定を再現するものだそうです。たとえば「天邪鬼」が何にでも反対する妖怪であるのは、いまだ平定されざる土地の精霊の記憶を留めているからなのだとか。

彼らは、彼らの神の代表者として来り加わり、神と精霊と問答をし、結局、精霊が負けるという行事をすることになっていたのだ。/この形は、あまんじやくが何でも人に反対するということに残っている。あまんじやくはすなわち、土地の精霊で、日本紀には、天ノ探女としてその話があり、古事記や万葉集にも見える。やはり、何にでも邪魔を入れる、という名まえであろう。神々が土地を開拓しようとする時、邪魔をするのは、いつも天ノ探女である。すなわち、土地の精霊なのである。

まぁ、折口の民俗学的考察がどれくらい確からしいか、わたしにはまったくわかりませんが、もしもこの神社が平安時代以前にまでその由来を遡ることができるのであれば、そこには敗者の側の記憶が残響している、すなわち侵略戦争の遠い記憶が刻印されているようにも感じられるのです。

碑といえば、真野のこのエリアにはある農家の方(?)が私財を投じて作った公園があり、そこを抜けた小高い丘の上には遺跡跡地の歴史を記した石碑もありました。

石碑とは一切関係ないおそらく公園の敷地内に生えていた黄色いもの

写真を撮り忘れたので細かい内容がまったく思い出せないのですが、「これだけ昔からの遺跡が残っているということは、この標高までは津波は来ませんよということを意味しているんじゃないか」という話になったのは「なるほどな〜」と納得しました。

まいう〜なmaycoのミャンマー料理

そうこうして、DAISに戻って、maycoのミャンマー料理を食べてまいう〜って感じで、そのあとはmaycoがこれまで制作した作品をプレゼンする時間が取られ、そのお返しに村田さんが幼い頃の「言葉」へのコンプレックスが今のドローイングの方法につながったという話をして……あっという間に夕刻に。さながらアーティスト合宿のような午後の一幕。それこそDAISは、国籍や文化の差異をトランスさせる「さまざまな点と点をつなぐ異種交配のメディア=サイト」として現に機能している。日本の現代美術・舞台芸術のメインストリームはもとより、マージナルな領野からも武谷大介およびResponding&DAISの活動はあまり見えていないのではないかと思えてしまうのですが、わたしはこの地道で”普通に”領域・文化横断的な武谷の活動こそ注視すべきだと訴えていきたい想いに駆られたりもします。いや、もう注目されていますよってことであれば、GMN(ごめん)なんですが。

仙台駅のNewDaysで買った琉球泡盛「瑞泉」ボンボンショコラ

今回の滞在では二度、猫と関係を持つ機会がありました(DAISにやってきてご飯をせがんでめちゃくちゃ鳴いてた猫はピューピューと名付けられました)というしごくどうでもよさそうな情報をドロップしつつそれじゃここらでバイバイキン! ってことで!

悪そうなやつとだいたい友達になれそうなTOKYO

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