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天国でもバク転を

「学校帰りの森かげで〜僕にかけ寄りチューをした〜」
こんな、当時小学校の3年か4年の男子にとっては刺激的な歌が先だったのか。
それとも、「8時だよ!」とあの威勢の良いかけ声が先だったのか。
彼らを知ったのは、どちらからだったろうか。

土曜日の8時はそれを見ない選択肢なんてなかった。
そして、それが終われば土曜日といえども、お子様はおやすみなさいだ。
ごくまれに、父の機嫌が良ければ、あるいは誰か親戚が遊びに来ていれば、その後のキーハンターも見せてもらえる。

ザ・ドリフターズ。
もちろん、その頃は、彼らが元々は音楽バンドで、ビートルズ来日の際の前座を務めたことなど、そして、その時に「のっぽのサリー」を仲本工事のリードボーカルで演奏したことなど、知るよしもない。

当時は、リーダーのいかりや長介、加藤茶、高木ブー、荒井注、そして仲本工事。
後に、志村けんが、荒井注と入れ替わりでメンバーに加わる。

大人も感心するような大がかりなセットでのコント。
終わるとセットが回転して、アイドルが現れる。
その後は、合唱隊などのショートコント。
加藤茶の「ちょっとだけよ」は、さすがに親の前では笑えなかった。

今でこそ、男性アイドルは、ばんばんバク転をしているが、当時の芸能界でバク転ができるのは限られていた。
僕の記憶が正しければ、仲本工事、あいざき進也、そして、フォーリーブスの北公次、この3人だけだった。

子供の頃に人気絶頂だった人が、ひとり二人と亡くなっていくのは、会ったことのない人でも寂しいものだ。
こちらもそれだけ長く生きているわけで、病気であれ、事故であれ、受け入れるしかないのだけれど。

ザ・ドリフターズのメンバーも、加藤茶と高木ブーの2人だけになってしまった。

仲本工事さんのご冥福をお祈りします。

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