師走の候
ごきげんよう。
わたしは約8年越しに日記というものを再開してみた。
この記事を閲覧している者は既知の通りだが、
わたしはTwitterというツールをここ10年近く使ってきた。
しかしこれほど生産性のないツールをこれ以上使い続けることに、
心理的な負荷が日々累積し、そろそろ限界を迎えているこの頃。
Twitterというものは、見たくもない画像や文章が何の前触れもなく、
わたしのような心身弱者の前に飛び込んでくる、
いささか理不尽なツールで、その危険性に関してはつくづく実感している。
その危険性を認識しながらも使い続けてきたが、
とうとうここ数週間で心身ともに限界を迎え、
久しくブログというものを再開してみようと考えた。
しかし以前わたしが使っていたAmebaブログは、
どうも書こうという気力が今しがた起こらない。
なぜならもう10年以上前からの付き合いで、
恒常的に飽和状態に陥っていたためだ。
であれば、ブログサービスそもそもの鞍替えが必要だと判断し、
noteを選んでみた。
初めてこのnoteというもので記事を書いているが、
構造がかなり簡素化されていて使いやすい。
ひとまずこの1か月間、
できるだけ毎日日記を書いてみることを心がけてみる。
なんでもいい、この日記を毎晩書き記すという習慣を、
どうも身に着けてしまわねばならないと感じている。
これまで、やめてからも何度か再開しようと試みたものの、
結局3日坊主で終わることが多く、
一度辞めると決め込んでしまってからの軌道修正力は、
どうもわたし自身の弱みであることがわかる。
ブログサービスの鞍替えもある種続けていくための大きな転換点だろう。
さて、早いもので今日から12月
この国は、なぜか年末年始が異常に忙しくなる。
信者でもない世界中の人間が総出で祝杯を挙げる、
行事そもそもの意味合いが形骸化した、
クリスマスというイベントも、
イエスキリストが生きていたら是非とも感想を聞いてみたい。
きっと、図々しいにもほどがあると答えるだろう。
わたしの毎年12月といえば、
もちろん行こうと思っていた場所を行き納めしたり、
パート先のスーパーマーケットが異様に忙しくなり、
理不尽な客共の要望に上っ面マリア様面で裁き、
年末には小町寺の小野小町の像のごとく死んだような面になる。
そして大みそかには仕事納めに行きつけのインド料理屋で、
チーズナンセットをいただき、年越しとともに甘酒作り。
そして翌朝は家族総出で墓参りのあとは、
国道の焼肉屋というスケジュールはここ10年ほど変わりやしない。
しかし早いものでもう12月
本当に早いものだ。
ここ数日は、年末までにどこへ行こうか、
どういう経路の路線バスに乗って、
どこでどういうものを食べて、
どういう冬景色を見て現を抜かすか、
そんなことばかり考えて過ごしている。
はたまた吞気な人生だ。
さてそろそろ寝よう。
今年もあと1か月、わたしは全力でマリア様に祈る。
さくらい まりあ