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子育てって大変!お母さんって大変!というムーブメントはなんとなく苦手意識がある
そういうのはいいから、4億円ほしい

でも実際大変だし、今の世の中の子育て世代の皆様は本当に素晴らしいと思っています(忖度)

私は子供を1人産んでいて
二人三脚のように一緒に生活してきた
お腹から出てきた日から、この若者に何もかも教えてもらおうという気持ちでやっている

赤ちゃんというものはなんだか崇高な存在で、全知の神のように見えた
里帰りから帰った後、1人で育児をしていてもさほど辛くならなかったのは
あの赤ちゃんという「突然降臨した謎の神」みたいなものに洗脳されていた可能性も考えている

赤ちゃんはだんだん人間になっていった
私は暇だと家電と話すような女なので、人間になりかけの生物はいい話し相手だった
何より、弟と違って「お母さんがいい」と泣かないのでラクだった
「私がお母さんです」というカードは強かった
家のこと、仕事のこと、ひとつひとつ相談しながらやっていった
私が至らないせいで迷惑をかけてしまうことも多かったけれど、なんとかやっていけた

幼児期、なんだか毎日怒られていた
来るのが遅いとか、準備が悪いとか、気が利かないみたいなことで、とにかく毎日何かしら子供に怒られていて
たまに会う友達から「子供元気?」と聞かれては
「なんか毎日怒られてる(私が)」と答えていた時期があった
あれはもしかしてイヤイヤ期だったのかもしれない
イヤイヤ言わず、普通に理詰めで怒ってくるので毎日私が悪いのかと思って平謝りし続けてしまった

私が成長したのか、イヤイヤ期が終わったのか
今はとても大切にされている気がする
大切にされているのだが、完全に人間になった子供とのほうが、意思の疎通が困難になった

あの「まだ人間ではない生物」のシンプルさがなく
私とは別の人生を歩んでいる他人なので、意思の疎通が困難なのは当たり前で
お互い気を遣いあったり、うんざりしながら生活している
とにかく実感するのは、子供は親を無償で愛してくれる存在だということで
恐縮…と思っている

そんな感じで親子2人でモサモサと生きているのだけど
最近、子供の自己肯定感を育てるのは母親1人では限界があるという気がしてきた
私が雑に褒めすぎている可能性もあるが、私がどんなに褒めて認めても「まあお母さんはお母さんだからそう思うんだけど、世間では微妙なんだよ」と言われてしまう
まあそうだろうよ…と思いながらも、そうなの〜?すごいのに〜!と20年前のバカな女みたいな対応を雑にしている

子供には私以外の多くの人と関ってもらいたいなと思っている

私は自分の考え方や倫理観に自信がないし、影響力をもつことが怖い
私のことは多くの人の中の1人、考え方のひとつ、と思ってもらいたい

それでも「お母さんじゃないといやだ」という要望に流される形で、ずいぶん1人で子供を管理してきてしまった気がする

子供を1人で育てるということは、1人で管理するということだ
夫と3人で暮らしていた頃は、まだその危機感が薄かったものの
2人で暮らすようになって、最初は2人でのびのびできていいねなんて呑気に言っていたのだが、リスクに気付き危機感を感じた
それで、意識的に色々な場に子供を同行させることが増えた

大人たちの集まりに連れて行って知ったのが
「母親ではない、他の大人に褒められるということでつく自信」があるということだ
大人たちは、コミュニケーションの中で子供を褒めてくれる
すると帰宅後の子供は、それを自分の中で反芻して
小さな自信を作っているようだった
なるほどなぁと思った

褒めてくれて当たり前の人が身近にいることも大切だけど、もう一歩の自信は、当たり前じゃない人から認められることでつくのかもしれない

そして当然、他の大人が子供の相手をしてくれている間は私はラクだ
なんというか肩の荷が降りる
「みんなで子育てしよう」なんて言ってくれる人もいて、本当にありがたいなと思う

最近は「うちのお母さんはちょっと変だから」と言うようになって安心している
そう、きみのお母さんは変なのだ

抜けているし、特技もない
厳しくないけどめちゃくちゃ優しいわけでもない
疲れて寝ちゃうし、エッチなコンテンツが好きだし
ゲームやおもちゃをすぐ買うからお金もあんまりないし
だから子供は本当に大変だと思う
他のお母さんみたいに、何かを教育してくれる感じがないから
いろんなことを自分で考えないといけない、大変だ…

それでも私についてきてくれて、一緒に頑張ろうと言ってくれる
途中で愛想を尽かされても全然いいけど、この感謝の気持ちは忘れないようにしたい

お母さんも大変、子供も大変
4億円ほしい

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