葬儀に行かなかった後悔と、私の決意
後悔というものを滅多にしないたちだが、去年のことでひとつ今でも悔やんでいることがある。
祖父の葬儀に行かなかったこと。
毎年一度は一時帰国している私が、一昨年は二度帰国した。
一昨年の春先に一度帰った。その後急にいとこの結婚式に招待されて、11月にまた帰ることになった。
年明けの1月。家庭菜園を始めた。ニュージーランドは夏。良く晴れた日だった。初めての苗を植えて、パートナーと一緒にいいね、いいね!と庭で喜んでいた。
姉からの着信に気付き、いつもの他愛もない長電話かと半ば呆れつつかけなおしたら、祖父が亡くなった知らせだった。
植えたばかりの新しい命。去っていく命。
なんというタイミングだろうか。
家族は私に帰国するように言わなかった。それは私の意志に委ねられていた。今振り返ると、すぐ帰ってこいと言って欲しかった。ただ、それは私が自分の不甲斐なさを他人のせいにしたいだけかもしれない。
葬儀というものは忙しいのを知っている。父と不仲な親戚に会わなければいけないのも私の気持ちを曇らせた。私がいいと断っても、母は地元からはるばる空港に迎えに来ようとするだろう。どんなに忙しくても。余計に疲れさせるだけかな。そして長期休暇をもらったばかりなのに、職場は今忙しいのに、また休みをお願いするわけにはいかない・・・。
色々な考えが頭をよぎった。
そうして私は帰国しないことに決めた。
今思えば、あの時頭に浮かんだ考えは全て言い訳のように見える。葬儀は一度きりだ。全てがつまらない理由に見える。私は逃げたのではないか。
しかし、全て過ぎてしまったこと。
コロナで昨年の帰国はかなわなかった。
祖父の後を追うようにして、祖母が3か月後に亡くなった。その頃は既に国を行き来するのは問題になってきていた。そうして私は結局、大好きな祖父母ふたりの葬儀に参列しなかった。
私のこの後悔の気持ちは、次に帰国する時に変化するかもしれない。お墓詣りに行って、多くの荷物が処分されたふたりの空っぽになった家を訪ねて、実家に運ばれた仏壇と二人の遺影にお線香をあげて、お盆に悼んで。続きがある。私にはまだ出来ることがある。
早く日本とニュージーランドを自由に行き来できる日が戻ってきてほしい。そしてそれに向けて、私は更に自分を成長させて、家族の役に立てるようになっていよう。