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成長鈍化している自分を、いかに早く受け止められるか

「〜しなきゃ」が口癖のようになっていた最近。全部自分がやりたくて始めたことだったはずなのに、前までは没頭して仕事していたはずなのに。

こんな悩みを友人に話すと「きっと新しい挑戦が足りてないんやろうなあ」と返ってきた。

そう、きっと自分でもわかっていた。

フリーライターとして駆け出して間もないころは、少しでも早く基本的な業務を理解して、フローに慣れて、自分に仕事を任せてもらえるようになりたくて、毎日必死だった。

そこから3年が経ち、今は次のキャリアを考えながら編集やディレクションにも関わらせてもらっている。

どちらも初めての挑戦だから、最初は当然できることを増やすのに一所懸命だった。どうしたら一緒に働く人とともにより良いアウトプットができるか、クライアントが期待する以上の成果を出せるか、今もずっと探し続けている。

ただ、駆け出しのころと決定的に違うのは、今がすでに経験してきた“ライター”というベースの上に成り立っているということ。完全にゼロからのスタートではない。

ライターを目指していたときよりも、きっと今のほうが業務をキャッチアップするも、冷静に俯瞰して物事を見る自分を取り戻すのも早い。(多分これが成長でもあるはず)

これはどんな道を歩んでいても必ず起きること。それでも歩みを止めないため大事なのは、この成長鈍化している自分に早い段階で気がついて、認めて、新しい挑戦を続けられるように自分で仕向けることなんだと思う。


何事も、ある一定まで経験を重ねたら成長速度は鈍化する。

最初は無我夢中でコミットしているから気がつかないんだけれど、ある程度の時間が経つと、同じことをしていても前よりはすんなりこなせるようになってきて。そこからしばらくしたときに、成長鈍化はやってくる。

「どうも前に進んでいないような……」
「毎日見える景色、色が同じだ」
「目の前のやりがいはあるけれど、その“点”から“線”が見えない」

この靄がかかった状況に直面したときに、これからの生き方やキャリアを見据えて、もしくは模索しながら、「自分で決断を下す」ことをやめてはいけない。

振り返ると、大なり小なり、いつも私は数年単位で自分を取り巻く環境に変化を求めていたな、と。

大きなフィールドを変えるのもひとつだし、変えずとも新しい挑戦はいくらでもできる。筋肉痛になることを避けていたら何より自分が楽しくないんだよ!と知っているならば、今、動かねば🏃‍♀️


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