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韓国発の人気作品「結婚商売」の設定考証に全力出した ⑤アルノーのモデルはどこだ!!

やっと時代と国が終わってセブラン国内の細かい土地の話になります。
最初にお断りしておきますが、アルノーとラホズの立地は本当に推測です。作中で「これだー!」みたいな記述がないので、私の持てる限りのフランス史を総動員した結果の「〜かなあ?」の範疇であることをご了承ください。
特にラホズに関しては、より確証の高い説をお持ちの方がいらっしゃればコメントをいただきたいほどです…。
では不安はありますが進みましょう。まずはアルノー領です。

首都まで馬車で10日!水が綺麗で山深くない田舎の領地・アルノー

アルノーは田舎です。

・首都まで馬車で10日かかり、頻繁に往復できない
・アルノーで流行り病が出たら、既に国じゅうに病が広がっていると認識される
・城の前をアルノー川が流れていて、馬車で数日行ったところに源流がある
・領地全体が平地〜丘陵で農業も林業も営める
・水が綺麗(原作3巻9章でのイボンヌの発言)

馬車で10日って…馬車ってどのくらいのスピードなんだと思って調べたら、時速8kmくらいだそうです。19世紀末に道が舗装され、車輪の性能や耐久性も上がってからは時速十数キロ出たようですが、15世紀ではそんなものでしょう。
ドイツのノイシュバンシュタイン城に行く時に馬車に乗りましたが、アスファルト舗装の山道で「歩いてもたぶん変わらん(元気なウチは)」という印象でしたから。
途中でもちろん食事もするし休憩もしますから、実動時間は6〜7時間がせいぜいでしょう。馬も休ませなければなりませんし。
そう考えると、ラホズまでは500kmくらいありそうです。アルノー領、ド田舎です。
ただし、流行に敏感で贅沢とお洒落が大好きなビアンカが一流の商人を呼び寄せられるということは、近くに都市がある可能性があります。

また、回帰したビアンカが伯爵の領地・アルノーに戻ってきたのは18歳の秋です。このとき、ビアンカは執事長のヴァンサンに白キツネの毛皮のケープを仕立てるように命じます。この時点で「アルノーは南ではないな」というのがわかります。原作では「このような高級品を持てる身分でい続けたければ、その代価を払わねばならない」という覚悟を決めるために買ったとありますが、実際その後の様子を見ていくと、アルノーは早春にも雪が残っているような土地であり、居城は高台にあって冬は寒いことがわかります。

フランドルに似た雰囲気のある北東部ロレーヌ?

さてここで外観の話です。
マンガ版の「結婚商売」に描かれているアルノーの町並みや人々の服装を見て、「フ、フランス…?」と疑問を持った方もいるのではないでしょうか。
アルノーの城下町は比較的整然と建物が並び、民家らしき建物は漆喰壁に太いモールディングが印象的な木骨造りです。フランスでよく見る石造りではありません。
これはフランドル地方や、フランス北東部のアルザス・ロレーヌ地方に見られます。
それで最初はロレーヌを疑いました。ただ、この地域はたびたび神聖ローマ帝国と取り合いになった歴史があります。酷いときは、戦争であっちに行ったと思ったら、数十年後には前の国に戻る、みたいな状態です。15世紀後半はフランス王国の領内ですが、ロレーヌはヴォージュ山脈に近い鉄鋼で有名な地域であり、ドイツ系住民も多く、アルノー領のイメージとは遠いのです。
また、考証④のとおりフランス南部はピレネー山脈を挟んでアラゴンと対峙しており、東側つまり神聖ローマ帝国やイタリアに近くなるほどアルプスをはじめとする山脈が近いため、こちらも違いそう。農業が盛んで平地が多いアルノーは大穀倉地帯であるパリ盆地(フランス北部)の範囲なのでしょう。

毛織物で栄えたばかりに紛争の耐えなかった地・フランドル?

ビアンカが「ザカリーの子を産めなくてもアルノーで生きていくために」と始める装飾レース作りですが、これは考証③で書いたとおり15世紀後半に北イタリア(ヴェネツィア)もしくはフランドルで最初に開発され、修道院で作られて修道士のローブや宗教儀式に使われたそうです。
ただアルノーが北イタリアということはまずないと考えますので、フランドル地方を見てみましょう。

フランドルと言うと社会科で習ったネーデルラント、つまり現在のベルギーやオランダのイメージがかなり強いのですが、フランドル地方というのは現在のフランス北東部、オランダ南西部、ベルギー西北部にまたがる低地です。フランドルという日本でおなじみの呼び方はフランス語です。英語はフランダース、オランダ語はフランデーレンです。
パリからドーバー海峡を目指して北に300km行くと、ユーロトンネルでお馴染みの港湾都市・カレに着きます。カレにはレース博物館があるそうで、なるほどレース産業が盛んだったことを教えてくれます。
ただ、カレは海の街なのでアルノーの印象とは全く違いますし、海を離れて東に行っても政治史上しっくりきません。なにしろフランドルのフランス側といえばヴァロワ家の分家であるフランドル伯という大貴族が数百年にわたり治めた地ですが、フランドル伯領というのは大変古くから裕福な地域だったため、百年戦争のきっかけになったり、ヴァロワ家傍系同士であるブルゴーニュ大公(ブルゴーニュ公国領)に引き継がれた後はイギリス寄りになったり、ハプスブルク・スペイン家に奪われたりして、17世紀後半にならないとフランスに戻ってこない場所なのです。歴史を見ると、フランス王国というよりネーデルラントのドンパチに巻き込まれ続けたエリアという印象が強いです。フランドルにすると領土的に辻褄が合わなくなってしまいます

他にフランスでレースが有名な街と言うと、イギリス海峡にほど近い「モン・サン・ミッシェル(聖ミカエル山修道院)」でお馴染みのノルマンディーも該当します。ノルマンディーを旅行された方は実物をご覧になったかもしれませんが、かの地の女性の民族衣装に欠かせないのがボネというレース編みのヘッドドレス(帽子)です。ただ、ここも海の街なので除外です。

 

ターゲットは北フランスの南端アミアンの東側

そこで、ここは都合よく広義に捉えて「フランス北部の南端」と考えます。つまりフランドルに近いがフランス王国の色が歴史的に強いエリアです。
北フランスの南側の要衝はパレ=ド=カレの県庁所在地アラスです。ここもかなりネーデルラント色が強く、15世紀半ばはブルゴーニュ公国領内ですから、この南側でそれらしいところを探します(笑)。
ここで妄想の役に立つのがアルノー川です。川を探します。…ありました、アラスの南をソンム川が走っています。ソンム川はサン=カンタン近くの水源から西に向かい、大都市アミアンを抜けてやがてドーバー海峡に流れ出て終わります。ソンム川流域は平野が多く穀物生産が盛んなエリアですから、地理条件でアルノー領のイメージにこれまでで最も近いです。

大都市アミアンは繊維産業が盛んで有名な大聖堂もある大きな街で、これはさすがにアルノー領の牧歌的な雰囲気とは違います。またアミアンより西に行ってしまうと、ソンム川は北西つまりフランドル方向に向かうので、アミアンより東側と考えるとかなり辻褄が合わせやすくなります。

赤枠のあたりがアルノー領を含みそうなエリア(※あくまで個人的見解)

【補筆修正】ランス近郊のほうが現実的でした…

本稿を公開後、15世紀半ばのフランス北部の地図を発見したところ、アミアン東側もばっちりブルゴーニュ公国領でした。
原作にはアルノー川や源流の渓谷といった要素は出てこないので、これは次稿⑥に書いたランス(ソヴールの出身地)近郊のエーヌ側沿いと見るほうが正しそうです。



それにしてもソンム川流域はアミアン以外は田舎すぎて、良い資料がぜんぜん見当たりませんでした。正直、アミアン以外は勉強しませんよ…(笑)
次はさらなる難関、ラホズについて考えます。

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