「つまり~なのですね」が苦手で、自己表現を躊躇ってしまいます
「つまり~なのですね」は、だいたい「つまっていない」
自分の経験、考えなどを話したときに、まだ深く話さないうちに、
「つまり~ということね」
と要約されてしまうのが非常に苦手です(苦笑)
なぜなら、その要約話が、
「そんな話してないんだけどな?全然つまってないんだけどな?どこが”つまり”なんじゃー!!」
と感じることが非常に多いからです(苦笑)
どうしてそういうことが起こるかというと、相手の話の「さわり」を聞いただけで自分の知識、経験に置き換え、
「ああ、それ知ってるー。こういうことよねー」
と早い段階で判断し、相手にフィードバックしてしまうからだと思います。
はい、自分も経験ありです。最近は精神的にいくらか大人になりましたので(当社比)簡単に「つまり~ですね」という言葉は使わないようにしています。
つまらせる必要、ないんですよね。相手の話は、そのまま受け止めたらいいんですよね。あるいは、
「つまり、~ということかな?」
と確認するようにします。勝手に「つまり~ですね」と断定しない。
あ、仕事のときはちょっと別です。数年前に退職者の仕事を引き継ぐことになったのですが、こちらが何をすればいいのか確認したところ、簡単な作業であるにもかかわらず、
「いやー、というか~」
ともったいぶったようにもごもご繰り返すので、
「つまり、いまはクライアントの返事待ちで、返事が来たら、そのリクエストに合わせて対応するってことですよね?つまり、いま出来ることはないですよね?つまり、いまここでXXさんと長々話しても、いまは何も出来ないですよね?」
と、かなりの勢いで「つまらせて」しまいました(爆)仕事のときはTO DOを明らかにしないといけないので仕方ないということで(苦笑)
最近やっていたこと
先月から、同じ区に住む「見知らぬ方々」と勝手連のようなものを作り、ボランティア活動を始めました。
「見知らぬ方々」との出会いは、ある区議会議員さんが一昨年の台風の時期に立ち上げてくださったLINEのオープンチャット(以下オプチャ)です。かなり大型台風だったので、何かあったときに避難情報などを入手する目的で入ったのですが、そのときの台風は思いのほか弱く、避難の必要もなく終わりました。
しかし、その後もオプチャは続いており、いまは1000人以上登録者がいると思います。最近のやりとりは、コロナに関する情報(ワクチン接種、コロナ罹患時の経験など)がメインでした。
ある日、家族全員が陽性になったという方が、
「買い物に行けずに困った。都からの物資が届くのに時間がかかった。ネットスーパーに注文しても届くのは早くて翌日以降だった」
のような書き込みをされたのを見て、
「近所だったら、コンビニで買って届けるくらいのお手伝いはできますよ。ご近所同士で、そういうサポートができませんかね」
とコメントした人が、私を含めて5人ほどいまして、そのメンバーを中心に勝手連を立ち上げました。
どういうことをやるかといいますと「いま自分で買い物に行けない人」がネット経由で依頼したら、「いま買い物を代行できる近所の人」がお買い物して届ける、という流れです。
思い立ってからリリースするまでに半月。言いだしっぺの皆様が出来る方々ばかりだったので、私は
「こうやったらいいんじゃないですかね」
とか口出しするだけで、何もやっておりません(苦笑)
話し合いはすべてLINE、あとは一度オンラインミーティングをやったくらい、まだ誰ともお会いしていないのですが(Facebookでつながっているので顔は写真で知っている)すっかり同士だと思っております!
なお、この活動は、手数料などの報酬はもらいません。また、ボランティアも強制ではなく、「自分の出来る時間に、出来る範囲のことをやる」ということがモットーです。
私自身も、ボランティアをやる、という気負いはまったくなく(いいのか、悪いのか)
「困っている人がいたら、自分が負担に思わない範囲でサポートする、が当たりの世の中になればいいな」
と思ったのが、この勝手連に参加した理由です。
「つまり~ですね」が嫌で、自己表現を躊躇ってしまう
勝手連のリーダーから、このボランティア活動について、FacebookやInstagramで広めることを依頼されているのですが、私、それはちょっと躊躇しています。
理由は2つ。
①Facebookで流したとしても、その情報はさーっと流れてしまって、ほとんど目に留めてもらえない気がする。それより、同じ区内に住む友人で、この情報がヒットしそうな人1人1人に個別で伝えたい(同じ区内に住む友人でも、ご近所付き合いとか好みそうにない人もいるので、相手は選びたい)
②Facebookに流した情報だけで「つまりこういう活動なんだね」「偉いね」「そういう経験って仕事に役立ちそうだね」とか言われると、心の狭い私は盛大にモヤる
特に、②ですよ。
実は、勝手連を立ち上げたばかりの頃に、リアルで会った知人に(同じ区に住む人ではない)
「今度、こういうことするんですよ」
と話したら、さわりを話しただけで、開口一番に
「そういう活動で培った企画力とか、仕事にも役立つよね」
と言われまして、盛大にモヤりました(狭量です、はい)。
本当に、この活動にあたっては、損得とか、仕事に役立つとか、そういう考えがないもので。というか、外部での経験を仕事に活かすのではなく、仕事で身につけた経験や能力を社会に還元するお年頃になっていると思うので、ここでの経験から何かを得ようとは思わない。
ただ、直接何かを得ようとは思っていないですが、見返りなくサポートすることが当たり前になり、めぐりめぐって、私や、私の大切な人達が生きやすい寛容な社会になればいいなと思っています。
1対1、または少人数で直接会っているなら、自分の思いをしっかり伝えられるのですが、Facebookのように大勢の人に目の触れる場所で、限定的な情報を流しても難しい。「つまり~ですね」と要約されるのが嫌で、自己表現に臆病になっているところがあります。一方で、SNSで何でも話す必要もない、という気もしています(noteは例外です)。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?