スーパーヒーロー"でありたい"人の映画『ミスター・ガラス』

2019年公開映画5本中4位。

M・ナイト・シャマラン監督が贈る
まさに「スーパーヒーローでありたい人」映画。
スーパーヒーロー映画じゃないところがミソ。

ただ、設定は面白いんだけど、
話として面白いかと言われるとなかなか難しい。
いわゆる「よくも悪くもこの監督らしい」という、
内容の評価が難しいときに使われるフレーズがピッタリくる感じ(笑)

本作は2000年の『アンブレイカブル』、
2017年の『スプリット』の続編となる映画です。

『アンブレイカブル』は、
まったくケガやキズを負わない体かつ、
触れた相手の罪を見通す力を持つデヴィッド(ブルース・ウィリス)と、
生まれつき骨が弱く、ちょっとぶつかっただけで骨折してしまうが、
高いIQを持つミスター・ガラス(サミュエル・L・ジャクソン)の話。

『スプリット』は、24の人格を持つジェームズ・マカヴォイの話。
『幽遊白書』の仙水忍みたいな感じだね。

その3人が一堂に会したのが今回の『ミスター・ガラス』。
「スーパーヒーロー」と表現したけど、
最近流行りのマーベルやDCのように、
スーパーパワーで悪と戦うという話ではまったくない。

話としては、常軌を逸した力を持つ彼らが精神病院にぶち込まれ、
「スーパーパワーとかないから。思い込みだから」と、
その力ををまったく信じようとしない人々と、
スーパーパワーは実在するからそれを広く知らしめたい
ミスター・ガラスとのすったもんだがメイン。

個人的には、この映画(ひいてはこのシリーズ)の一番の特徴は、
ヒーローの扱いだと思っている。

例えばマーベルやDCは、
自らヒーローであると宣言することはなく、
まわりの人々が彼らをヒーローと認知していることが多いし、
世の中にヒーローというものが存在している、
というのが当たり前の世界になっている。

一方、こちらは、ミスター・ガラスが
自分を含めた特殊能力を持った人々をヒーローに仕立てたい
という想いありきから始まっているんだよね。
まわりからはヒーローと思われていないどころか、
そもそもそんな力があることすらみんな知らないのだけど。

ヒーローなんてものは空想のものでしかなく、
実在するわけないという世界が舞台。
そんな中で、ミスター・ガラスは自分の骨がもろい体質を見て、
「もしかしたら対極に位置する存在がいるのでは?」
と考えて、あの手この手で探していた(『アンブレイカブル』より)。

世界の多くの人々がもつ常識とはかけ離れた存在が実際にはあった。
だから、それを世の中に広く知らしめたいという
ミスター・ガラスの自己顕示欲というか
自分の考えるコミックの世界観やヒーロー観を知らしめたい欲が
すべての根底にある気がする。

そういう意味では、
コミックやヒーローを独自の解釈で描き切っていることから、
すごくユニークな映画と言える。

なんだけど、過去作見てないとまったくわらかないと思うので、
見るなら少なくとも『アンブレイカブル』だけは見ておいた方がいいです。
そこに出てる子役が成長して今回も出ているので。

ただ、いろいろツッコミどころはあるんだよなー。
ミスター・ガラスはどうやって病院内を自由に動き回れたのかとか、
これからシリーズが続くかと思いきや、
ラストの終わり方を見るに、これで完結っぽい感じがするところか、
いろいろ(笑)

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