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多賀城市

私の出身地、宮城県多賀城市

写真は東日本大震災から4ヶ月経ってから
地元に帰った時に撮った

砂押川からの景色は綺麗だった

あの日の夕方のニュースで
「あぁ、こりゃダメだ」
って思った

一般の方の提供の津波映像で
「えぇーこんなになるの」
「こりゃあダメだな」
文字にすると何かあれなんだけど
そんな言葉が聞こえてくるものがあった
本当にその言葉が出てくる地元の方と
同じ言葉が出てくるくらいには
ちゃんと地元が好きなんだと思ってる

地図を見れば多賀城市が
いかに海から近いかが分かるけど
正直なところ津波が来るなんて思わなかった

大きな地震直後で震源地方面の実家に
電話なんて繋がるわけがない
でも、何か大丈夫な気がしてた
建物倒壊の心配はさほど感じなかったのだ

揺れの直後にかけた電話が繋がらなかった

しばらくしてニュースに映る
同県内のあの映像

おそらく何もない田んぼや畑で
地元にいた時にニュースで時折ある
田んぼや畑の映像を見て知ってる場所
知っている土地

そのはずだった

そこは黒い塊が押し寄せるだけの映像だった
だから、電話は繋がるはずがないと思った

揺れの直後からもう電話はかけていなかった
私よりも周りの方が心配していた記憶がある
もはや諦めなのか開き直りなのか
実家は間違いなく津波で浸水している事は理解できた

当日の夜中に母から電話がかかってきた
向こうも繋がった事に驚いていたが
幸いにも安否確認が出来たのだ

そういえば宮城県沖地震の時の津波は
実家の車の半分くらいの高さまで水がきた
そう祖父が言っていた記憶がある

実家は砂押川の目の前だ

でも台風やらなんやらで洪水警報が出ても
砂押川から仙台港方面に傾斜が下がっているので
実家は床下浸水にもなった事がなかった

だから何かピンときてなかったし
そんなに水が来れば
うちよりも仙台港方面に傾斜を下る
平屋は丸々のまれるくらい
なんじゃないかと思われる
だからこそ現実味がなかった

それがあの日の夕方のニュースで
ああ、本当だったんだ
と納得したんだ

海から直線距離で言えば
さほど離れていない事は知っていた
でも海が見えるわけでもない

ただの住宅街だ
やや内陸部に向かって傾斜があがる
ただの平地だった

しばらく余震もあったし
交通機関も余裕はない

こっちは大丈夫だからしばらく帰って来るな

私が実家に顔を出せたのは
4ヶ月後、実家もリフォームが終わった後だ

砂押川からの景色は綺麗だった

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