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全人類ロボット仮説

小学生のころに、[全人類ロボット仮説]という考えというか妄想というか仮説に時々拘った事が有りました。
この仮説は、授業中に先生の話に飽きてしまった時などに、ぼやっとして校庭を見ながらその仮説を否定する材料がどこかに在りはしないかと思考実験をしたりするのに最適な課題でした。
その仮説とはいたって幼稚なのですが、「もしかしたら、何かの理由で自分以外の人達は自分と同じ人類ではなく精巧に出来たイミテーショソかもしれない」というものです。何かの理由とは何でも良くて、世界大戦か、疫病か、宇宙人の侵略でも何でもよいのです。
お父さんや先生に聞いてみるなどという事実確認の方法は、そのイミテーションが私の能力を越えて設計されていれば絶対に確認不可能なのです。友達に聞いてみるというのも同じく無効です。色々と考えた挙げ句唯一の確認できるかも知れない方法は「裏をかく」事だと思いました。
つまり僕がしそうもない事をして、僕自身が僕の「環境」が期待する外へ出てしまい、その時の「環境」の反応がどうなるか確認するということです。突然振り返ってみたり、誰にもいわずに学校の帰りに今まで行った事のない所へ寄ってみたり、しかしこれも結局は想定される能力の範囲の大きさが勝負になるわけですからやっぱり証明不可能でした。
つまり、その仮説は立証も否定もされ得ないのです。
唯一この仮説を否定的に思いたくなる時として、創造性のレべルについて考えた事がありました。当時はそんな難しい言葉で考えた訳では在りませんが、突然自分の意に反して先生に怒られたりしたときに、(怒られている最中に)「仮にあの仮説が正しいとすれば何故僕はこんな風にここで怒られればならないのだろうか」、「僕の思ってもいない様なこのやり方の意とする所は何なのだろうか」と考えたりするわけです。
「そんなに彼らは創造的なのか? そんなはずはないやっぱりこれは現実なのか」。
しかし、結局は能力の範囲の問題に帰結されるわけです。
自分の現実は自分のものでしかなく、他人の現実と直接繋がるものでない以上、この仮説は否定できないということです。馬鹿げているとは思いますが、、

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