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経営者が乗りこなすべき「波」の話

先日、東京都のスタートアップ支援プログラム「Tokyo Startup Gateway」のオープニングイベントで登壇させていただきました。15歳から39歳まで、3300人もの方がプログラムにエントリーされているそうです。起業という選択が本当に身近なものになってきている、ということなのだと思います。

登壇の際に、起業をしようか迷っている、あるいはしたばかりの若い経営者・起業家に対して何をお伝えしたいかな、と考えていて、せっかくだから文章にも残しておきたいなと思い、結局登壇では話しきれなかったことを含め、このnoteを書いています。

まず、自己紹介をさせてください。

私は、2005年に大学卒業後、外資系証券会社での株式アナリストの仕事を経て2014年に1社目の会社(cotree/オンラインカウンセリング事業)を立ち上げ、2020年に2社目の会社(コーチェット/教育・リーダー育成事業)を立ち上げました。2021年に出産をし、その年に1社目のcotreeを売却しています。なんだかんだと起業家として、10年を過ごしていることになります。

1社目を立ち上げたのは、私自身が睡眠障害になった経験を経て、メンタルの問題を抱えたときにより気軽に専門家に相談できる受け皿があって欲しいと思ったからでした。

2社目のコーチェットを立ち上げるきっかけになったのは、cotreeで経営者向けのメンタルサポート事業を立ち上げたことです。たくさんの経営者が心の調子を崩される場面に出会う中で、チームを率いるリーダーがセルフマネジメントやチームづくりの技術を身につけていくことが、リーダーにとっても、メンバーにとっても大切なことだと感じていました。cotree内の新規事業とする選択肢もあったのですが、カルチャーも顧客もビジネスの作り方も変わりそうだなと思い、別会社にすることにしました。

もともとは2社を同時に経営していくつもりだったのですが、妊娠・出産と、コロナによる事業の急成長と、新たな会社の立ち上げ(1子2社同時立ち上げ)を両立することが難しく、1社目の売却を選択しました。

小さいながらも事業の立ち上げ、資金調達、売却、急成長、停滞、危機、さまざまなことを経験している立場、また私自身、エグゼクティブコーチ/システムコーチとして多くの中小企業・上場企業・スタートアップ経営者の困難や成長に伴走させていただいた立場からお伝えできることもあるかな、ということで、この文章を書き始めています。

私自身は経営者としてはむしろ誰よりも失敗ばかりしていて、決して成功者の目線ということではありません。というか、成功してるっぽいときも失敗してるっぽいときもありましたし、これからもそうだと思います。経営には様々な要因が複雑に絡む中、本来一般化できないこともあるでしょうし、バイアスがかかっていることもあると思います。ただ、自分の失敗も含めて、学んだ視点を整理して、ひとつの補助線としてお伝えしたいという意図です。

ここでお伝えしたいことは、「経営者として、認識しておくべきいくつかの『波』が存在しているよ」ということです。


「市場」の波

顧客のニーズを満たすことで対価をいただき、それを積み重ねていくのがビジネスなので、顧客に価値を提供していて、それに対して顧客がお金を払ってくれていれば、理論的には事業は成立します。ただ、それ以上に事業が成長角度を持って成長しうるかを左右する最大の要因と言ってもいいのが「市場」の波です。

1社目のcotreeという会社は、2014年に立ち上げました。「オンラインカウンセリング」と名のつくサービスは、実はその当時もいくつも存在していたので「一番乗り!」という感じではありません。その後も毎年毎年、いくつものメンタルヘルスケアのサービスが生まれては消えていきました。

起業をすれば誰かが見つけてくれて成長軌道に乗っていくはず、という期待とは裏腹に、無限に広がるインターネットの海の中で、自分たちのサービスを見つけてもらうことは簡単ではありません。cotreeも最初の数ヶ月間は、Facebookを見て登録してくれた友達が数名。偶然たどり着いてくださった方を合わせても、毎月数名しか予約が入っていない状況でした。その後数年間は、ときどきメディアに取り上げていただいて少しだけ伸びたり、継続して利用してくださるかたが積み重なって少しずつ利用者が増えていく、という感じでした。

5年間くらいは、「死なない程度の赤字」を常に出しながらギリギリで運営していましたが、大きな変化が起こったのは、コロナがやってきた2020年です。コロナで外出ができなくなります。それまでは使ったことある人の方が少なかったオンラインのビデオ通話(zoomなど)が一気に普及しました。コロナに伴うメンタルの問題にもフォーカスが当たり、たくさんのメディアに取り上げていただくようになります。

そのタイミングで、cotreeの、しばらく地を這うようにしか伸びなかった売上が、数倍のペースで伸びたのです。それまでは「カウンセリングは非言語が大事なので、オンラインでカウンセリングなんてできるわけがない」と批判していた専門家も、当たり前のようにオンラインカウンセリングを取り入れるようになっていきました。「市場が変わった」と思った瞬間です。

それまで広告を出してもメディアに出ても一生懸命noteを書いても少しずつしか伸びなかった売上が、一気に伸びていく。「市場の波」とはこういうことか、と思いました。

それまでにオンラインカウンセリングサービスをやっていた業者さんは、その多くが、想定ほどに市場は存在しないとみなしてすでに撤退していたので、cotreeは「オンラインメンタルヘルスケアサービスのパイオニア」かのように扱っていただき、メディアに露出させていただくことも増え、事業にも良い循環が生まれました。

あのタイミングでこのような波が来るとは想定していなかったわけですが、コロナは来るべき市場の変化を短縮しただけだったとも言え、遅かれ早かれこのような変化は生まれていたのだと思います。

私自身は、事業立ち上げ当初にも「シェアリングエコノミーの波」「メンタルヘルスの重要性が高まる波」を意識してはいたのですが、それらの影響は比較的歩みが遅く小さく、実際に事業成長に繋がったのは「オンラインコミュニケーションの普及の波」であったということができるかもしれません。

市場が立ち上がった後は、市場のイメージができるので投資家のお金もつきやすくなり、たくさんの新しいサービスが生まれてきます。ですが、そのタイミングで立ち上がったサービスは、競合も激しく、期待値も高く、継続的に事業に取り組んで成長のきっかけを得ることは難しくなります。

波が来てから漕ぎ出すのではなく、「波が来るときに沖にいられるかどうか」、が極めて大事だったのだと思います。どんな波がいつ来るのかは読みきれないことも多い。でも、波に乗るためには波に乗れる場所に居続けなければならないのだと学びました。

もちろん、波は、待つだけではなく自分でつくり出すこともできます。例えば、タピオカのように全く市場の波がないところに自ら波をつくりだすようなビジネスもあるでしょう。でも、そのような波は、あくまで短期間の小波として消えていくことのほうが多いのかもしれません。

メルカリやPayPayなど、自ら市場を作り出し、大きな市場としても定着するサービスもあります。ただ、これはやはり全体から見れば「文化」「社会」「技術」を含めた大きな市場の波が存在していて、その中で複数のサービスが生まれ、その中で最も上手く戦ったプレイヤーが勝ち残った、その競争のプロセスが市場の拡大を加速させた、という見方の方が正しいのだと思います。前提となる大きな波なしには、それほどの拡大はしなかったのではないでしょうか。

ここから「波に乗れるように波を読んで起業しよう」という教訓も引き出されるかもしれないのですが、それだけでもありません。

もちろん、市場の大きな波に賭けてユニコーン(時価総額1000億円以上)を目指すようなダイナミックな起業の仕方もあるでしょう。でも、スタートアップでユニコーンにまで成長する割合は1%にも満たず、それどころかベンチャー企業の創業後の生存率は10年後で6.3%(日経ビジネス調査)。10年間生き残ることすらも、簡単なことではないのです。

自分のことを振り返れば、もしもあの時意図して波に乗ろうとしていたら、きっと、波がなかなか来ないことに疲れて「仮説が間違っていた」とか言いながら事業を辞めていたと思うのです。実際、やってきた波は私自身が想定していたのとは違うもので、さらにタイミングも読むことはできませんでした。わたし自身は波を読めていたからそこにいられたというよりは、「波が来ても来なくても、これをやり続ける」という意志があったからこそ、そこにい続けられたように感じています。

一方、波は再び去って行きます。去ってはやってくる新たな波にも、向き合い続けることになります。波が来ることだけに期待して翻弄されながら事業を続けるのは、なかなか大変なことです。

波の存在を意識しつつも、波だけに賭けることはしない。いつか波が来るまでの間を生き延び、改善を続ける体力・気力を持っておく。

「市場」の波に対しては個性や起業の目的に合った様々なスタンスがあると思うのですが、私が学んだのはこんなことだったのでした。

「技術」の波

もうひとつ、事業のつくりかたに大きな影響を与えるのは技術です。新しい技術が生まれると新しい市場も生まれるので、「技術」の波は、「市場」の波の要件のひとつでもあります。

人工知能、ブロックチェーン、AR/VR…きっともっと適切な事例がたくさんある中で、革新的でない例で恐縮なのですが、cotreeの例を紹介させてください。オンラインカウンセリングサービスは、当初skypeを使って行っていました。その当時はまだ通信も安定せず、使い方もわかりづらかったので、それが原因でサービスを使っていただけない、ということもありました。

その当時「オンラインでカウンセリングなんて価値がない」「そんな市場は生まれない」とおっしゃる方も多くいらっしゃいました。きっと、皆さんも起業をすると「それは難しいよ」と言ってくる人が一定数いらっしゃるはずです。私自身もそう言われるたびに、やっぱり無理なんだろうか、と考えて落ち込んだりしていました。

今思えば、そう考えておられる方の発言は、例えば当時のskypeの不安定さや使いづらさ、それ故の浸透度の低さが念頭にあったはずです。今ではzoomが圧倒的な安定性と機能に進化して、ほとんどの人がzoomを使える状態になっているように、技術は必ず成熟していき、市場の普及率も上がっていきます。今では当たり前のようにオンラインカウンセリングが行われています。

経営者は技術の変化を見越した上で事業をつくらなければいけない、という側面と、早すぎる技術の活用は、未成熟ゆえに顧客の課題を解決しきれないリスクがある、という側面のジレンマに向き合っていく必要があります。

この図は、さまざまな耐久消費財の普及率です。半導体製造の技術、液晶パネル製造の技術、新たな電子材料の登場など、様々な技術の進化によって、新たなプロダクトが生まれていきます。最初のうちは機能も使いづらく、サイズが大きかったりして使いづらいし、値段も高い。最初は珍しいもの好きな人からじわじわと立ち上がり、使いやすくなって価格も下がると、一気に普及する時期がある。そしてプラトー化(頭打ち)していく。高位で定着するものも、新たな技術に取って代わられるものもある。

技術の進化は市場競争と価格の低下を伴って、普及率の上昇につながっていきます。今、この技術のステージはどこなのか?という見極めが大切になります。そうしないと、レッドオーシャンに飛び込んで価格低下に悩まされることもあるでしょう。

もう一つ、技術の波を見る上で縦軸に「期待度」をとったものが、「黎明期」、「『過度な期待』のピーク期」、「幻滅期」、「啓発期」、「安定期」、というサイクルを辿る「ハイプサイクル」です。このサイクルに沿って新しいプロダクトが生まれ、期待のピーク期には新しいサービスが山のように生まれます。

日本における未来志向型インフラ・テクノロジのハイプ・サイクル:2023年

技術の波を見極める上での罠は、二種類ありえます。黎明期に、その可能性を見落としてしまって、「こんな技術使えないや」と思ってしまうこと。もう一つは、過度な期待期に、その可能性を過大評価して、大きすぎる夢を描いてしまうこと。

技術そのものを開発しているスタートアップは別として、市場に生まれる技術を活用しようとする起業家がこれを回避するためには、目の前の顧客課題に視点を定めて、技術の動向に振り回されすぎない姿勢が役に立つのだと思います。「AI ○○」のような、技術ありきの起業が失敗することも多いのは、その波を意識しすぎるあまり、顧客の解像度が下がってしまいやすいからというのも一つの理由です。

多くの他人は、現時点の市場や技術を見て「そんなの無理だよ」と言ったり、「使い物にならない」と、なぜあなたの計画がうまくいかないのかをアドバイスしてきたりします。そんな声に心折れる必要はありません。市場も技術も、変化し続けます。経営をするということは、その変化を察知して、仕掛けていくということなのです。

ただし「人の批判に心折れる必要はない」ということは、「人の意見は聞く必要がない」ということではありません。他者、特に先人の意見はしっかり受け止めるべきです。

ただし、「この人がどこまで見えていて、その発言をしているのか」を慎重に見極める必要があります。「相手が知らないだけなのか」「自分が受け入れられていない・知らない真実/バイアスがあるのか」の境目を見極めるのは非常に難しい。相手の無知に由来するなら無視してもいいですし、自分のバイアスや無知に由来するなら、それは真摯に考え方を見直すべきです。

他者からのアドバイスを受け取ったら「相手の言うことが正しいとしたら、自分に見えていないものはなんだろう?」と思考実験をしてみることが役に立ちます。

同じ事象も見る視点・視座・視野が異なれば全く違う結論になります。起業に関してはたくさんの生存者バイアスに基づく情報が飛び交っています。どんなに成功した人の声であっても、全ての発言を結論として信じるのではなく前提条件を見極めるように意識することは、どんな場面であっても役にたつ考え方だと思います。

「成長モメンタム」の波

どんなサービスも、変わり続ける環境の中で、売上高の「成長モメンタム(勢い)」の変化と向き合い続けることになります。正のモメンタムが強いときにはあらゆることが順回転しますし、負のモメンタムがあるときには逆回転を始めます。

株式のアナリストの業績予想は、今後5年間の売上高予想がコンスタントに前年比5%増、みたいな数字になりがちなのですが、それが現実になることはほぼありません。実際には、PMFのタイミングでの急成長があったり市場が変化したりして、一気に伸びたり逆に落ち込んだりします。

cotreeのモメンタムが一番強かったコロナのときには、1年で50-60ものメディアに掲載していただき、売上もどんどん増えていきました。取材担当の方にお聞きしたのは「自分たちと似たメディアはチェックしていて、そこに出ている人には声をかけやすい」ということでした。つまり、ひとつメディアに出れば、それが他のメディアを呼び、露出が増える。BtoBの事業であれば、導入事例が増えていけば、次第に紹介や流入も増えていくというように、モメンタムは加速していきます。

一方、どこかのタイミングでモメンタムが鈍化し始めると、今度は負の回転が始まります。成長率が鈍化する→メンバーや経営チームの不安が高まる→焦って短期志向の意思決定をする→短期的な施策に陥りがちになり、リソースが最適化されず、組織が疲弊する→さらに成長率が鈍化する、という具合です。そのタイミングで犯人探しが始まったり、ビジョンが見えなくなったり、やりがいが感じられなくなったりして、離職率も高まります。

モメンタムに振り回され続けるのは、チームにとっては苦しいことです。モメンタムが強いときにはそれが永続する前提でプランを作ってしまいたくなりますし、モメンタムが弱いときには永遠に良くなるイメージが持てません。稲盛和夫さんの「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」は、このモメンタムの波に振り回されない知恵でもあるのでしょう。

負のサイクルに入ってしまったときには、一度このサイクルを断ち切るために、大きな覚悟が必要なときもあります。一緒に登壇したARROWSの浅谷さんは、「一度会社を潰すシナリオを考えたことで視界がひらけた」とおっしゃっていましたが、負のサイクルに入っている状態というのは、役に立たないしがらみや固定観念にとらわれていることも多いものです。そうした枠を外して考えることで、新たなサービスが生まれたり、ブレークスルーが生まれたりすることもあるな、と感じます。

少しだけ本筋からは逸れるのですが、最近は若い世代から「成長し続けることって本当に必要なんでしょうか」という声をよく聞くようになりました。成長を志向することによって失われる価値やそれが鈍化したときに生まれる苦しみを数多く目にするようになったことや、価値が多元化していることも影響しているのでしょうか。

「成長」という価値観は、過去の起業シーンでは確固たるものでした。株価は将来の成長への期待によって評価されるため、特にスタートアップでは成長し続ける未来を描くことが求められました。

ここで、「お金儲けのため」といった直接の利益の話を離れても、なぜ成長が大事なのか、ということについて、私の理解をお話します。

人の脳は、期待以上の現実に遭遇したときや未来の報酬に期待したときにドーパミンが分泌される構造になっています。「今よりもよくなる」という期待がドーパミンを放出させ、将来に向かって成長を描けるときや、思った以上にうまくいっている時に自然とドーパミンが放出されます。

組織内で「ドーパミンがいい感じで出ているか」は、組織の幸福度や健康度を測る上で非常に重要です。それがモチベーションになり、クリエイティビティにも繋がるからです。みんながワクワクしているときは、ドーパミンが良い具合に出ている時です。逆に、変化がない毎日や、良くなる希望を持てない状況にあると、ドーパミンが不足している。

組織にとっては、「ドーパミンがいい感じで出てる状態をつくる」ために一番手っ取り早いのが「成長し続ける」ということなのです。今日よりも明日がよくなると思えば、がんばれる。

もちろん、他の方法でもドーパミンを出すことは可能です。例えば、ゲーミフィケーションなどを通じて日々の仕事を楽しくする、細かく報酬を与えるなどの方法です。ただし、人間は「飽きる」生き物です。同じゲームを続けると飽きますし、金銭的報酬もその量が増え続けないとドーパミンを出し続けることはできないと言われています。

ですから、それを持続させるためには、売上を成長し続けさせることが一番シンプルな方法です。「成長は全てを癒す」とはよく言ったもので、組織がどんなにぐちゃぐちゃでも、人間関係が悪くても、モメンタムを持って成長しているときには、未来に向かってドーパミンを出すことができるのです。

しかし、売上は顧客あってのことであり、コントロールしきれない部分もあります。実際によく目にするのは、成長至上主義によって疲弊し、自己効力感が下がっている組織の姿です。

ですから、組織の本領が問われるのは「成長していないときにどれだけ前向きなエネルギーを持ち続けることができるか、その間に事業を立て直すことができるか」だと思います。そのとき支えになるのは、ホルモンや神経伝達物質の機能に引き寄せるならば、以下のようなことです。

  1. ビジョン・ミッションへの信頼、質的な成長や個の成長・達成が感じられるか(量的成長以外にドーパミンを担保できるか)

  2. 心理的に安全で、この人・組織のためなら苦しくても頑張りたいと思える関係性があるか(オキシトシン的な幸福で下支えできるか)

  3. サポートネットワークやタスクマネジメントを通じて、ストレスを軽減するようなマネジメントになっているか(コルチゾール的なストレスの処理ができているか)

順調に成長しているときには、チームづくりなどを意識しなくても回っていきます。でも、モメンタムが鈍化した局面で悪循環に入ってしまわないように「今、自分たちはモメンタムの悪い時期にいる。だからこそ犯人探しをするのではなく、お互い支え合って、ビジョン・ミッションに立ち戻ろう。苦しい時には支え合おう、そして事業に集中しよう」、というチームを作れるかどうか。

言うは易しなのですが、チームづくりとはそういうことなのだと思います。

「他者からの期待」の波

市場や成長モメンタムにポジティブな波が訪れているときには、経営者や会社に対して他者からの期待も高まっていきます。そこで意識しなければいけないのが「他者からの期待の波」です。

起業をすれば、会社の顔として他者と接する機会は増えていきます。そのときに、良い印象を残して仕事にも繋げていきたいと考えるのはごく自然なことです。ただ、限られた時間・情報の中で自分をそのままに伝えることはまず不可能ですし、人間の限られた認知能力の中で「他者の本質をそのまま捉える」ことはあまりに難しいことです。

「知り合いがいい人と言っていればいい人だと思い込む」「メディアでよく見る人は優秀な人だと思い込む」「いい人と思えばいいところばかりが目につく」など、人間が持つバイアスが増幅し、人から人に伝染し、他者からの評価や期待は、自己強化ループに入り込んでいきます。ある程度評価が集まると、「あの人と付き合っておけばいいことがありそう」などの欲望がさらなる増幅装置となり、多様な方々とご縁が生まれるようになります。

私自身、コロナの時期はたくさんのメディアでお話をさせていただいていたこともあり、登壇機会やSNS上で私のことを認識してくださっていた人も増えていた時期でした。「ファン」と言ってくださるような方も増えたり、一緒にやりたいと言ってくださる方が増えたりしました。

ここでの問題は、メディアでの、社会的に良い事業を理念を持って推進する清廉潔白な起業家のイメージとは裏腹に、本当の私の姿および私自身の自己認識は、小さな会社を必死でなんとか回して生き延びようとしていて余裕のない、不安定で頑固なポンコツ起業家であったということです。

先ほどもお話ししたように、わたしは以前、SNSで炎上した経験があります。「許せないのは苦しいことなので、許せるといい」というコメントと共に「許すためのステップ」という内容の記事をシェアしてしまったことがきっかけでした。当時のこの発言は、私自身が苦しめられていた怒りの感情をおさめるために衝動的にシェアしたものだったのですが、タイミングが適切ではなかったために「弱きに寄り添うべきオンラインカウンセリングの会社の社長が、性加害の被害者に、加害者を許せと言っている」と一部の方から大きな批判を受けました。

文脈としてそう捉えられても全く仕方ありませんでしたし、否定は意味のないことでした。どんな状況や前提があろうと、そのような形で誰かを傷つけうる言葉を、わたしは絶対に発するべきではありませんでした。一方で、私に対する期待や私の立場がない状態で同じ発言をしても、同じ結果にはならなかっただろう、というのはよくご指摘いただくことでもありました。

当時は難産後1ヶ月、睡眠もほぼ取れておらず、ようやく介護ベッドを使わなくても立ち上がれるようになった時期でした。出産前から続いていた会社売却のためのデューデリジェンス(会社の適性評価手続き)も佳境で余裕がない。次週には会社売却の価格が決まるという大切な時期でもありました。

このときの私には、自分の想像力の欠如に加え、身体的・精神的に余裕がなかったことも相まって、明らかに「自分に対する期待値の存在」「自分の言葉が他者に与えうる影響」「自分の社会的役割・立場」「自分の思考力・判断力の低下・感情の不安定さ」への認識が欠けていたのだと、今なら振り返ることができます。

一旦炎上してしまえば、こちらの声は届きません。自分に期待してくださっていた方々の一部が批判に転じ、怒りの言葉を様々な形で受け取った体験は、私自身が最も死を近くに感じた出来事でもあります。同時に、あのときに温かい声をかけてくださった方々によって、わたしは生かされています。

期待が発生し、期待が期待をよんで、その人に対する幻想が形成される。その幻想が自己認識や実態とかけ離れていく。それがある日突然「現実ではなかった」と逆回転をはじめると、それが一気に剥落する。幻想を見て関わってくださる方々は、幻想がはげ落ちれば「裏切られた」と感じて怒りの感情に転じます。

これはバブルが発生する構造と似ています。バブルでは、「これからも価格が上がるはずである」という集団による思い込みが価格を高騰させ、「本質的な価値」を遥かに超えて評価されるようになります。すると株式は、その企業が生み出す将来キャッシュフローを大きく超えて「金融資産」として投機的に取引され始めます。そして、どこかで「これは本質的な価値を超えた水準である」と気づいた人が売り始め、売りが売りを呼んで、株価は暴落する。株価が下がれば取りうる選択肢が減り、周囲の目も厳しくなり、実際に業績も悪化していく。

もちろん、期待が現実を上回る中で仕事を任されることで、自分の限界を超えて頑張り、成長するというプロセスは、起業家にとって非常に貴重でありがたいものです。

しかし、過度な期待は信頼の喪失と裏表です。そして、一度失った信頼は簡単には取り戻せません。

ですから、他者からの期待値が高まっている時期というのは、それが自らの本質的な価値を大きく超えすぎていないのか、普段以上に謙虚に省みる必要があるのだと思います。

逆に、他のスポットライトが当たっている起業家と比べて自分が正当に評価されていないと感じる時期もあるでしょう。そんなときには、慌てず、ひとつひとつ行動し、他者と出会い、信頼を積み重ねていくことで、評価が実態に近づくフェーズが訪れ、どこかで状況は変化していきます。

先日、広島県福山市の鞆の浦で地域共生ケアに取り組んでおられるさくらホームの羽田冨美江さんのお話を伺いました。丁寧に真摯におひとりおひとりの個性に寄り添いながら、地域の方を巻き込んでおられる様子に心から感銘を受けました。

冨美江さんは、グループホームやデイサービスを立ち上げるにあたって、なかなか地域の方の協力を得られず、冷たい視線に晒されたそうです。

「いいことをするんだから、そんな仕打ちを受けるなんて思いもしなかった」ということばに涙が出ました。冨美江さんは「でもそれは、周囲への相談が足りなかったのが原因だった、十分に理解を得ずに始めてしまった。」とおっしゃっていました。

「実際にやっていること」や「自己認識」よりも「他者からの評価」が低くて、進むべきことが進まなかったということです。

自己認識と実際の自分のずれ、実際の自分と他者からの評価のずれ、自己認識と他者からの評価のずれは、さまざまな形で軋轢や機会損失を生み出します。

この3つが同じような大きさでかつ重なり合っていることが望ましいのです。

冨美江さんは、取り組みがうまく回り始めるのに15年かかったとおっしゃっていました。

自分自身と会社の「身の丈」をしっかりと自己認識する努力。他者に誠実に伝え、関わる努力。他者からの声をしっかりと受け取る努力。その上で、乱高下する他者の評価に振り回されない、調子にも乗らない、絶望もしない。自分の身の丈を受け止めてくれる人を大切にする。何よりも、自分自身が自分のことを身の丈で受け止めながらも、身の丈を高めていく努力をする。

そうすれば、時間はかかったとしても、「他者からの期待の波」は最終的には本来の「身の丈」に収束していきます。

日々の波に翻弄されているとこれが本当に難しいことでもあり、極めて大切なことだと、自身の失敗を通じて感じています。

「身体」の波

自分の体は自分でコントロールできると思いがちですが、実際には様々な「波」の影響を受けています。特に女性は、月経周期によるホルモンの変動が大きく、感情や思考、体力や気力に影響を与えます。男性も同様に、テストステロンレベルは朝は高く、夕方には低くなるという日内変動があります。また、身体の状態は気圧の変化などの影響も受けており、誰もがこれらの「波」と無縁ではありません。この「波」にどれだけ左右されるかは、個人差や時期によって大きく異なります。

私自身、体力や気力が月のサイクルごとに変動することはある程度理解していましたが、生理前には思考にネガティブなバイアスがあること、衝動的な行動を取りやすくなるといったことなどの思考や感情への影響を明確に認知するには時間がかかりました。さらに、妊娠したときに驚いたのは、妊娠の時期とともに食べ物の好みが全く変わってしまったことです。「好き」「嫌い」までがホルモンバランスや体の状態に影響されるのかと考えると、揺るぎない自分の価値観とは何なのか分からなくなってしまいました。考えてみれば、価値観は「欲望・欲求」と深く結びついており、思考や感情、行動もその影響を受けるので、その時々の体の状態と切り離すことはできないのです。

身体的な波を自覚していないと、調子が悪いときに、調子がいいときの自分と比較して「自分はもっとできるはずなのに」と自己犠牲的に頑張ってしまったり「本当はできるはずなのに怠惰でできない自分」のような自己認識を持ってしまったり、思うようにいかないことに自信を喪失してしまったりします。女性の方が自分に自信を持っていないというデータがあるのも、社会的な文脈もさることながら、身体的な波の大きさ・自己制御の難しさゆえの効力感の低さがあるのではないかと思います。

身体的なパフォーマンスがいいときにはそのパフォーマンスがずっと続く前提で計画を立ててしまいがちですし、身体的なパフォーマンスが低いときには逆に将来に絶望してしまったり、衝動に身を任せて不用意な行動をとってしまいがちになります。

自分は今「波」のどの辺りにいるのだろうか、ということを自覚しておけば、過度に楽観的になることも、過度に悲観的になることもせずにすみます。自分の衝動に支配されるのではなく、意図した行動を取れることが増えていきます。

「今」の直線的な延長線上ではなく「波」の中に自己認識を置く、ということがとても大切なことです。

「人生」の波

最後に、主に妊娠・出産・育児をはじめとする、ライフサイクルの変化です。独身のときにはできたことが、出産するとできなくなったりして絶望する。病気や介護など、どうしようもない理由で急に変化が訪れることもあります。

女性経営者の多くは、妊娠・出産・育児のタイミングでパフォーマンスが落ちてしまうことに思い悩みます。男性経営者であっても、育児はやはり仕事に費やすことができるリソースを奪うことになります。

わたしはもともとブルドーザーのように仕事をする人間だったのですが、子どもが生まれてからは子どもの優先順位が上がり、睡眠不足もあいまって今までのようには働けなくなりました。

他のメンバーは一生懸命働いてくれているときに、自分はなかなかパフォーマンスを出しきれず、これでいいのだろうか、と自信を喪失することも多くなっていました。そんなとき、育児を終えた友人が「子供が育った後はいくらでも仕事できるから、今は子育て楽しんでね!」と言ってくれたことで、ものすごく気持ちが楽になったことがあります。

「子どもが生まれたことで、仕事が満足にできなくなってしまった」と感じていたのですが、そこに「今は」という枕詞がつくだけでも、ずいぶん見え方が変わったのです。

育児に伴う負荷は常に変化し続けます。寝かしつけに1時間かかるのも、夜泣きが続くのも、せいぜい数年の出来事です。

今は、子育てを優先させるフェーズ。今は、体を大事にするフェーズ。
それが永遠に続くわけでもないし、また仕事の比率が高まる時期もやってくる。長い時間軸を見据えることで、「今」のありがたみに改めて感謝し、受け止めることができたような気がします。

すべてのライフイベントは、変化し、終わりがやってくる。人生のポートフォリオの変遷の中で、「今」を切り取ったときにどんなバランスになっているのか、つきあい続けなければいけないことは何か、変化していくものは何か、今後それがどう変化していくといいのか。

そのほかにも、人生と共に変化するものは、体力や、価値観、他者との関わり、お金、役割、所属などもあります。「今の価値観で、今の仕事をし続ける」ことだけが良いことのように見えがちなのですが、これらもまた、変化して当たり前なのです。

そして、誰かとともに生き、働く意味は、それぞれの人生の波を互いに支え合うことにもあるのだと思います。そこには出会いもある、別れもある。いくつもの波が重なって増幅することもあれば殺し合うこともある。ある時を共にしても、ある時は距離を置いたほうがいい波もある。特に、自分の波を殺す他者と距離を置くことを恐れるべきではありません。

わたしはどんな人間なのかではなく、わたしはどんな波の中にいるのか。影響を与えられることとできないことはなんなのか。そして、今だけを見て、絶望したり楽観したりするのではなく、「波全体」を見る。受け止める。乗りこなす。これは、すべての波で同じことです。

「道」

いくつかの「波」の話をしてきました。

先日、祖母が亡くなった際に、何かひとつだけ形見を持って帰ろうと実家の棚を眺めていたところ、松下幸之助の言葉をおさめた額縁を見つけ、それを持ち帰りました。経営者だった祖父が亡くなる前に持っていたものです。


自分には、
自分に与えられた道がある
広い時もある。
せまい時もある
のぼりもあれば、くだりもある
思案にあまる時もあろう

しかし、心を定め、
希望を持って歩むならば
必ず道は開けてくる

深い喜びも、
そこから生まれてくる

「心を定め、希望を持って歩むならば、必ず道は開けてくる」

35年前に亡くなった祖父と、改めて出会ったような気持ちでした。30年前に亡くなった父、若くして亡くなった大切な友人、今はいない人たちのことを普段は意識することはありませんが、こうして受け継がれてきた、一人の人生、世代を超えた、より大きな波も存在するのだと思います。

市場の波に身を委ねながらも、自らの願う未来に心を定める。
技術の波に身を委ねながらも、顧客にとっての価値に心を定める。
成長モメンタムの波に身を委ねながらも、組織の在り方に心を定める。
他者の期待の波に身を委ねながらも、自らの在り方に心を定める。
身体の波に身を委ねながらも、自らができることに心を定める。
人生の波に身を委ねながらも、今のありがたみに心を定める。

自分の力を超える波の存在を認め、身を委ねながらも、
心を定め、希望を持って歩む。

定まったはずの心が揺らぐこともたくさんあります。外の波の影響を受けているのかもしれないし、自らの内側が必要としている変化なのかもしれない。そのときにも、改めて時間と共に移り行く「信じられること」に心を定め、希望を持つ。

全てがバラ色ではないことがほとんどです。うまくいかないこともあるし、他人は、失敗や停滞をあれこれ言うかもしれませんが、それも「波」であり、永遠に続くことはありません。

「今、どんな波のどのへん?」

この視点を持つだけでも、目の前の痛みはいくぶん、軽くなる感じがしないでしょうか。

これから起業をする若い人たちにはこんなことを伝えたいと思うと同時に、失敗ばかりしてきた自分を振り返り、失敗を経てもなおともにいてくれた人たちへの感謝の気持ちと、わたしも誰かにとって失敗や苦しみを支える「波」でありたいという気持ちが湧いています。

きっと、ここまでの内容を読んでいただいて「自分もそうだった」「自分はそうじゃなかった」「こんな考え方もある」と感じたこともあると思います。そうした先人の経験・知恵はぜひみなさまから学びたいですし、若い人たちにもより豊かな知恵として伝わっていくといいなというのが、このnoteを書き終えるにあたっての私の願いです☺️


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