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【2021/1/27】千穐楽

「せんしゅうらく」の「しゅう」の漢字は「秋」じゃなくて「穐」を使った方がいいんだって。

本番開始の2時間前、いつものように舞台に全員集合していた。ダメ出し(演出家から前日の公演の振り返り、修正箇所の指示など)が始まるかと思いきや、主宰の能龍さんからこの話が出た。

「秋」には”火”が入っているから、火事を連想させてしまい、縁起上良くないとされていると説明を受けた。なるほど。これもひとつのゲン担ぎ。当たり前に使っている言葉で、正直どっちを使っても問題ないと思っていたが、どっちでもいいなら「穐」を使おう。ゲンを担ごう。

その話のあと自由時間になり、いつの間にか出来た”本多”ルーティンをこなしていたら、あっという間に開演時間。

意識はするけど、いつも通り。
これは矛盾しているようで、矛盾していない。

もちろん、千穐楽に大いに”遊ぶ”(いい意味で)、いや”遊べる”人はたくさんいる。卓越した技術と経験のなせる業で。いつかそうなりたいとも願う。初見の方にも、リピーターの方にも、楽しんでもらいたい、それは誰しもが思っていることだから。

ただ、千穐楽で発するセリフのひとつひとつは、今後発することのできないもので(再演で同じ役をしたとしてもやはりそれは違う)、舞台に立っている時は思わないけれど、袖に入ると「ありがとう」と自分のセリフに声をかけたくなる。言わせてくれてありがとう、と。「セリフに声をかける」って時点でもう意味わかんないけどね。

終盤に近付くにつれ、その「終わり」への実感が確かなものになっていく。大好きな推しのライブとかに行って「あぁもうアンコールだ…あと3曲くらいで終わりかぁ、終わるのヤダなぁ」と思うのと同じ感覚で、切なくなる。絶対終わるって知ってるけど、終わらないでほしいと思う。観劇して下さった方もそう思ってくれていたのかな。

だから今日はできる限り袖にいて、その空間とか息遣いとか客席の反応とか、感じ取ろうとした。あさこさんの表情も胸を打つ叫びも、福ちゃん(結局そう呼べなかったけど)のシャツの汗や特徴的な手の動きも、先輩たちの確かな佇まいも、同期の踏ん張りも、後輩のフレッシュさも全部が全部、目に焼き付けておこうと。

でも一方で。

終わってホッとしている自分もいて。ようやく酒が飲めるとか、ゆっくりできるとか、そういう部分もあるけれど、結局”永遠”なんてないから終わることが正解だと思うし、終わったらまた始まるし、「こんな幸せがいつまでも続けばいいのに」とは思わない。

ドライに明日の朝を迎える自分がいると思う。

夢の舞台「本多劇場」に立つことが出来て、じゃあ次は何を目標にするか?これからどうしたいか?自分のあり方を考えるタイミングがまたやって来た。

千穐楽ってそんな日。

終わりだけど始まる日。


最後に。

こんな世の状況で、劇場に足を運んでくださった皆様、配信でご覧下さった皆様、応援して下さった皆様、本当にありがとうございました。そしてスタッフの皆様、ゲストの皆様、能龍さん、キャストの皆様、裏方をやってくれた後輩たち、本当にありがとうございました。

今だからこそ生まれた舞台。

次は満席の本多劇場に立ちたい。お互い笑顔で会いたい。

ほら始まった。

だってもう酔ってるから。

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