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渡るべき〈あちら〉をもたない『巛』について―タルパ・フレンズ・ニンファ/ゆうめい『巛』

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 トークイベントに招かれた批評再生塾生―この文章が公開されるころには「元」だろうか―の僕というのがいて、ノコノコと出掛けて行っては開演もしていないのに舞台に備え付けられた芝生の斜面に腰掛け、最近の変化について聞かれたものだから「批評再生塾」なるものに通い始めて躁鬱感がひどくなりました! みたいに露悪的なパフォーマンスなんかをやってみたりもした。客席につくと舞台にあがっていた僕らとまるで変わらないじゃないかと感じられるニュートラルでナチュラルな身体を引き連れて右手だったか左手だったかを骨折しているという振りをしたこれからいわゆる主人公と名指される物語の中心人物になる男が結婚式の友人代表的なあいさつをはじめた。コント集みないたものですと聞かされていたものだから、結婚式コントがはじまるのかなと思う。
 結果的に振り返ってみたら別にコント集ではなかった。全然そんなふうには見えないのだけれど、理由の判然としない不倫が発覚してから自殺した友人と最後に川辺で会話をしたというのに彼の異変を感じ取れなかったし何も出来なかった自分を持て余した男がタルパを創るという話だった。いや、実はタルパを創ることは物語の主筋にそれほど深く絡んでこない。友人の姉がハマっているアムウェイのネットワークビジネスに繰り返し勧誘されては断りきれずにかといってアムウェイビジネスに本格的に手を染めるということもしない中途半端な距離感で付き合いつつ、勤める書店の気弱な後輩が社内で生贄的ないじめにあうも付かず離れずでフォローしながら、逆に彼が後輩しごきをはじめだすのを強く止めるでもなくそれぞれの不満の受け皿のような調整役となって現状維持の平和をケアして保とうとする。散りばめられるエピソードはそういったものたちで。
 どうも男は自身の生活に満足はしていないが不満もないような過不足のない日々を送っているようだ。通俗的な分類に当てはめるなら童貞の非モテに属するであろう自分を変えてやろうとかこれが本当に良き人生であるのかとか現状への不満を糸口にして社会的正義を声高に叫ぶであるとか、そういう居場所やアイデンティティについての悩みを吐露したり表出したりは全然しない。なのにそれは僕たちの似姿であるかのような微視的な表象のリアルとなって漠然とした不安にもならない――断片的なシークエンスで結ばれていく関係性が澱み/沈殿していく宙ぶらりんの〈空-虚〉を立ち上げていく。劇の進行とともに次第と薄くなっていく空気の中を男はただただ〈通過〉していく。
 かつて別役実が電信柱のふもとに放下した名もない「プチブル小市民」の夫婦は旅立つ先も見いだせずかといっていまの自分たちのアイデンティティに確たる手応えを持つことも出来ずに「あーぶくたったにいたった」の声が響く中で降り注ぐ雪を見つめていた。彼らはその末裔であるのだろうか。叫びだすこともなくバタバタと手足を振り回すこともなく降り積もる雪に埋もれて窒息する。それを見事にサーフィンして見せているのか、あるいはジっと息を潜めてその閉塞が突破される瞬間の到来を待っているのだろうか、とするとなんだまだおまえたちはいまだにゴドーを待っているのかというツッコミを予想するところでもあるが、いやしかしそのツッコミが届かないほどにもうゴドーを〈待つ〉なんてギリギリの〈身ぶり〉も失われている男の現実がタルパの隠喩系を紡ぎ出していく。

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 タルパ。死者ではない。亡霊でない。ロボットでない。人間でもない。ヒトモドキだ。

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