とりとめのないこと(7/8‐9)

昨日は帰ってからずっとベッドにいた。あんまり記憶がない。お酒を飲んだり泣いたりした。テレビ東京がいつも通りで安心した。

今日は起きたら朝イチで献血に行こうとおもっていたのに、朝3くらいの時間に起きたので諦めた。今日行くといろんな数値が悪そうだし。
せめて図書館に本を返すのは今日しよう。すでに延滞している気がするけどこわくて確かめられない。ごめんなさい。
期日前投票、しておこうかな。明日でもよいのだけど。

当たり前の義務であり、時代や国によっては当たり前でない権利だとおもっているので、投票は欠かしたことがない。たぶん。
でも意識的にそうおもっていないとどうでもよくなりそうなので、言い聞かせている部分もある。
投票に限らず。一般的な成人の生活に関わること、一事が万事そんな感じ。

話は飛ぶけれど、当たり前のことを、意識せず当たり前にできているひとってどれだけいるんだろう。

母親から昔、「あんたはできるからいいだろうけど、できない人もいるんだから」と言われたのをずっと引きずっている。
姉妹と比べてのことだった。わたしはふつうの社会に馴染める子。当たり前のことを当たり前にできる子。あの人たちはふつうに生活できなくてかわいそう。そのための努力や工夫が苦手でかわいそう。

母親から毎日のようにたくさんLINEが来る。無視したいわけじゃないけど、うまく返せる気がしないのでほとんど返せていない。
と正直に伝えると「べつに返さなくていい」と言っていた。返信を求めないなら家庭内の詰んだ話を延々送ってくるのは何なんだろう。
残酷な言葉がいくらでも浮かびそうになるのに蓋をしてる。わたしは母を否定したくない。
(ほんとうは、否定しないと向き合えないこともあるのかもしれない)

家には明るい話題がなさそうなので、楽しいことをした時は母親に逐一知らせていた。めちゃくちゃいい年して。なんとなく、そうしなきゃいけない気がしていた。あなたの娘はふつうに暮らしてますよ、と。
大抵水を差すようなことしか言われないのに。
先月くらいからようやく、言わなくてもいいかとおもうようになった。

なにか大きな、猟奇的な事件が起こったとき、自分がそうはならないと当たり前に信じることができない。身近にそんな人がいても、気付いてあげられる自信がない。

今回の犯人の心理や政治思想はまだ出ていないけれど。どんな事件であっても、大抵はそこに至るまでに踏みとどまるポイントがいくつもあって、全部間違った結果が凶行として表れるのかなとおもっている。
誰かがそこで関わっていればあるいは、と無責任におもう。自分は身内にLINEすら返せないのに。隣の部屋の人の素性も、職場の人が会社を出て何をしてるかも知らないし知りたくないのに。

ひとつもいいことが書けなかった。
そういう日もある。明日は楽しい予定があるので、それまでに持ち直せますように。


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