日本アイスホッケーの歴史(2)

日光アイスバックスは、発足から2年で当時の運営会社が撤退。
最終的は地元の実業家である故・高橋健次さんが運営会社を発足して、チームは継続。
しかし、廃部した札幌の雪印を前身としたクラブチーム、「札幌ポラリス」は発足初年度は雪印からの資金提供で日本リーグ参戦を果たした(リーグ5位)ものの、翌年は雪印からの支援なく、運営資金が確保出来ない事から2001-02シーズンの第36回リーグを以って日本リーグから撤退。これにより2002-03シーズンの第37回リーグは5チームによるリーグ戦となった。
さらにリーグ終了時に西武鉄道が廃部となり、西武鉄道とコクドにチームが統合される形となり2003-04シーズンの第38回リーグは参加4チームとなった。これに伴い、リーグ戦は各チーム8試合総当り戦から、前期・後期各4試合総当り戦となり、前期・後期の1位チーム同士で5戦3勝制のプレーオフを行う。しかしこのシーズンは前期・後期ともコクドが優勝したため、プレーオフは未開催であった。

第36回リーグまではCS放送のスカイ・Aが全試合を放送していたが、第37回リーグ以降は一部試合のみの放送となり、最終的には2006-07にて放映から撤退してしまう。
またこのシーズンは、フジテレビで放送された月9ドラマ「プライド」の影響でアイスホッケーが一時的に注目される現象がおきた。ロケ地は新横浜・東伏見・日光のリンクが使用されている。

4チームとなり今後の運営に不安が生じた日本リーグ。そこに誕生した新リーグ、「アジアリーグアイスホッケー」がスタートする。参加チームは韓国の「ハルラ・ウィニア」(当時)のみで、韓国もチーム数が少なくまた今後の冬季五輪招致の機運の高まりもあり、アイスホッケー競技の強化が目的としてあったという。「アジアリーグ」の名の通り、プロリーグでは珍しい国際リーグの形式であり、将来は韓国・中国・ロシア極東地域のチームの参加を視野にいれたリーグであった。第1回のアジアリーグアイスホッケー2003-04は、4試合の総当たり戦で日本リーグの前期・後期の間に開催され、初代王者は日本製紙クレインズとなった。

2004-05シーズンはアジアリーグが本格的に始動し、参加チームは日本が4チーム、韓国1チーム、中国2チーム、ロシア極東1チームの8チームが参加。
各6試合総当たり(1チーム42試合)となり、日本リーグは休止、事実上アジアリーグへの統合となる。レギュラーリーグは日本製紙クレインズが1位、2位にコクド、3位にゴールデンアムール(ロシア極東)、4位に王子製紙となり、この4チームでプレーオフが行われ、コクドが優勝する。
チーム数は増え、また競技レベルの高いロシア極東チームの参加はよい影響を与えたといえるが、中国2チームは7位のハルビンが7勝、8位のチチハルに至っては1勝しかできず、競技レベル差が大きい事も課題となった。

2005-06シーズンはゴールデンアムール(ロシア極東)が親会社の経営問題から不参加。だが韓国に新たなチーム・ カンウォンランドが発足。また中国に北京に本拠地を置き北欧国籍の若手選手を中心とした「ノルディック・バイキングス」が発足してリーグ参加。
レギュラーリーグは9チームの各4試合総当り32試合に加え、各国内でのチーム同士でのグループゲーム6試合で計38試合という変則スタイルとなった。グループゲームとは、参加各国のアイスホッケーファン確保と、ホームタウンの充実、より力の拮抗した試合を行う目的で行われた。
(出典:Wikipedia:アジアリーグアイスホッケー2005-2006)

レギュラーリーグ1位は日本製紙クレインズ、 2位は躍進した韓国のアニャンハルラ(←ハルラ・ウィニアから改称)、3位コクド、4位王子製紙)、5位ノルディック・バイキングス、6位日光神戸アイスバックス(←運営会社の移行から改称)となり。この6チームでプレーオフが開催され、優勝はコクドであった。

2006-07シーズンはノルディック・バイキングスが1年で撤退。中国の2チームはそれぞれ本拠地移転し、ハルビン→浩沙に、チチハル→長春富奥に、そして名門コクドはSEIBUプリンスラビッツとそれぞれチーム名を変更した。レギュラーリーグは各8チーム4回戦総当り(28試合)+グループリーグ6試合ずつの34試合開催となる。

この年のレギュラーリーグも1位は日本製紙クレインズ、2位にSEIBUプリンスラビッツ、3位に王子製紙、4位に韓国の先輩チームを追い抜いたかんウォンランド、5位アニャンハルラ、6位日光神戸アイスバックスとなる。
このシーズンの悪しきトピックとして2006年12月3日の 日光神戸アイスバックス vs 長春富奥 4回戦の没収試合がある。試合を一方的にリードしていた日光神戸アイスバックスに、長春の選手が激高し乱闘になったが日光神戸の選手は滞氷中選手6名のみが乱闘参加に対し、長春はベンチから全ての選手が乱闘に参加するというあってはならない事態が生じた(アイスホッケーの場合、事案発生時にリンクにいた選手の乱闘はあるが、決してベンチから乱闘に参加してはならない)。このため長春富奥側へもマッチペナルティを課せられ、さらに長春富奥側が抗議したため没収試合となり日光神戸アイスバックスの勝ちとなっている。
(出典:Wikipedia:長春富奥氷球倶楽部)
これはスポーツとしてあってはならない事であり、当時の中国チームの競技レベルやスポーツマンシップの意識の低さが取沙汰された一件であった。

プレーオフでの優勝はついに日本製紙クレインズとなり、2位にSEIBUプリンスラビッツ、また日光神戸アイスバックスはプレーオフ第1ラウンドで王子製紙を下し、プレーオフ初の第2ラウンド進出となった。

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?