言葉の記録:くどうれいん『桃を煮るひと』(ミシマ社)
くどうれいん『桃を煮るひと』(ミシマ社)
https://mishimasha.com/books/9784909394880/
私自身はひとりご飯をこよなく愛しているので、この本を目次で見つけて以降なんだか恐れて読み切れていなかった「ひとりではご飯を食べられない」章をついに読む。消費者同士の美味しさのぶつけ合い、相手にすぐ気持ちを伝えられる幸せ、とのこと、頷きながら読む。
たしかにご飯を食べるとき、この美味しさを誰かに、誰かと、と思うことはたくさんあって、もしかしたらほぼ毎回思っていて、それはもはや食事だけにとどまらない。
たったいまこんなことがあって、こんなにうれしかった・悲しかった・笑った・泣いた、…… 伝えたいと思うことは本当にたくさんある。
伝えきれないもどかしさももちろん感じるし、それは一種の寂しさであり、れいんさん書くところの「悔しさ」でもあり。
でも、その感情そのもの、この気持ちを誰かと共有したいと思うことそのもの、共有したい誰かが(何人か)思い浮かぶこと、それらが幸せだとも強く強く思っているのも、また確かである。だからこそ私はひとりでいること、ひとりでご飯をいただくことが好きなのだと思う。
たいがいの気持ちや美味しさは共有されない。自分の中で(美味しく)咀嚼される。
共有が果たして叶わなくとも、そこにはいない相手のことを考え、届かないことを知っていても、幸せでいてください、美味しいものを食べてください、と祈る時間が好きだ。
祈っていると自然と笑顔になる。
もしかしたら、自分一人のために相手の時間を直接いただくことが少し苦手かもしれない。
それでも今の私は、ご飯に救われ、そこから思い出される誰かに救われている。
(2023/12/4 初台Fuzkueにて読む)
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