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「ファイティング眞子」だったのだねぇ。降嫁騒動で思う事

ようやく入籍も記者会見も終えて、明日からは騒動が収まることを祈ります。それはこの件で小室夫妻を擁護するとかではなく、いま日本で議論すべきはそんなことじゃねえ!という意味で。
でも、まあ、今回の騒動で思ったことをまとめておきます。私は臨床心理を専攻したのもあり、「ちょっとズレてしまってる人」「こじれてしまった人間関係」の底にある心の動きを考察するのが好きなので(悪趣味だと思いますが)その視点からまとめてみたいと思います。意外に報道でこの辺りを論じられてないので少数派の意見なのだと思うのだけれど。

経済の停滞とコロナというバッドタイミング

バブル崩壊以降長期の停滞期を経て、富裕層のみが儲かるアベノミクス期に入り、日本は貧富の格差が開く一方の国になった。所有する人に富が集中するという悪循環。庶民は健康でまじめに働いていても将来への漠然とした不安がずっと付きまとう。GDPは3位をキープしていながらも国民の平均年収は20位圏外にまで落ちているのが今の日本の現実。
社会不安は怒りや妬みを生み出しやすいのはご存じの通り。そこへきてのこのコロナ禍。夫妻が結婚の延期を発表してから今日までで3年半だそうだが、その期間のうちコロナに世界が振り回されているのが1年7か月。もともとの不況に加えてさらに経済的危機にさらされる人も続出し自殺者も増加。そうでなくても不自由な生活を全国民が強いられている。その期間に結婚騒動の半分がかぶっているのは不幸であったと思う。行き場のない怒りは「怒りをぶつけても良い相手」に向かう。

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これが今回の騒動の年表だけれど、コロナが本格的になったのが2020年の3月。コロナの感染が収束を見せるどころか、拡大するたびに感染者数や死者を増やしていき、不安を感じているさなか、火に油を注ぐように政治家・専門家の失言、失態が続出。政府の対応は後手にまわり経済大国のはずがワクチンが遅れに遅れた。まさにその期間と夫妻へのバッシングの加速が重なっている。小室夫妻の問題への対応ももちろん悪いが、それよりもタイミングが国民感情を悪化させたのは間違いない(それをしているのはメディアだけど。これは後述します。)
そのうえ、結婚自体がコロナ感染者数が落ち着いて、メディアやネット民がが話題に飢えているタイミングというのも最悪。
タイミングが悪い、というのもその人の資質ではあるが・・・。

守谷慧さんとの違い(広告界ではNG素材の小室氏)

では、小室夫妻よりあとに婚約発表をしてとっとと結婚、男児までもうけている守谷氏と高円宮絢子さま夫妻との違いはなにか。
小室夫妻より約1年後に婚約発表、時間をあけずに降嫁となった。記者会見も好感度高く報道され、結婚の式典以降は男児出産の際くらいしか報道に出てくることもなく今に至る。 
見出しに「広告」と書いたが、何のことか?
CM・広告界「垂直・水平の視線」というワードがある。人間とは、仰ぎ見る存在、また真下に見下す存在に嫉妬は覚えないが、水平もしくは少しだけ良い存在には覚えるものらしい。CMは架空の世界や家庭を描くことが多いが、その設定に嫉妬を覚えられたら売りたい素材は視聴者に受け入れられないのだそう。
極端な例えだと「高須クリニック」のようなヘリに乗ってドバイを飛び回るとか、香水CMのモデルが10頭身くらいで、他の生物なんじゃないかというほど美しいとか、自分には遥かとどかない設定であると、CMしてる素材自体へ素直に憧れたり購買意欲がわくが、これが、自分ちよりちょっとだけ広い家で、自分の奥さんよりちょっとだけ美人の奥さんのいる食卓で鍋素材を使って食卓を囲んでいるのではだめなんだそうだ。
その「ちょっとの差」が人間の奥底にあって普段は抑えている嫉妬の感情を刺激するらしい。脳科学者の中野氏も言っていたが、自分に近い(間柄や地位・才能・人間性などを含む)人物が成功を手に入れた場合に、「自分でも手に入れられたのでは」という思いが嫉妬を強くする。
広告の話が長くなりましたが、小室氏と守谷氏の差はここにある。
皇女を嫁にする人は本来仰ぎ見る存在でなければならなかったところ、小室氏は片親で(片親が悪いわけではない)、その親が庶民の様に金銭トラブルを抱えて、大変恐縮だがお世辞にも上品とは言えない御様子である。週刊誌の報道が小室氏を仰ぎ見る存在から庶民の水平視線に引きずりおろし、嫉妬の渦が夫妻を襲うことになった。自分と変わらぬ庶民が何の努力もなく、皇室の威光を背によい生活を送ることへの嫉妬を呼び起こしたのだ。
表には出ないけれど、守谷氏だって、大なり小なり皇室の威光はついて回るはず。それには嫉妬を覚えないのは、もともと「自分とは格が違う」存在だからだ。
小室氏はCM素材としても大NGな存在であった。

実は戦う皇女 ファイティング眞子さんが陥っていること。

それほど暇ではないので今日の会見もリアルで見てはいないけれど、眞子さんはかなり戦闘態勢だった模様は伝わってくる。
「世間知らずな姫様がダメ男に騙されてる図」というのは変わらないのだけど、今日はっと思ったのは、眞子さんは、この結婚のことよりも前から、ずっと戦ってきていたのかも、という事。今上陛下の子の世代としては第一子。しかし男子ではなかったというプレッシャーも受けただろうし、同時期に大バッシングされた雅子皇后の姿も見てきたはずだ。もしかしたら眞子さんにとって、皇族としての人生はずっとファイティングポーズで過ごしていたのかもと。なので今回の降嫁騒動で国民に(正確には報道に対してだと思うが)敵対姿勢を取ったのも、眞子さんの人生で今始まったことではなく、むしろ最後の戦いであったのかも。今日の表情や回答には、これさえ終われば、もう戦わなくて済む、勝利しなければという意気込みを感じた。手段を選んでいられない!というのがPTSDの発表であり誹謗中傷という用語の利用であったと思う。
 そんな眞子さんはもう冷静でないなと思うのだが、それを的確にさす表現がある。
「幻想的願望充足」とも言うようだが(私の学生時代にはなかった用語だけど)「ある1つのの願いや目的が叶ったり達成すれば、全ての問題が一挙に解決し幸せな生活がずっと送れると思い込んでしまいその1つのことに固執してしまうこと」を指す。ずっと幸せでありたい願望が強すぎて現実との混同が起きてしまっている。
今回のことで言えば、小室氏との結婚が成り、これまでの苦しいことが全て終わると願うあまり、現実の小室氏の素質や、その戦いの終え方の美醜にまで考えが及ばない状態であると思われる。
眞子さんが拳をおろすのは一体いつで、その時目の前には幸せな光景が広がっているんだろうか?

誹謗中傷をしたのは国民ではなくメディアだと言えば起死回生だったかもしれない。

今回の騒動で一番驚いたのはメディアの醜悪さだ。
眞子さんは「国民の誹謗中傷」と表現したが、その誹謗中傷を起こさせたのは「メディア」である。小室母が借金しようが傷病手当をちょろまかそうが小室氏がちょんまげで帰国しようが、報道さえしなければ暇なネット民ですら、誹謗しようがない。 小室母子を怒りぶつけていい対象として育ててきたのはメディアそのものなのに、結婚が決まってからの手のひら返しはどうだ?オリンピック反対の返しよりもはるか上を行っていなかったか?
 「国民の不寛容」?「一億総いじめっ子」?「もう祝福するべき」え??中傷を煽っているのはメディアでしょうに、どの口が、と私にはそちらの方が恐ろしくなった。
 今日の会見は、眞子氏の国民への捨て台詞のようになってしまったようだが、この4年のどろどろを大ドンデンできるとしたら、こうだったのではないかと。
「国民の皆さん、どうか報道を信じないでください。誹謗中傷を起こしたのは国民の皆さんではない。私どもの説明不足と、メディアの、分断を煽る報道体制でした。私たちはここを去りますが、報道によるさらなる被害者が出ないことを祈ります」
なんて、予告もなく発言されたら、さぞ報道は泡食っただろうと思う。
時には小室夫妻、時には誹謗中傷する国民を悪者にし、両者を分断し、視聴率やPVを稼いできたその姿勢を皇女に指摘されるのは長い皇室報道の歴史の中でも初めてのことになっただろう。ファイティング眞子さんには最後そこまでしてドアを蹴って退場くらいしてみても良かったかもしれない。それを小室氏が目を丸くして見つめてたら最高だ。

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