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カジュアルな怨霊 2024.5.1-2

朝起きて、外が明るいことほど助かるものはない。
今日は晴れてる。

昨日の5.1はずっと雨で、体調も悪かった。
いつも思うけど、体調といってもお腹が痛いとか熱があるとかそういうことではなく、
雨の日、頭の中で雨が降っているみたいな感じになる。
何もする気にならず、前向きなことは何も考えられず、この世にいたくない感じになる。
精神ではなく、肉体がいやがっている感じ。

身体的な反応に精神が持っていかれる。
とすれば、結構物理的な対処が効くのかもしれない。
例えば、もう少し堅牢な建物の部屋に引っ越したら変わるのだろうか?
あとは運動したりなんだりで変わるものなのだろうか。

昨日は、一番しんどかったときに、Macのデスクトップの画像がたぶんニュージーランドのテカポ湖になっていた。
ミルキーブルーの湖。

その色を見ていたら、こんなに雨に降られていてつらがってても、そのずっと上、雲の上は、こんなミルキーブルーの空が広がってるんだよなあと思った。

そこにはこの苦しみはない。
ちょうどオイルパステルでその色を持っていたので、ノートに色を塗る。
良い色。青に少し黄色と白を混ぜた、乳白色の碧色。

iPhoneのハートマークの🩵←こんな色。

少し楽になった。
頭の中に雨が降っていたけれど、今は晴れたミルキーブルー。

精神の逆襲。からだと精神の助け合い。

ただその後もニュートラルに戻るとはいかなくて、動けなくて寝ていた。

雨は続き、いったん楽になったはずなのに、精神の暴れは続く。

精神なのか記憶なのか。ゴミなのか。
荒れた海の底がくえるように、いろんなものが出てくる。

なんでこうしてくれなかったとか、私だけ告知に名前が載ってなかったとか、この会社に嫌われてるのか? とか馬鹿にされてるのかとか、軽く見られてる?とか。

カジュアルな怨念みたいなものが元気よく主張して湧きあがってくる。(え、被害妄想やば、とか、うわぁこんなこと考えてたんだ……と思って眺めている自分もいる)

ようは全部、寂しかった。
え、と思って傷ついた。悲しかった。
そんな何気ない失意。

そういうものはミルキーブルーの世界には背を向けて、自ら沈殿し、頭の底にへばりつく。

頭の底には、「自分には価値がない」という前前前世、太古の昔から引きずってきたような寝床がある。不安や恐怖も気泡のように漂っていて、失意たちはそこでは安らげる。寝床もまた失意を全身で抱きしめる。

安住の地に見えるが、その寝床は暗く湿っているし、失意は失意なので、「やっぱりそうだよね、私なんか……」と、うっすらした絶望と無価値観の寝床でどんどん醸されて、やがて怨霊に変わる。

そして気象的に雨が降り、日頃綺麗なことを言っている意識の主(私)が弱ると、今だとばかりに百鬼夜行に繰り出す。

そんな感じ。

亡くなる少し前、一度意識が混濁した状態になった祖母が、驚くほどに意地悪な言葉や被害妄想のような言葉を発していた時期がある。
帰省して見舞いに行ったら、奪われるとか、裏切られるとか、そういうようなことをずっと言っていた。
大きな愛とやさしさの祖母だったから、そんな言葉を「もっていた」のかと驚いた。
驚いたが、納得もした。
祖母は今、底にあるものの総浚えをしているのだと思った。
大きな愛とやさしさの中に、出番が来なかった、うっすらとしたネガティブなものもたくさん溜まっている。人はそれさえも、死ぬときに抱えてはいけない。それを今出しているのだと思った。

祖母はその後意識の状態が戻ったが、喉のところにパイプを入れることになり、見舞いに行くと何も話せなかった。でも目の感じを見たら、祖母は元に戻ったのだと思った。よかった、と思った。
恨みつらみは、おばあちゃんの本体ではないから。


今朝起きたら晴れていた。空は青い。光の世界。

しんどかった昨夜は、BTSのBlue & Greyという曲を聴いていた。


歌詞も展開も見事で、BTSの中でも屈指の名曲だと思う。

雨の日にしか現れられない、青と灰色。
雨の日にはそれがよく見える。



なんとなくだけど、昨夜の百鬼夜行の参加者たちは、成仏したように思う。

晴れたベランダから戻り、ベッドに寝転がってこれを書いていたら、開けっぱなしにしていた窓から蜂が入ってきて、また出て行った。

堅牢な部屋に引っ越すか。

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