両親と海外に行ってみた⑥
この記事は両親とトルコ・エジプトツアーに参加した記録です。
続きものですので、前回の「両親と海外に行ってみた⑤」からお読みください。
ルクソールの朝。この日も快晴だった。早朝到着だったので、ツアー出発は12時。古代エジプトではナイル川を挟んで、日の昇る東岸を人の住むところ、日の沈む西岸を死者の住むところとしていた。この日は西岸のツアーへ。
まずはメムノンの巨象で撮影タイム。アメンホテプ3世の像。
かつては背後に葬祭殿が続いていた。大抵、巨像というのは入口の飾りである。高さは17mを超える。葬祭殿がないのが逆に、大きさを際立たせているような気がした。
次に向かったのは王家の谷。エジプトで王の墓と言えば、ピラミッドを思い浮かべると思うが、新王国時代以降の墓はルクソールの王家の谷にある。
敷地内は広いので、遊園地のような移動車に乗って、墓の入口まで行くことができる。ハリウッドのセットと見間違うような造りである。この場所にたくさんの王たちが眠っていたのだ。
ていうか、めっちゃ暑いんですけど・・・
ラムセス4世の墓。
「K.V.2」とあるのは、発掘された順番。つまり、ラムセス4世の墓はこの王家の谷の中で2番目に発見されたということ。
現地ガイドさんがお墓の説明をしてくれるが、暑すぎて耳に入ってこない。正直、早くしてくれ。。。と思っていた。図面の通り、シンプルな作りの墓で、一番奥に棺が納められている部屋がある。
壁面には象形文字や壁画がビッシリと描かれている。墓の大きさは王としての在任期間の長さに比例するという。それは王となった瞬間から墓づくりがスタートするからである。盗掘されたり、博物館に移されたりですでにないが、ここには絢爛豪華な装飾品や棺、もちろん、王のミイラもあった。
さて、この墓 ↓ はだれのものか分かるだろうか。誰の墓よりも小さいが、誰の墓よりも注目されている。中に入るにもさらに料金がかかる。
ここはあのツタンカーメンの墓。9歳で即位し、19歳で亡くなった王。その死の謎や、発掘にまつわる奇妙な伝説も多い。ツタンカーメンの墓を訪れるだけで「世界ふしぎ発見!」のミステリーハンターになったような気持ちになれる。ミイラもガラスケースに収められ、展示されている。写真も撮ったが載せるのはやめておこう。
3つの墓に入れるチケットをもらっていて、最後の3つ目は好きなところを選んでいいとのことだったので、オススメされたラムセス3世の墓に行ってみた。
長い、そして広い。王家の谷の中で大きい墓のひとつである。
ツタンカーメンの墓には両親は入らなかったので、すでに別行動。他のツアー参加者の人たちとも気付いたらはぐれていたので、ひとりで乗り込むことになった。すると、中には思いもよらぬ光景が広がっていた・・・
誰もいない・・・こんなに広いのに、誰もいないのだ。
身体がシンと冷えてくる感じがした。吹いていないはずの風が顔を撫でた気がした・・・
壁画もダイナミックな絵が多くて、とても見ごたえがある。しかし、怖い。この今の瞬間、お墓の中に自分ひとりだけしか存在していないって考えると、ラムセス3世に手招きされてるような気持ちになる。
あとで調べて知ったのだが、ラムセス3世は暗殺により死亡していた。首を切られ即死だったと、科学技術によるミイラの分析で2012年に判明したという。あの時の悪寒は・・・
ふと振り返ると・・・
だ、れ、か、いる・・・・!!!
声を上げて叫びそうになった。まさかのラムセスではなく、墓の中に待機していて、観光客相手に写真を撮ってくれたり、説明してくれたりする現地人である。もちろんお金を取られるので必要なければ無視してOKだ。
この人がいることが何だかさらに怖くて、写真もそこそこに引き上げた。それに、お墓も3つ見ることができれば満足いくものだ。
それからハトシェプスト女王葬祭殿へ。こちらも映画セットのような壮大な建物。「実は、最近作ったんじゃありません?」って聞きたくなるような美しさ。
その前で家族写真を。暑い暑い1日だったけど、父も母も元気に乗り切ってくれた。きっとラムセスの何世かが見守ってくれていたのだろう。
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