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荻野がいなくても勝てる

今でもはっきり覚えている。あれはもう6歳とかの時か。

さあ立ち上がって
勝利の旗を振り
声合わせて歌おう
マリーンズのために

今でも使われているこの応援歌。
父親に頼んで買ってもらったロッテの旗を振ってオレンジ色の空席が目立つ内野スタンドにいた。

当時のロッテのスーパースターは紛れもなく西岡剛だった。ロッテファンの野球少年は皆西岡に憧れた。自分も例外ではない。
気持ちを全面に出して打撃も走塁も守備も積極的で時に冷静にセーフティをしたり。ショートの守備もとても上手く華があった。今のプロ野球界にはいないような、とてつもないスター性があった。成績以上に活躍している印象がある。

1番 ショート 西岡剛
ウグイス嬢の谷保さんの声が響く。

2010年はロッテの応援歌が一新された年で西岡の応援歌も変わった。それが目的でマリンスタジアムホーム開幕戦に来た。
西岡の新しい応援歌はとてもカッコよかった。シーズン当初から話題になるほどに。先頭の西岡は右中間に三塁打を打った。

2番のルーキー荻野貴司に打席が回る。
体が小さくてバットをとても短く持っている。それが第一印象。

ラララ 駆け抜けろホームまで荻野貴司

爽快なメロディーともにクルっとうまく回転してレフトスタンドに大きなホームランを打った。

今でもはっきりとその光景は覚えている。

その年、2010年の千葉ロッテマリーンズは記憶が曖昧だけど荻野が離脱するまで1位を快走して交流戦で荻野が離脱してから成績が下降していきギリギリ3位だった。

結果、中日との日本シリーズを制した。
父親と兄と一緒に渡辺俊介が先発した第三戦を観に行った。
そこに荻野貴司の名前はなかった。それが心残りだった。

今は2024年、先日荻野貴司が試合途中に不自然に途中交代した。
多くのロッテファンの嫌な予感は的中。
怪我で荻野の名前は一軍登録抹消の欄にあった。

荻野がロッテに来てから少なくとも2010年、11年、14年、18年、19年、20年、22年、23年と荻野が離脱すると負け始める。
今年もいつも通り荻野の離脱とともに前半戦を5連敗を終えた。
しかし例年と違い荻野の代わりが活躍していて嬉しい。
岡も高部も藤原も好調だ。荻野もスタメンで出る必要はなくなるほどに。

荻野のような俊足巧打タイプの選手の寿命は短い。
同年代の本多雄一、片岡治大、西岡剛、川崎宗則、岡田幸文、伊志嶺翔大、聖澤諒はみんな悲しいことに晩年バッティングに苦しみ得意の俊足も衰え守備も平均以下になった。
まさか1番長生きな選手になるとは思わなかった。
まだまだバッティングも通用するし守備も上手い、足は流石に全盛期と比べると衰えたがまだまだ走れる。

積み重ねた1118安打。
超一流、という成績ではないけどほとんど毎年怪我をしていることを考慮すれば素晴らしいものだ。

野球を始めたい。

2010年ロッテの躍進を見て野球を始めた。
全然体育会系の家庭ではなかったけど兄も中学、自分は少年野球から野球を始めた。

荻野が打つと父親も兄もライトスタンドのロッテファンも嬉しそう。自分も嬉しい。

走れなくたって打たなくたっていい。14年越しに日本シリーズで荻野貴司が見たい。

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