占術家は予言者じゃないから

 ヘンな言い方になってごめんなさい。でも正直な気持ちを書いておきたいと思ったんで。

 むかーしむかし、アセンブラが読めるってすごいカッコイイみたいな時代にわたしはハッカーみたいな人々と仕事をしてました。彼らの会話の内容がわたしには解らない、それ以前に、喋っている言葉そのものが機械語に聞こえました。

 それと同じ理由で、占星術技術者の言いたいことは、占星術の研究者同士でないと正確には理解できないと思うのです。

 それなのに占星術で読み解いた結果は占星術用語を使わないで説明できないといけない。もし説明が下手だと誤解される。説明がうまくいったところで当人に都合の悪いことは不愉快だと言われる。その意味で占星術家というのは常に不利です。
でもだからこそわからないものはわからないと言い、答えられない質問には答えない、見切りの良さも求められると思います。

 わたしは数年でプログラマーから営業・顧客サービス・マーケティングなどへ転職しましたが、何回転職してもけっきょくは、ずっと、専門用語で話す技術と、そうでない人たちや顧客との間にはいって意思疎通をはかるポジションで働いていました(それがどれほど今の鑑定に貴重な経験となっていることか!)。その経験と今が似ているのは、インド占星術の専門用語とか象意は元々、古典的なインド哲学や価値観によって造成されたもので、その英語訳を日本語訳にしたものだったりします。ゆえに、今を生きる日本の人に実用的な鑑定をする場合には、そういった細かい罠にはまらずギャップを乗り越える工夫が要ります。そのギャップを超える時に嘘をつかずに、誠実に乗り越えていくことが大事だと思います。
 わたしが極めて不誠実だと思ったケースは、インド的な概念で悪い予言をされて(暗示的に宿命論になって)心を弱くしている人を見た時です。その鑑定家に悪意は無いのでしょうけど… そんな不意打ちみたいな意地悪をずっと気にしてしまうくらいなら、当たらない占術に裏切られる方が健全に生きられると思います。

その意味で占術の的中率というのは
研究家の技法によって高まる部分と同時に
占術を支える原理や本質と、そして生命の原理に向き合っている度合いによって高まるのだろう

最近は本気で思っています。

アセンブラはコンピュータと会話するときにしか使えない言語。それが使えることは素晴らしい技能のひとつだけれど、それを現実にどう活かすのかは人間性だからです。

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