記録▼ぬらりひょんの駆け出し/小林耕平x山形育弘「Post Shaped Piggy Bank」

ぬらりひょんのような顔をしていると思う。帽子を忘れたと、小走りで向こう側の展示室にかけていった。小林を見送った。展示室と展示室のあいだの通路の空間の真白い壁のまえにコンパネのデスクが置かれている。赤い郵便ポストの置物、垂直に置かれた突起の複数がついたハンガー掛け(?)に刺さったオレンジのピンポン玉、黒い長靴が一足、クリアケース、万力で留め置かれた細長い木材の上部から生えた丸棒に、カラービニールの輪っかが通された棒、その机の状態を見ているがわたしは何を見ているのかわからなくなる。ものものが無造作にとか、乱雑にとか言いたくなり、しかしそれでは外す。雑然としたデスクと言えなくもないが、忙しない労働にかられる時間が積もり積もり層を形成するように散らばった自然であるわけでない。ものと机と使用者の関係が機能的に配置された整然さがあるわけでない。

雑然としているし整然としている。散らばっているようで整えられている。デスクに散らばったものたちの織りなす場の重力が、未だ現れてはいない使われ方の複数と、それによって変化するものたちの関係を予感させる未然の時間を整える。だから、この整然とした雑然/雑然とした整然を支えるデスクは然の文字に翻訳できる。然に置かれたものもの。妙な表情をわたしたちに見せている。ものたちは小林に操作されるのを待っている。ありふれた、どこにでもある、どう使うのかわからないものたちが暇を持て余す散地に妙然としている。

小林と山形とデスクを挟んでわたしたちは取り囲んでいる。鎖に繋がれた丸筒を首にかけた小林がリモコンを手に取り押すと、彼らの対面に映し出されている映像が再生される。彼らはその映像の再生を再生する。デスクの上に並んだものものが使用されている映像。展示のパフォーマンス/パフォーマンスの展示というワードが頭に浮かび、台車の上で不安定な足場に揺られながらDJの仕草を模倣する、白ヘルメットをレコードのように回して再生する小林の動きを見ている。「慰霊のエンジニアリング」に展示されていたターンテーブルの皿をまわすと映像が再生される新井健の作品を入れ子状にしたみたい。記録されたパフォーマンスの映像に再生される再生する身振りにおける再生。再生を再生する再生の身振り。

ここから先は

2,700字

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?