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愛しているから食べる、愛されているから食べられる

これは私が幼い頃母に連れられて行った小劇場で観た演劇の劇中歌だ
全体的に暗い話だが、愛するものを食べるという文化のある人間と、そうでない人間の話だったと思う
主人公側の仲間たちは全員食われて死んだ

私は、知らないものはなんでも食べてみたいと思っている
今日はくら寿司で「パンガシウスのにぎり」というものがあってとっても食べたかったのだけど、完売していたのか食べられず今も心残りになっている

若い頃は若者特有の尖り方をしていたのだろう、本当になんでも食べたい、なんでも食べて生き残りたいとサバンナの育ちのような女だった
でも今は実はそうでもない

私は、例えば犬や猫を食べることはできない
特別大好きな動物というわけではなく、誰かの家族であることが多い生き物だからだ
特別好きなうさぎはむしろよく食べているので、愛するものを食べる側の倫理観なのかもしれない

「雪山で遭難して、どちらかが病気ではなく死に、自分も何か食べないと死ぬ場合、死んだ相方の肉を食べて生き残るか?」
という話を職場の先輩としたとき、2人とも「食べられない、死を選ぶ」という結論になった
ちなみにお互い「私のことは食べていい」と言っている
今後雪山に行く予定はない

愛しているものを食べる、という文化は私は嫌いではない
藤子・F・不二雄先生のSF漫画「ミノタウルスの皿」が無料公開されているのを知って、夜中に考え始めてしまった
この作品もやはり、食べられることとは、食べることとは、倫理とは、のような作品で(たしか)
作品内では食べるために殺されてしまうのには嫌悪感があるものの、捕食される美少女が恍惚としており幸せそうなシーンが印象的だ
愛する人を食べたいかといわれるとわからない、でも愛する人の血肉になれるのならそれは幸せかもしれないな、なんて思う
そのために命を落としたくはないけれど

だって、世の中は今も食うか食われるかみたいな社会じゃないか
どうせだったら、愛する人に食われて死にたい

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