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ペンがあっても林檎には刺さないだろ

ぬるいビールを飲みながら観る映画はそれなりな乙だ。よくぬるいビールなんて不味くて飲めたもんじゃないだのなんだの言うおっさんがいるが童心を忘れたのだろうか?そもそもビールとはクソ不味い飲み物である。あんなやたら苦くて高い飲み物は生物が摂取するべきものではない。ガキの頃親戚の集まりとかで知らねえおっさんに「ほれ飲んでみ」って言われて飲まされた時は最悪だった。(因みにここでいう知らねえおっさんとは親戚の中の誰かなんだけど名前が分からないおっさんとかでなく、爺ちゃんの友達のそのまた友達くらいのガチで知らないおっさんである。田舎あるある。)ああいう時だけおっさんって圧が強い。まあこちらもお小遣いを貰っているので強く逆らえないのですが…(何故かさらに小さい頃の俺を知っていて、成長した姿に感動し金を渡してくるのだ。勝手な話である。これまた田舎あるある。)金の力は何歳でも偉大だ。思えばあの時のビールもぬるかった。わざわざクソ不味いものをクソ不味い状態で飲ませないで欲しい。でもまあ婆ちゃんちで冷たいものなんて麦茶だけだった気がするのでおっさんも悪気があってぬるくしたのではないのかもしれない。そもそもうちの爺ちゃんが4Lボトルの安焼酎を飲んでる(その甲斐もあってか糖尿病で目が悪くなり入院した。そこらで一気飲みしてる学生なども今の爺ちゃんを落ちぶれぶりを見れば三日は酒を飲めないであろう。)のだからビールなぞ飲まずに安焼酎を飲めよ、と今になって思う。いかん、このままでは田舎の知らないおっさんの話になってしまう。話を戻そう。


ぬるいビールを飲みながら観る映画はそれなりな乙だ。もちろん映画による相性もあるだろうが。sawを観ながらビール飲みたい奴がいるだろうか?ここで飲みたいというやつはサイコパス診断でサイコパス風の選択肢を選びます。バカリズムが言っていたので間違いない。そもそもsawを観たがる奴にろくなのはいない。高校の時sawだのムカデ人間だのを好んで観ていた友人がいたけども、三年間塾に通い続けて最後にはしっかりと旧帝に入っていました。こないだ飲みに行ったら単位もしっかりとり続けているそうです。こんなのまともな人間じゃない。俺が酒やらなにやらに縋って縋ってなんとかやり繰りしているこの現実(何が現実(笑)だ、これ以上醜態をさらす前に死んだほうがいい。俺をゲームに招待してくれジグソウ。)を、彼は素面のまましっかりとした足並みで渡って行ってる。はっきり言って異常である。そんな彼がsaw観ながらビール飲んだとして誰が文句を言えるだろう。ガキの頃母親に飲みすぎと叱られながら肩身の狭そうに酒を飲む父親を見て「何故叱られてまでして飲むのだろう。」と疑問に思った思い出があるが、彼がsawを観る理由と似たようなものだったのではないだろうか。そんな人それぞれのちょっとした息抜きを何の権利があって池袋で吐いてるだけのでかめの生ゴミが非難できるだろう。sawでビール、存分に飲んだらいいじゃないか。いやまあ彼がsawは観ているのは事実だが観ながらビール飲んでるかどうかは知らないのだが。今調べたら八作品も出てるらしい。saw。sawってそんなに観たくなります?八作作り続けた制作側も律儀に観に行くファンも殊勝なものである。いかん、このままではマイナーでもメジャーでもないスプラッタ映画の話で終わってしまう。話を戻そう。


ぬるいビールを飲みながら観る映画はそれなりな乙だ。乙ではない、あくまでそれなりである。では”それなり”で無い乙とは何か、と問われるとそもそも乙という言葉の意味がどんなのだかも良く分からないのが現実である。そこで取り出したりますはインターネット。便利なものである。グーグル御大によりますと”気が利いていて、ちょっといいと思わせるさまなどを意味する表現”とのこと。おおよそ自分の思っていた乙と同じでホッとする。乙。この定義に従って自分の経験した一番乙い体験を脳内で検索してみるもこちらはグーグル御大と違ってポンとは出てこないものだ。しばらく思い詰めると、女性との会話にヒントがあるのではないかと思い始めた。というのも自分の知る乙な男というのは大体にして女性との会話が上手であるからだ。思うに、彼らは女性との会話の本質を見抜いているように見える。よく女は共感を求める生き物とか言う。それが関係あるかは知らないが、女性にとっての会話とはその時々に欲しい一言を相手に探させるためのゲームに過ぎないというのが俺の論だ。自分にもよく分からない心の内を言い当てる一言を求めて会話をするのだ。よく女との会話がつまらないという男がいるが、女性がしているのは会話でなくゲームなのだから当たり前の話だ。ルールを知らないやつが悪い。ともかく、その女の持つ一言というのは時に共感や励ましであり、時に愛であり、時に別れであったりするのではなかろうか。乙な男というのはそういった言葉を即座に理解した上で相手が一番欲しがるタイミングで渡している。対する己はと言うと分かった瞬間からその言葉は一切言わなかったりするわけである。それどころか真逆の言葉を言い放ってしまったりする。「なんで俺がお前の思い通りに動いてやらなならんのだ!」と心が叫ぶのだ。もう乙がどうこうの騒ぎではない。思うに、気を利かした風を装って相手のことを分かっている感じを出す人間が大嫌いだからだろう。つまり俺は乙な男なんか大嫌いなのだ。Boys be kusokimoDT。少年よ、女を抱こうとするな。いかん、このままでは結局何が言いたかったのか分からないままこの文が終わってしまう。つまりこの文で言いたいことはというと、実家の居間でビールを飲みながら観るStand by meはそれなりの乙だということである。

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