東京国立近代美術館のコレクション

 絵画を鑑賞するのが好きだ。でも学生の私は絵画を購入して手もとに置いて鑑賞するなんていうお金の余裕はない。となれば美術館を頻繁に訪ねて絵画を鑑賞することになる。学割が使えるのもポイントが高い。地下鉄東西線竹橋駅を降りて歩いて数分の東京国立近代美術館(以下MOMAT)は、私がもっともよく訪ねる美術館だ。特別展のたびに足を運んでいるし、特に目的がなくても常設展だけ覗きにいくということもよくやる。帰省するのが年に盆暮れ二回だとすれば、1-2か月に一度は訪問するMOMATのコレクションは、親の顔より見たコレクションだといっても過言ではない。
 先日、MOMATのピーター・ドイグ展を鑑賞してきた。

 この展覧会自体、非常に心躍らされるものがあったので、機会があればそれについてもここで書きたいのだが、今回はnote初投稿ということで、その時ついでに再会してきたなじみのMOMATコレクションについてつらつらと書き連ねてみたい。私は学生だけれども、特に美術を研究するものではないし、それに関係する講義を大学で受けたこともない。単なる素人である。でも、何度も通い詰めた常設展には素人なりの鑑賞の蓄積が出てきて筆を走らせやすい。そういうわけで今回はMOMATコレクションについて独断的な感想文を書いてみる。

 MOMATコレクションは定期的に展示替えがされるので、何度行っても「あっまた会いましたね」と思うMOMAT自慢の作品もあれば、「へぇはじめてお目にかかります」という新収蔵の作品にも出会える。だから何度通っても飽きない。知っている作品でも何度かみるうちに鑑賞の深度が深まってくるような気もする。近くの美術館の常設展の充実度は、文化的豊かさの重要な指標と言っていいんじゃないだろうか。

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 私の好きな画家の一人に萬鉄五郎がいる。彼の作品は今回2点も展示されていた。1点目は彼が自分の妻を描いた《裸体美人》である。この作品は東京美術学校の卒業制作だという。美しい妻を絵にして残そうというよりは、鼻の穴を強調してみたり、ありのままの人間を描こうとする意図が見える。気取らないけど自信ありげな表情に親しみを覚える。この描き方は萬の妻に対する愛情表現なのだろうか。絵のタイトルは裸体美人なのだからやっぱり愛はあるのだろう。当時萬は新婚だったのだときく。明治の洋画は、西洋から学ばなければ、吸収しなければという姿勢が強くて日本人離れした理想化された肉体を描く傾向があるように思う。そういうところがないのが、本作品の強い魅力ではないだろうか。説明によれば、明治最後の年(明治45年)に描かれたこの作品は来たる大正時代の自由な空気の萌芽を感じさせる。そこが評価されて重要文化財に指定されたのだそうだ。

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 とはいえ、萬は海外の美術動向を積極的に取り入れる画家であった。《裸体美人》はゴッホを代表とするポスト印象派の影響を感じさせる。また2点目の《もたれて立つ人》にはキュビズムの影響が明確にある。MOMATにはキュビズムの代表画家であるジョルジュ・ブラックの作品《女のトルソ》も収蔵されてあって比較しながら見るのも楽しい。描かれた人物は腹部を中心に凹まされた格好になっており、いかにも窮屈そうだ。この人物が体をスッと伸ばしたら画面を壊して歩き出していってしまうのじゃないかと思わされる。窮屈さゆえにその反動で絵の枠を押し広げようとする力が働いているように見えてくる。ブラックやピカソのキュビズム作品は対象を様々な面から観察してそれを同一平面に落とし込んでいるけれども、萬のこの作品は対象に無理な力を加えて変形させている。動き出すことはない絵のはずなのに、強烈なエネルギーを感じさせるものがこの作品にはないだろうか。

 MOMATコレクション展では、一部屋を使って豊富に所蔵されている戦争画(当時の言葉としては作戦記録画)の紹介をすることが多い。日本がアジア・太平洋戦争を展開していく中で、様々なメディアが戦争に協力していくことになる。戦争画はその一環として描かれたのだ。MOMAT所蔵の戦争画は、戦後米軍に接収されたものが無期限貸与という形で日本に返還されたものだ。今回の訪問時にはたまたま上海を扱った作品が2つ展示されていた。個人的に私は上海をよく訪問するので、この2作品について触れてみたい。

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 一つ目は松見吉彦の《十二月八日の租界進駐》である。日中戦争は1937年の7月7日の盧溝橋事件に始まるが、8月13日に上海に飛び火する(第二次上海事変)。この時日本軍は列強の拠点たる租界内部には進駐せず、上海租界は「孤島期」と呼ばれる時期に入った。租界内部に日本軍が進駐したのは対英米戦争を開始した1941年12月8日のことであり、この絵に描かれているのはその時の光景だ。この作品に描かれているのはバンド(外灘)と呼ばれる地区で、西洋式高層建築が立ち並ぶ租界のビジネス中心街であった。進駐日本軍はそこを北から南に向かって行進している。各建物には日章旗や旭日旗が翻っている。道には多くの中国人が整列しており(注1)、日本軍の行進を見つめているがその表情は読み取れない。いかにも戦意高揚のためのプロパガンダ的作品で、これ自体はあまり面白いものとはいえないが、今のバンドを訪れたことがある人からすれば、何か強い印象を覚えるところもあるのではないだろうか。参考までに私が撮った現在のバンドの写真を載せておいた。黄浦江を背にして立ってバンドを一望すれば、建物という建物に五星紅旗がはためき、時報に東方紅(注2)が江海関ビルから流れてくる。およそ80年前と現在の上海との懸隔の大きさを思わずにはいられなくなるのだ。

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 次に紹介する上海関係の作品が橋本関雪の《十二月八日の黄浦江上》である。先ほどの松見吉彦の作品と全く同じ日について描かれた作品ということになる。説明によれば、日本画はどうしても迫力に欠けて戦争を描くのに適しないと言われることが当時あったようだが、関雪は日本画独自の戦争表現を追求したという(注3)。 本作は三枚で構成されており、左から順に英米軍を攻撃する日本軍、攻撃を受けた英米軍、バンドの光景がそれぞれ描かれている。攻撃を受けているのはイギリスの砲艦ペトレルだろうか。12月8日の早朝に日本海軍支那方面艦隊との戦闘に入り、まもなく撃沈された。それにしても、本作品で印象的なのは戦闘を直接描いた2枚というよりは、それだけを単独で見れば戦時の風景とは思えないバンドを描いた3枚目ではないだろうか。早朝のバンドの光景がガス灯(当時はすでに白熱灯だったそうです。ヒロヲカさんの指摘。ご指摘感謝申し上げます。8月13日追記)の灯りに照らされて幻想的に浮かび上がってくる。美しい光景だ。すぐ隣には攻撃を受ける軍艦があり、おそらくそこでは人が今まさに死につつあるのに、そんなことには全くお構いなしのようにすら見える。強烈な非対称性を鑑賞者は意識せざるを得ない。描き手の当時の意図は戦意高揚にあったかもしれないが、今この作品を鑑賞する私たちには別の感情が掻き立てられる。橋本関雪は1945年2月戦争が終わる前に亡くなった。これはある意味幸福なことだったのかもしれない。次に紹介する藤田嗣治のような目には遭わずに済んだのだから。

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 この作品は藤田嗣治の戦争画《〇〇部隊の死闘ーニューギニア戦線》。藤田も私の大好きな画家だ。藤田は、戦後戦争の片棒を担いだとして大きな批判を浴びた。結局彼はフランスに渡り、現地に帰化して日本の地を二度と踏むことはなかった。ただ、藤田を単に「戦犯画家」として片付けることはできないように思われる。藤田が戦争画の中に美を見出していたことは間違いないだろう。本作や《サイパン島同胞臣節を全うす》、《アッツ島玉砕》(いずれもMOMAT所蔵)は、戦意を煽るものというより、凄惨さが際立つものだ。いずれの作品も躍動する肉体が殺し殺されることを「美しく」描いている。しかもこれらの作品は現地に行かずに藤田の想像で描かれたものである(注4)。 美しいものを美しく描こうとすること、(しかもそれは現実の戦場ではなく藤田の想像の中で理想化されたもの!)が政治的意味を持つ可能性に無頓着だったことが藤田の批判されるべき点なのかもしれない。
 当然のことながら藤田は戦争画だけを描いてきたわけではない。MOMAT所蔵のものとしては《五人の裸婦》が挙げられる。この作品はいわゆる「乳白色の下地」の時代のもので、裸婦の美しい人肌が彼特有の乳白色によって際立っている。あの「乳白色」は、2層構造になっていて上層部にはベビーパウダーが塗られていたことが修復作業を通じてわかってきたという。美の追求に対する藤田の執念を感じる。藤田の絵画は時代によって作風が大きく異なり、美術に興味のない人からすれば同じ人が描いたとは信じがたいかもしれない。しかし、時代や作風に関わらず藤田が美を追求しようとしていたことは否定できないだろう。ひとりの画家を評価するというのはとても難しい。

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 藤田が美を追求して戦争に協力したのだとすれば、戦争に対する反省の上に立った美しいとは言えない作品がこれだろう。古沢岩美の《餓鬼》である。彼は明治末年の生まれで、従軍経験のある世代だ。中国戦線に召集され、捕虜生活も経験している。本作品の説明によれば、「兵卒としての私の戦争への総決算的作品」と古沢自身が語っているという。
 一見悪趣味なほどグロテスクさが強調されている本作品だが、単に戦時中の日本軍の悪行を告発する絵だとは解釈できないところがある。後景の女性の一人は男に襲われているところであり、苦痛の表情を浮かべている。これが、戦中日本軍が行ってきたことを象徴しているのはいうまでもない。一方で前景の山県有朋の像や片脚を切断された敗残兵は軍国主義の行き詰まりと敗戦を象徴しているように思われる。山県の像に平和の象徴である鳩が糞をたれているところにそれがよく表現されている。すると餓鬼=敗残兵の不気味な目のぎらつかせ方が気になる。敗れてもなお欲望の対象を追い求めようとしているのだろうか。なんせ彼は軍服を失っても階級章だけは名残惜しそうに手に持っているのだ。戦争に負けた程度では人間の中身は変わりはしないということを強烈に訴えているのかもしれない。この絵を見て美しいという感想を抱く人はおるまいが、ギクッとさせられる人は多いのではないか。美しいだけが芸術ではない。

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 戦争が終わって時代は明るくなったのかというと必ずしもそうとはいえなかった(注5)。 朝鮮戦争や東西冷戦の激化、核戦争の恐怖が戦後の時代に暗い影を落としていた(注6)。そういう戦後という時代の抱える不安を描いた作品がMOMAT には多く所蔵されている。中野淳の《食卓》はそんな作品の一つだろうか(注7)。焼き魚が2尾皿に盛り付けられているが、それよりも黒い(黒こげになったのかとすら思われる)生首が目を惹く。その表情はうつろで生気は感じられない。食卓の上にあるものー焼き魚と生首ーから生命感というものが一切失われている。一方食卓の下から伸びる二本の手は必死にテーブルの天板をつかもうとしているように見える。生気のない生首と必死さを感じさせる身体。両者が同一人物に帰属するのだとしたら、アンバランスで不安を感じさせる。

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 独特の身体観を感じさせる作品といえば、フランシス・ベーコンの《スフィンクスーミュリエル・ベルチャーの肖像》を挙げてみたい。この作品の前に立つといつも肉体が溶け出していくような感覚を覚える。スフィンクスらしく上腕は下に置かれて固定されているけれども、それ以外の体の部位は激しく動いているように見える。激しい動きが身体の輪郭をぶれさせて肉体が溶け出しているように感じられるのだ。ここに描かれている人物はベーコンが通っていたバーの女主人だそうだが、これを見た本人の感想はどういうものであったのだろうか。想像するのも面白い。私はベーコンの絵の魅力は単なる美醜の枠を超えたところにあると思うけれども、自分がこんな風に描かれたら嬉しいという気持ちは正直湧かないかもしれない。
 この作品もそうだが、ベーコンの作品には額縁表面にガラスが挿しこまれていることが多い。鑑賞している時にはあまり気にならないが、写真には天井の照明が映り込んでしまっている。ガラスを入れることによってベーコンは作品と鑑賞者との間に距離を生む効果を期待したのだという。確かにベーコンの作品には鑑賞していると向こうの側から特定の解釈を拒絶してくるような印象がある。でも、拒絶されても何度も会いに行くことができてその度に考える機会が得られるのが常設展の良いところでますます通い詰めてしまう。

 ここらで一回打ち切りたい。MOMATのコレクションの充実ぶりはこんなものじゃないので到底紹介しきれない。日本画については一点しか言及していないし、彫刻や映像作品についても一切触れられなかった。戦争関係の絵に言及が偏った感も強い。二階に展示してある70年代以降の作品についても扱わなかった。これらの作品も面白いところがいっぱいある。今回は特に考えることの多かった作品を数点ピックアップしたに過ぎないので、また機会があれば他の作品も紹介したい。

 コロナ禍で人をたくさん集める興行としての特別展がなかなか難しくなっている中、美術館は模索を続けている。そういう時だからこそコレクションの充実は非常に意義のあることだろう。これほど通い詰めることのできる美術館があることは幸せじゃないだろうか。

 なんだか初回ということで張り切って長文になってしまった。もう少し簡潔に各作品を紹介してその分写真を増やす方が読者には喜ばれそうだ。むしろ鑑賞の蓄積があるからあれこれと御託を並べてしまったのかなと。反省である。noteの書き方に慣れていったらもう少し軽妙な感じでやっていきたいなぁ。

(注1)列強が設置した租界ではあるが、住民の多数派は中国人だった。特に「孤島期」の上海租界には戦災を逃れようと多くの中国人が租界内に流入した。
  (注2)  毛沢東を讃える革命歌で文化大革命時によく歌われた。バンドの江海関ビルからは15分おきに東方紅の一部メロディーが流れてくる。毎正時にはフルコーラスを聞くことができる。
  (注3)  同様の問題意識から戦争を描いた「美しい」日本画に山口蓬春の《香港島最後の攻撃図》(MOMAT所蔵)があってこれも印象的な絵なので展示されているときにはぜひゆっくり眺めてもらいたい。
  (注4)  実は藤田は純粋に想像だけで戦争画を描いたのではなく、若干の資料を用いていたことが分かってきている。
  (注5)  無論敗戦を新たな時代の始まりと捉えてそれに期待するような作品もある。MOMAT所蔵作品で例を挙げれば、原爆に関する作品で知られる丸木俊の《解放され行く人間性》などがある。
  (注6)  核兵器に対するメッセージ性の強い作品といえば、岡本太郎の《燃える人》がMOMATに所蔵されている。
  (注7)  同タイトルの小山田二郎の《食卓》も暗い食卓を描いた作品で、展示替え前には両作品を並べて展示していたように記憶している。両方を一緒に鑑賞できるチャンスがあれば、比較すると面白いと思う。

 今回の記事の執筆にあたっては、MOMATの展示説明のほか、以下の文献を参考にした。
 木之内誠編著(2011)『上海歴史ガイドマップ 増補改訂版』大修館書店。
 東京国立近代美術館(n.d.)『名品選 東京国立近代美術館のコレクションより』。
 東京都美術館他編(2018)『没後50年 藤田嗣治展』。
 

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