博愛主義者

私は、嫌いになることが、よくないことだと思い込んでいた時期がありました。


どうも。まろです。最近好き嫌いを意識するようになりました。私は、中学生の頃に人が怖くなる時期を経て、好き嫌いを避けたり、自己を主張して他者と争うのを嫌うようになりました。

それは時期を経て、人間関係の多くを経験し、恐怖心が薄れるうちに段々と治って行きましたが、やはり自己主張は苦手で、好き嫌いを避ける意識を完全に拭うことは出来ませんでした。

それがですね。今回の留学では基本的に一人で生活しており、日本にいた頃より、自分と向き合う必要に迫られ、また、不慣れな言語で自分が相手に何を伝えようとしているのか、改めて考え直す必要に迫られたことで一部改善が見られたのです。

今回話題に挙げるのは、感情のうち、好き嫌いについてです。

前述した通り、私は他者を嫌う、ことを避けてきました。実を言えば、煩わしく思う人間にはそれなりに遭遇しましたが、合わない人間は全力で距離を取り、相手のことを考えることをやめ、嫌いという感情を起こさないよう無意識に努めていたのです。

その結果、私は平和な友人関係の中で思春期を過ごしました。喧嘩や争いとは無縁の近かったです。争い事の雰囲気がしたら、私は真っ先に席を外したり、そのグループから距離を取っていたのですから。

メリットは以上ですが、最近気づいていなかったデメリットの存在をはっきり認知しました。

何故それがわかったかと言えば、私が少しづつ、「嫌う」ことをしだしたからです。

嫌い、だと私が心の中で認め、心の中にある人間関係(や学業等の実生活のこと)のフォルダに「嫌い」のリストを作り始めたのでした。

これをしだしたあと、私は「好き」に対して以前よりも強い執着を見せるようになり、好きなものと、好きでも嫌いでもないもの(興味ないもの)を以前より容易に区別できるようになりました。

裏返せばこれがデメリットだったのです。嫌いになれない私は、好きなものが希薄になってしまうのでした。

私は、未だ好きと興味ないものがこんがらがっている部分があります。ですが以前より、好きなものを見、興味ないものに割く時間を削ることができるようになってきました。メリハリのある選択ができるようになった気がします。


また「好き」というこだわりを自覚できるようになってから、人と会話するときに、話題選びがしやすくなった気がします。興味ないものにも意識を割いていた時は、選択肢が多すぎて、優先順位がつけられず、曖昧な状態でした。それが比較的マシになり、会話が以前より楽しくなった気がします。もちろん私の「好き」が相手の「好き」と合致するわけではないので、以前よりも人を選ぶようになりました。しかし興味ない話題をやり辛い思いで、相手に合わせて会話して苦労するよりは、気の合う人と好きな話題で会話した方がいいのは自明ですね。

また、自分のことを空っぽな人間だと思っていた時期があるのですが、自分の好きなことがはっきりしてくると、自分の中身にも気づいたような気がします。自分のことを空っぽな人間だと考える人は一定数いると思います。私の友人にもそう話す人がいました。もちろん私の解決策がすべての人に当てはまるわけではないでしょうが、私は改善した気がするので、もし自分の中身に疑問を持つ人間は、自分の好きと嫌いに耳を傾けてみるのはいかがですか。


はい。以上、内面がたりでした。デワ

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