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自粛生活note 2020/5/22

今日は映画2本立て。今月上旬に金曜ロードショーでやっていたディズニー祭りを録画していて、ようやく見ることができた。

①塔の上のラプンツェル

ディズニープリンセスの中でも人気No.1との呼び声高いラプンツェル。かつてプリンセスに憧れたこともあったようなわたしなのに、恥ずかしながら、本当の本当に、初見だった。

物語のスタートは、フリン・ライダーの語りから始まる。こういうパターンって珍しくない?と思いながら見ていた。なぜラプンツェルが塔に閉じ込められているのか、そのあたりはすぐにフリンの説明で把握できる。

外の世界に憧れ、年に1度空に浮かび上がる無数の光に思いを馳せるラプンツェル。そこへ泥棒フリンがやってくることから物語は動き出す。ラプンツェルは天真爛漫を絵に描いたような少女。18年も閉じ込められていたのにあんなに素敵な女の子に育ったのは、持って生まれた性格か、唯一の友達カメレオンのパスカルのお陰かどっちか・・・いや、もしかしたら魔女ゴーテルの育て方が良かったのかもしれない。

終盤で再び城に戻されたラプンツェルは自分が王女であることに気付き、ゴーテルに怒りをぶつけるシーン。ラプンツェルに対してたとえ騙されていようとも18年育ててくれた親にあそこまで露骨にすばやく嫌悪を抱けるものなのかなぁと思ったり、ゴーテルに対しても自らの若さのためと言えどもそれだけで18年育てられるものなのかなぁと同情したりしていた。それがヴィランズの運命なんだろうけど。

物語のラスト、お城に戻ったラプンツェルが本当の両親と再会を果たし、そこにユージーン(フリン)も招き入れて4人で抱き合ったシーンで泣いた。何も聞かずとも、この男が何者で娘とどういう関係にあるのかは、親なら分かるということなのだろうか。

何が良かったかって、とにかく笑える。馬のマックスとフリンのいがみ合い、酒場の荒くれもの達の見た目と性格のギャップ、ラプンツェルのコロコロ変わる表情と気分など、「コントかよ」ってくらいふざけている。ひとりの少女が大人の女性に成長していく様は、全部とは言わなくても、自分の一部とかぶるところがあって、応援したくなるし、愛おしくなる。ラプンツェルが愛されているのはそういう理由かもしれない。ディズニーランドに行ける日が来て、パレードを見るときは、ラプンツェルの写真を撮ろうと思う。

②トイストーリー3

アンディが大学生?!

最初の驚きである。トイストーリーは2作目までしか見ていなくて、こちらも初見だった。アンディの幼少期のビデオから物語はスタート。捨てられたと勘違いしたウッディ以外のオモチャたちは保育園にもらわれることを選ぶ。だがそこは思い描いた夢の国ではなく、子供たちに乱暴に遊ばれる地獄のような世界だった。

敵役としてクマのぬいぐるみロッツォが現れるのも新鮮。オモチャの敵は大抵人間だと思っていたからだ。独裁者ロッツォが支配する保育園の中で、ウッディと仲間たちは協力して脱出し(脱出してからもピンチの連続だけど)、アンディの元に帰ることが出来る。当初ウッディだけを大学に持って行こうとしていたアンディ。だが、ウッディは仲間たちと過ごすことに決め、近所の女の子ボニーにもらわれる道を選ぶ。

ラストシーンでアンディがボニーにウッディを渡すシーン。。泣ける。アンディは「僕の...宝物なんだ」とはにかみながら呟いて...アンディの手の中でウッディは動かないけれど、その身体全体から喜びと切なさが溢れているように見えた。オモチャにとっての仲間はオモチャ。主人はアンディ。だけどお互いに別れを選ばないといけない時が来る。

トイストーリーを見るといつも、自分の持っていたぬいぐるみやオモチャのことを考える。そして今手元にあるぬいぐるみのことも。置いたはずの場所にないことがあったのは、主人の居ぬ間に遊んだりケンカしたりしていたからなのかも、って。誰かにあげたりリサイクルに出したり捨てたり、別れてきたオモチャたちは幸せだったのかな、って。真実を言えば、オモチャはオモチャで、本当は動かないし感情もないことは分かっている。だけど、そう大人にさえ思わせることが出来る「トイストーリー」っていう作品はマジですごい。

トップ画像:宇宙兄弟APOポーチ
今の家にあるぬいぐるみのうちの一つ。とは言ってもポーチなんだけど。ポーチとして使うには実用性がなさ過ぎるし可愛すぎるから飾っている。こんな目で見つめられたら、きっと捨てることができないな、一生。

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