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不完全を遊ぼう、不幸を笑おう

 
ヘラルボニーとよしもと新喜劇のこの取り組み。

「障害のあるアーティストが自分の視点から人気芸人の肖像画を描き、その個性のある作品たちを商品化するアパレルブランド」

「DARE?」

肖像画としては「完璧」なものではない。形が不可思議だったり、普通は使わない色使いだったり。それを「だれ?」と笑いながらお笑い芸人がおどける様子は、最高だなと思った。不完全だからこそ、笑えるのだ。

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不完全さを嘆くことは容易い。ほとんどの人たちは「足りない」「苦しい」「もっと必要だ」と、「完全」を目指しながら「幸福」を目指しながら、目標設定をして、足りないものを埋めるために生きているかもしれない。

でもこんな風に、不完全がゆえに出来上がったことを笑いながら喜ぶこともできる。唯一無二の、最高の作品にすることができるのだ。

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以前あまりにも苦しかったときに、苦しすぎてもう無理だと信頼できる友人に泣きついたら、彼は「スナックでもいけば」とわたしを茶化した。「バカにしてる?」と聞くと、彼は「だって笑うしかないから」と答えた。

自分の手には負えなくて、笑うことしかできないこと、というのが世の中にはある。だけど、笑うことでずいぶん救われることもある。

「#苦しい時自分にかける言葉」でみんなから募集をしたら、とても多かったのは「ネタになることを喜ぶ」「成長につながることを喜ぶ」「笑いに変える」。

不幸はネタになるし、成長につながるし、笑いになる。
不完全さは、あなたをあなたたらしめるものだ。

アンナ・カレーニナの冒頭、有名な言葉。

「幸せな家族はいずれも似通っている。だが、不幸な家族にはそれぞれの不幸な形がある」

仕事で成功して、お金持ちになって、かわいい子供をふたり生んで、素敵なパートナーと幸せに暮らす。"happily, ever after. " そんな「幸福像」は「幸福」であり続けることができるだろうか。

人は、安定を求めながらも変化を志向する生き物だ。安定した幸福は、いずれにせよ葛藤に満ちているはずなのだ。

不幸は、自由だ。幸福は、不自由だ。

不足を喜ぼう、不完全を遊ぼう、不幸を笑おう。
それが、あなたの人生をあなただけのものにする。

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