生きる / Alive
ブログから離れていた間に初めて身内の「死」を経験した。
どこかでそれを文字化したい気持ちがあり、今日はそれを書きたいと思う。
※嫌な気持ちになってしまう人もいると思うので、そのような方は読むのを今日は控えてほしいです🙇♂️
それは大きく3つあった。
1つ目は、父方の祖母が亡くなったこと。
受験やコロナを理由に2年以上逢いに行ってなかったおばあちゃんだった。
生まれて初めて、葬式と火葬に参加した。
小柄な優しい人で、笑顔で毒舌を言うところが最高に好きだった。
そんなおばあちゃんが、死化粧をされ、棺桶に入れられていた。
もう笑って毒舌を言ってくれないんだ、と身体の奥がヒリヒリするくらい実感した。
頬に触ると冷たかった。
この日から死相(死んだ人の顔)が分かるようになった。
葬儀のお経に心を震わせられ、涙がでた。肉体と精神と仏。宗教ごとで異なるとは思うが、「人の死」を綺麗事だけでなく実感した。これが生まれて初めての経験になった。
2つ目は、父の躁鬱の悪化。
父の状態を直視したのは、父方の祖母のお葬式に父を連れていくべく、帰省した時だった。
ほぼ寝たきりで、お風呂やご飯は誘導しないとできない状態で、酷い痩せ方をしていた。
喪服を着た姿を見た時の衝撃は忘れられない。
猫背で、髭や髪はみすぼらしい状態になり、目は虚ろで、酷く痩せた状態だった。
父を車に乗せ、亡くなった祖母への気持ちよりも、父に対する娘としての感情を押し殺しきれないまま、葬儀場に向かった。
葬儀場でも、次男である父が本来立つであろう場所に、父は立つことが出来ず、1番後ろから参加した。その後のお別れや火葬前後は、父の兄妹のおじさんやおばさんに助けてもらいながら、できるだけ父が前に出れるようにアシストを心がけた。
最初は早く帰ろうと言っていた父だったが最後まで参加し、葬儀後は行き道よりも話すようになったり、自宅に帰ってから髪と髭を一緒に切ったり、少し元に戻った父の姿を見ることができた。
それから、数ヶ月経ち、今は買い物や犬の散歩で家の外に出れるようになったが、まだ働くことは出来ていない。
父の鬱との付き合いは10年以上になるが、今回が1番酷かった。
家族としてサポートしていく方法を考えなければならないのと同時に、私が感じてしまった「生きている人の死」を自分の中で咀嚼していかなければ、次にまた悪化した時に、「社会」と父との関わりを繋ぎ止めるためのサポートをすることが出来ず、孤立させてしまうのではないかという恐れを感じている。
3つ目は、脳内出血で倒れ、入院中の母方の祖父のこと。
倒れた時は、翌日まで持たないとICUのお医者さんに言われたが、なんとか一命を取り留め、今はリハビリをしている。
ただ、コロナの影響で私は半年以上逢うことができていないし、話を聞く限りでは記憶があまりなく家族を覚えているかも怪しいようである。
もちろん祖父の生命力に心から感謝しているし、逢えることを心待ちにしているけど、自分の存在を忘れられていた時に、孫としての感謝や好意をもう伝えられないことに耐えられるかどうか分からない。
それに、母方の祖父母はどんなことがあっても延命治療はしたくないと言っているため、もし急変したら最悪もう二度と祖父の体温に触れることは無いかもしれない。
私はこの「迫り来る死」と「祖父の中での私の死」に対する覚悟がまだ出来ていない。けど、するしかない…。
まだ向き合っていかなければいけないことは多々残っているが、、、
様々な「死」との出逢いは、生きていることのかけがえの無さを痛いほど教えてくれた。
一期一会の出逢いを大切にし、これからは新たな家族との関係を築いていきたい。
2022/09/09 23:58
※最後までお読み下さり、ありがとうございます。異なる価値観が多く存在する話題だと思います。他の考えを否定するものではなく、わたしも今後変わっていくと思います。ご理解いただけると幸いです。
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