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「聖戦」と精神障害者

2001年の原稿
石川県立公園に聖戦碑が神社から移籍された件に関して

「聖戦」と「精神障害者」                   
全国「精神病」者集団会員 長野英子

戦いにこころ病み果てし声らいずこ在りし跡官舎の新壁匂う
戦争にこころ病み38年“未復員”の人らをわが告ぐ2・11集会        
      『「火」以後 渓さゆり歌集』(六法出版社)より
「未復員」という言葉をご存じだろうか?  
 今ある精神科を中心とした国立病院(療養所)はその前身が日本軍の病院であった例が多い。関東でいえば国立武蔵療養所(現国立精神神経センター武蔵病院)、下総療養所などである。戦争中に今でいうPTSD(心的外傷後ストレス症候群この場合戦闘の中でそのショックで発病すること)に病む兵士の増加に対応して軍はこれらの病院を作った。戦場からこれらの病院に送られた兵士たちは、敗戦後も差別ゆえに故郷に帰ることができず、「未復員」という状態のまま閉鎖病棟に拘禁され続けた。  
 その中には朝鮮人でありながら「戦犯」とされ、そのショックで発病し下総療養所おくられ、拘禁のまま閉鎖病棟で亡くなった方もおられる。
 渓さんはこの国立武蔵療養所に収容されていた日本軍兵士を詠っている。 「かわいそうな象」という話がある、戦争中に上野動物園で、動物たちが毒殺されたが、賢い象は毒入りのえさを食べず、飢え死にしたという話だ。しかし同様に檻に閉じ込められていた精神病院入院患者が餓死させられたことはあまり知られていない。 たとえば都立松沢病院では1938年ごろから死亡率が増大し始め、敗戦の年1945年にはなんと入院患者の4割が死亡した。全国の精神病院はどこでも多かれ少なかれ同様の歴史をもっている。
 マラリア注射により家族の入院患者を「処分」された、という中宮病院入院患者遺族の証言もある(『声なき虐殺』 塚崎直樹編 BOC出版 1983年)。ナチスのユダヤ人虐殺に先立ち、「精神障害者」や身体障害者が組織的に虐殺されていたった歴史同様に、日本でも精神病院入院中の患者は食料不足のまま放置され餓死し、そしてあるときは意識的「処分」までされたのである。 「未復員」の方たちはすでに閉鎖病棟の中で闇から闇に葬られた。ドイツでも戦後「精神障害者」虐殺に加わった精神科医が大学教授を続けていた実態があったが、ようやく70年代ころから「精神障害者」虐殺問題が告発されるになり、戦争中の「精神障害者」の問題に関しさまざまな調査研究および闘いが今も続けられている。一方日本では「未復員」の方たちへの問題、あるいは精神病院入院患者の餓死の問題は、問題提起にのみとどまり、私たち「精神病」者本人の運動も含め「精神障害者」の差別と闘う運動もなんら取り組みができていない。 「精神障害者」の歴史を見つめただけでもこれだけの戦争責任戦後責任問題が存在する。
 公海上にある船を日本政府が攻撃し沈没させ乗組員の救出さえしないという時代、自衛隊が海外出兵する時代、今私たち「精神病」者は新たな戦前に、いやまさに進行している戦争におびえている。 「聖戦碑」は新たな戦前の象徴であり、侵略の歴史、障害者虐殺の歴史を抹消し、今現在の戦争をあおるものである。
 日本も批准し国内法に優先する国連人権規約第20条は、1.いかなる戦争宣伝も法律によって禁止される、2.差別、敵対心又は暴力の扇動を構成するいかなる民族的、人種的又は宗教的憎悪の唱道も法律によって禁止される、としている。 日本にはいまだこの条項を保障する法律が存在しない。だが侵略を正当化する「聖戦碑」はこの条項に抵触すると私は判断する。 全ての者の人権問題としても「聖戦碑」は撤去されなければならない。 人権を否定され虐殺されてきた「精神障害者」の一人として、私は歴史を直視し反戦の声をささやかであれ上げ続けたい。
(注)精神病院の未復員兵については以下の本がある 『さすらいの<未復員>』 吉永春子 筑摩書房1987.7

精神障害者権利主張センター・絆 会員 世界精神医療ユーザーサバイバーネットワーク理事