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noteで今までのことを整理する。

私は、40代になってから、教員の正規採用試験を受けたけどダメだった。
今はすごく倍率が下がってるから、今ならもしかしてとも思わない。
倍率が下がったからって落ちる人は落ちるものとわかったから、挑戦する気も失せた。
さて、なぜ、私は正規の教員になれなかったのか。

最近になってわかってきたから、整理する。

言い訳がましいけど、
私は実は、高校生で小学校の先生を志し、大学は初等教育を学んだ。
が、実習の時、自分には無理、と思った。

その謎がずいぶん経って解けた。
私が教員を志したのは、
自分のような、苦しんで子供時代を送る子供を減らしたい気持ちから。
どんな家庭で育っていても、
せめて学校では明るい気持ちにしてあげれる先生になりたかったのだ。
私の頃は、逆に学校では先生に友達に、家庭で傷ついた心の傷に塩を刷り込まれてる時代だった。だから、この世に居場所などなかった。
これからの子供達にそんな思いをさせない、そんな子がいたら救える先生になりたかったのだ。

が!
先生の動機としては間違ってたと思う。

こういうことを目指すのは臨床心理士でなければならず、でもたぶんそこまでの頭脳は私にはなかった。

さらに、先生って、痛みなんかあまり経験してない人の方が成功しやすいらしいことが、現場に出てみてわかった。(いや中には過酷な生い立ちを克服し立派に先生になっている人もいると思うけど)
自身が楽しい子供時代を送り、それを子供たちに還元できる人の方が向いてると、ざっくりした言い方だけど、そう思う。(中にはもちろん死に物狂いの努力の実を結ばせて、過酷な生い立ちだったにもかかわらず、よい先生になった人もいると思う)

私は新卒で直観的に教員を諦めた。

でも、夫のの収入があまりにもひどくて、
教員免許だけはあったから出動させることに。

が、能力もないし、楽しんだ経験もない私は、、さらに年取ってからのスタート。。
過酷でした。

エリートで上り詰めた経営者肌の同世代の校長にはいじめぬかれ、退職に追い込まれ、おそらくそのせいで、臨時採用さえ名簿から削除されたこともあった。(それでも先生が足りないからなんとか食いつなげて、名簿にも2年後に復活させてもらえたけど)

とにかく夫が稼がないから死に物狂いで、ない能力を絞り出して常勤を続けたけど、どのみち無理に決まってたと思います。。
現場の皆様、教育委員会には、迷惑かけました。
でも、子供達に、おかげで大学や大学院の奨学金を背負わせずに済んだ。がまんして使ってくれた教育委員会には感謝だ。

でも、子供の学費の目処もつき、今の非常勤の講師くらいなら、今までの蓄積もあり、なんとかかんとかなる。いや、私の仕事ぶりが、若い優秀な忙しい先生たちの助けになっているみたいで、とても喜んでもらえているから、もしかして、今までの恩返しもできてるんじゃないかと思えるくらいです。

でも、常勤の臨時採用の時代、評価は悪かったはずだから(一生懸命は理解されていたと思いますが)、この先それがどうなるか。
この仕事も続けさせてもらえるのか。
もしダメならどうしたらいいのか?
不安だらけ。

管理職や教育委員会の方々には、今の私をみて欲しいなと、思ってます。

まだまだ不安だらけのこの先。
打開するために、

私はあと何を努力したらいいのか、
考える毎日だ。

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