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「横浜山手秋ものがたり」第四章

これまでのあらすじ マリカは山手の古い西洋館に移り住んだ伯母の家で、金髪の異国の少女を描いた絵に何故か強く惹かれてしまう。その後友人達と出掛けた展覧会で偶然、その少女とそっくりな女の子が写った古い写真を見つけて驚嘆する。その写真を撮影した写真館を訪ねたマリカは、その少女が昔実在していた事を知り、少女についての新たな情報を得ようとする。いっぽう友人咲の兄、広介は山手に住む先輩からその家にまつわる、ある噂を耳にする。しかしそれは不吉なものだった・・・


 1.不吉な噂

 11月も半ばを過ぎていた。その日、広介は黄金色に色づく銀杏並木の

海岸通りを大さん橋に向かって急ぎ足で歩いていた。外国客船の国際

ターミナルとして有名なこの場所にはいつも大勢の見物客が集まっている。

 しかしこの日接岸する客船はなく、人の姿はまばらだった。

 

 「オーイ、広介ここだよ!」

 桟橋へと続く通り道にある一軒のオープンカフェから一人の男性が手を

振っている。広介はそれに気付き急いでそのテーブルに向かった。

「お久しぶりです、若宮先輩」

 メガネを掛けた体格の良い男性が、それに笑顔で応えた。

「ああ、ホント久しぶりだよなあ。卒業以来かな?それよりお前、また

背が伸びたんじゃないか?」

「ハイ、二年になってからまた少し伸びたみたいです」

「やっぱり!だけどいいよなあ、お前は。俺なんか縦じゃなく横にばっかり

広がる一方でさあ、全く嫌になっちゃうよ」

 彼はそう言うと、テーブルに置かれたラージサイズのコーラを勢いよく

飲んだ。広介はそれを見て吹き出しそうになりながら、座ってアイスコーヒ

ーを注文した。


「ところで先輩、今日はお忙しい所をすいません」

「いやあ、なに。それはいいんだ。俺の場合、仕事は家業の不動産管理業

だろ?だから、時間を作るのはそう難しくはないから。それよりお前、

この前調べて欲しいって言ってた、例の山手の古い家の話なんだが

な・・・」

 彼はそう言うと、周りに人がいないのを確かめてから告げた。

「実はその家、ちょっと良くないウワサがある」

「エッ、まさか。そうなんですか?」

 広介が驚いて声を上げると、彼は「シーッ大声を出すな!」と注意した。

そして広介に顔を近づけると小声で囁いた。

「そうなんだ。実はこの話は山手に古くから住んでいる住人達の間では

密かに囁かれている話でな?その塔のある家には何かある、どこか

おかしいって昔から噂されているんだ」

「何か・・ある?それは一体どういう意味なんでしょうか?」

 動揺した広介は、手元のアイスコーヒーの入ったグラスを倒しそうに

なってしまった。

「やっぱり驚いたか?それなら話す前にひとつ聞いておくが、その家に今

住んでいる人っていうのは、お前とどういう関係がある?親戚かなにか

か?」

「い、いえ違います。僕とは直接関係はありません」

 その答えを聞いた彼は、安堵した表情になった。

「ああ、それなら良かった。何せこれから話す事は、そこに住んでいる

人の耳には出来れば入れたくない内容だから。まあ、古い家には

ありがちな話とも言えるんだが・・・」

 それを聞いた広介は嫌な予感がした。

「先輩、ということはその話ひょっとして・・・」

怖い話ですか?という言葉を口に出そうとした瞬間、若宮は察したように

頷いて言った。

「うん、まあいわゆる世間一般で、”いわく付きな家”と囁かれている家が

あるだろ?まあそう言った類いの話にはなる・・あ、この話続けても

大丈夫か?」

 彼は広介の顔が急に青ざめたのに気付いて心配そうに聞いてきた。

広介はそこで勢いづけるようにアイスコーヒーをゴクゴクと飲み、大きく

頷いてから言った。

「はい、大丈夫です。だからぜひ聞かせて下さい、その話を・・・」

 そうして山手に代々住み続けている地主一族の息子である若宮は、

塔のある西洋館にまつわる話を声をひそめて語り始めたのだった。


 「まず俺は、その家の歴史を調べてみる事から始めたんだ。噂話だけ

では本当のことはわからないだろ?だからさ」

 彼はそう言ってから、この話は自分の職業上知り得た情報が多いので、

ここだけの話だからな?と断りを入れた。そして上着のポケットから

一冊の手帳を取り出すと、それを見ながら話し始めた。

 広介は彼の話をひと言も聞きもらすまいと、聞き耳を立てた。

 「調べてみた所、その家のある場所には明治以降、代々外国人が住んで

いたようだ。記録をたどると、大正の初め頃、その家の持ち主は

英国人の商人だった事が判明した。それがどうしてわかったかというと、

お前が言っていた様に、その家には塔があったからなんだ。

 塔は一般住宅とは違って建てる時に特別な手続きが必要だ。特にその

家の場合、その塔は家屋とは別に後から独立して建てさせたものだった

んだ。だから、珍しい事例として記録が残っていたんだよ。

 ええっと、確かここに当時の記載を写して来たはずだけど・・・

ああ、あったあった! ”アイルランド型の石塔、当地では初ノ奇異ナル

建造物ガ完成ス” ってね?それは当時としては見たこともない珍しい物

だったから、完成式典には大勢の見物客が集まったらしいぞ。ウチのご先祖

もどうやらそのうちの一人で、招かれて見に行っていたらしい」


 若宮の話は、先日写真館の店主から聞いていた話とほぼ一致していた

ので、広介の胸は高鳴った。続けて彼はこう説明した。

「そうした立派な塔を造らせたわけだから、その家主の英国人は当時相当

羽振りが良かったようだな?主に絹織物や美術品等の取引で成功していた

らしい。しかし、それもその後に起った関東大震災によって一瞬で破壊され

てしまったようだ。というのも、震災後わずかひと月ばかりで、彼が事業や

その家の権利など、財産のほぼ全てを手放して、早々に帰国してしまったと

記録にあるからだ」

「そうなんですか?それはきっと立ち直れないほどの、余程のショックを

受けての事だったんでしょうね?」

 広介は例の写真に写った少女に思いを馳せながら、呟いた。

「ああ、お前が言うとおり、彼は相当意気消沈したんだと思う。何せ

長年異国の地で努力して築き上げた自らの成功の証を、ほぼ失うことに

なってしまったんだから・・・」


(・・待てよ。という事は、その古い塔は彼の残した唯一の遺物と言える

んじゃないだろうか・・・?)若宮の言葉に広介が胸の内で考えていると、

彼はコップに入った水をゴクゴク飲んでから、再び話し始めた。

「ともかくその英国人が去ってから、しばらくの間そこに住む者は誰も

いなかった。もっとも復興にはかなりの時間を要したからな?次の住人が

住み始めたのは昭和に入ってからになる。それは震災から十数年を経た昭和

十年の事だ。この年は横浜では町の復興を祝う、”復興博覧会”が大々的に

開催された年でもあった」

「なるほど。それで次に住んだ人も外国人だったんですか?」

 広介の質問に、彼はノートを確かめてから頷いた。

「そのようだ。やって来たのはアメリカ人の実業家で、その土地に豪邸を

建てて、大家族で住み始めたらしい。新興国の急速な発展ぶりに、ビジネス

チャンスがあると見込んだんだろう・・・ところがその割には滞在期間

が短いんだ。記録によると、来日してわずか二年足らずで早々に帰国したと

ある」

「確かに。新しい国で商売をしようと計画していたにしては短い滞在です

よね?何かあったんでしょうか?」

 すると若宮の表情が急に曇った。


 「ウーン、そこなんだよ。実はその辺りからなんだ。何だか不穏な

出来事がその家に起こり始めるのは・・・」

「えっそうなんですか?」

「ああ、その一家の帰国の直接の理由かどうかはわからないんだが、

記録によると、その家の幼い子供が一人亡くなっているらしい」

「一体どうして?」

「ここにある記載によると、事故死となっている。どういう種類の事故

だったのかは残念ながら書いていないんだが・・・とにかくその家では

それ以降も住んだ人々が何らかの理由によって、非常に短い期間に

相次いで去っているんだ。やがて近所の人々は噂するようになった。

『あの家はどこかおかしい。何かに祟られでもしているんじゃないか?』

って・・その後廃墟となってしまったその場所で、幽霊を見たという

目撃証言まで飛び出す始末さ。それによるとな・・・?」

「あ、先輩、もうそこまでで十分ですから!」 

 

 広介にはもうそれ以上彼の話を聞く余裕はなかった。

(まさかあの家にこんな不吉な歴史があったなんて!幽霊の話が単なる

噂話だとしても、その家の住人達が短期間に次々と去って行くなんて、

どう考えてもおかしいんじゃないか?)

 そう考えた途端、不安で身体が小刻みに震えだした。

「おい、広介、大丈夫か?やっぱりこの話はお前に聞かせるべきじゃ

なかったんじゃないだろうか?」

 焦って尋ねて来る先輩に、広介は何とか平静を装った。

「いえ先輩、僕は大丈夫です。それよりもう一つだけ知りたい事があるん

です。今の住人が入る前に、そこに住んでいた人は画家だったと

聞いているんですが、その人については何かご存じでしょうか?もし何か

知っている事があれば、ぜひ教えて下さい」

 

 広介のその質問に、若宮は少し驚いた表情を見せた。そしてしばらくして

からこう言った。

「うん、その事なら知ってるよ。しかし驚いたなあ!実はその情報はつい

昨日聞いたばかりなんだよ。しかも意外な所からな?」

 若宮はそう言うと、広介の目を真っ直ぐに見つめて言った。

「それがこれはほんとに偶然だと思うんだが、俺のお袋がな、彼の教えて

いた絵画教室の生徒だったんだよ」

「ええっ、まさか!そうだったんですか?」

「ああ、そうなんだ。それでな?俺が彼について何か知っている事があれば

教えて欲しいと聞いてみると、お袋はこう言ったんだ。『あの先生の事なら

よく覚えているわ。何しろお教室では一番の人気者だったのよ。明るくて

お人柄も良くて教え方もとっても上手だったから。そうそう、私ほかの

マダム達と一緒に、一度お宅のアトリエに遊びに行った事もあるのよ』

なあんて事も無げに言うんだよ。そこで彼が亡くなった事について更に

聞いてみると、途端に表情を曇らせて言ったんだ。

『ああ、その事なら友達から聞いたわ。自宅のアトリエで亡くなられた

んですってね?死因は心臓発作だって聞いたけれど、まさかと思ったわ。

だってそれまではとてもお元気な様子で、僕は生来丈夫で風邪ひとつ

引いた事がないんですよってよく自慢されていた程だったから・・・』

ってな」

 

 その瞬間、広介は直感した。

(間違いない!その塔のある家にはきっと何かあるんだ・・・ )

 その時、脳裏には先日会った時に見た、マリカの無邪気な笑顔が鮮やかに

蘇ってきたのだった。


 2.写真館の娘

 その頃一ノ瀬写真館では、地下の倉庫で店主の娘の彩がひとり、

古い写真を眺めているところだった。彩は大学生で、勉強の傍ら店の

仕事も手伝っていた。幼い頃から写真が好きで、特に古い写真には強く

興味を惹かれ、時間があるときにはこうして一人、先祖達が遺した遠い

昔の人々や風景写真を見て過ごすのが何より好きであった。


 「オーイ、彩、そこにいるのかー?」

 そこに突然、店主である父親の大声が聞こえて、彩は我に返った。

「うーん、いるよー!」 静かな世界を乱されて、ちょっとガッカリしな

がらも、彩は階下に降りてくる父を迎えた。

「お父さんどうしたの?また何か探し物でも?」

「おお、お前は相変わらず察しがいいな?その通りだよ。実はこの前

来店された若いお客さんが、資料館に貸し出した写真の一枚にとても

興味を示されてな?ほら、お前も気に入っている、ひいおばあちゃんと

外国の少女が並んで写っている写真だ」

「えっそうなの?」

 綾は驚いて声を上げた。実は綾は大のひいおばあちゃんっ子だった。

つい昨年まで元気で長生きしていた曾祖母からは、昔話を聞くのが大好き

だったのである。


「そ、それで?そのお客さんは何を探して欲しいって言ってるの?」

「うん。それがなあ、探して欲しいのはおばあちゃんのじゃなくて、

一緒に写っているもう一人の外国人の女の子の写真なんだそうだ」

「へえー、それはまたどうして・・・?」

「お前もそう思うか?お父さんもそう思ったから聞いてみたんだよ。

するとそのお客さんは実に興味深い事を言っていたんだ」

 彼はそこでマリカが語っていた、少女の絵についての話をした。

 あの写真の少女とうり二つの少女が描かれた絵を、山手に住む彼女の

伯母が所有しているのだと。そのため資料館で偶然あの写真を目にして

とても驚き、モデルになった少女について知りたくなり、写真館を訪れた

のだと。


「ふうん、そっかー。つまりそのお客さんは資料館でウチが出した写真を

見て、その絵のモデルの女の子が実在していたと知って驚いたんだ?それで

その子の事がもっと知りたくなって、ここを訪ねて来たというわけか?」

「そうなんだ。そこでお父さんがその女の子はウチの古いお客さんで、

一緒に写っているもう一人の女の子は実は僕のおばあちゃんだと言ったん

だ。そうしたらまたその子は目を丸くして驚いていたよ、ハッハッハ」

「でしょうねえ。でもそれは無理もないんじゃない?」

「まあな?それでここからがちょっと興味深い話になるんだよ。その

お客さんが言うには、その絵を描いた人はその家に少し前まで住んでいた

画家なんだと。しかしその人は既に亡くなってしまったと言うんだよ」

 

 ここで彩は首を傾げて言った。

「ん?ちょっと待って。それはちょっと変よね?だってそうすると、

あの少女のことをモデルには出来ないはずだから・・・」

「だろう?そこなんだよ、彼等が気にしていたのは!それで僕は俄然

その話に引きつけられてしまったんだ。そこで少女が写っている何か別の

写真があったらぜひ見せて欲しいと頼まれて、引き受ける事に決めたんだ」

 彼はそこでひと息ついてから続けた。

「そこでお前にも協力して欲しいんだ。ここに昔の顧客名簿がある。

そこに書いてある記録と照らし合わせて、倉庫から少女の当時の写真を

探し出してみてくれないか?」

 彩は少し驚いた顔をしていたが、間もなく迷わずに答えた。

「うんわかった!そう言うことならやってみるよ。ひいお祖母ちゃんも

絡んでいる話だし、何だか謎めいていて私も興味が湧いて来ちゃった。

早速探し出してみるね?」

「おう、そうか?さすがはわが娘!写真館の次期店主候補なだけあって

頼りになるな?それじゃ悪いけど写真のほうは頼んだぞ。お父さんも家に

ある別の資料を調べてみるから」

 店主は相好を崩してそう言うと、店に続く階段を再び昇って行くの

だった。


 3.少女の記録

 彩はそれからすぐに、父から手渡された古い顧客名簿を作業台の上に

載せて見た。すると彼は既にその中から目当ての人物のリストを見つけ出し

てくれており、そこには付箋が貼られていた。

 ”英国人貿易商、ミスターラチェット。大正四年三月、初来店。

 家族写真ノ注文ヲ受ケル。同三月九日、当館ニテ撮影。

  作品№1 ラチェット氏ご夫妻、並ビ二当地ニテ生誕サレタバカリノ

御息女ノ肖像”

 少しクセのあるその文字は、高祖父の手によるものであることが

彩にはすぐにわかった。それから早速部屋の奥にある資料室に行き、

年代毎に作品がしまわれている引き出しを開けて見た。そこから大正四年

と記された作品のファイルを引き抜き、作業台の上に広げてみた。

 幸いなことに、大正時代の作品は明治期のものに比べると格段に状態が

良かったので、彩はさして迷う事も無く目当ての写真を見つけ出す事が

出来た。


「あった、これだわ!ラチェット一家の最初の家族写真。

うわあこの赤ちゃん目がパッチリしていてすっごく可愛いい!それに

座って抱っこしているお母さんも上品で美人ね?ラチェット氏のほうも

背が高くてなかなかイケメンだったんだー?」

 彩はその写真をひと目見て、魅力的な一家の姿に魅せられてしまった。

お似合いの美形の若夫婦に何とも愛くるしい赤ちゃんの肖像は、正に

幸福を絵に描いたようであった。更にルーペでよく見てみると、身に

付けている装飾品や豪華なレースのドレス等から、彼等がかなり裕福な

階級の人達であったことも見て取れた。

「うん、とにかく少女の最初の写真は間違いなくこれだわ。良かったあ、

すぐに見つけだす事が出来て。これも顧客の方の作品を、大切に保存して

いたひいお祖父ちゃんのおかげね?」

 彩は亡き曾祖父に感謝の想いを抱きつつ、再び記録帳に目を向けて

一家のその後の作品を探してみた。するとどうやら一家はその後もほぼ

1年ごとに写真館を訪れていたらしい事がわかった。

 何故なら前回と同じように、愛娘を囲んだ微笑ましい一家の肖像写真が

翌年以降も続けて何枚も出て来たからである。彩はそこで考えた。

愛情深いラチェット氏はきっと、愛しい娘の成長する姿をきちんと記録に

残しておきたかったのだろうなと・・・

 そうして彩はいつものように、しばし過去に生きた人々の当時の暮らし

ぶりをうっとりとした表情で思い描いてみた。それから一家の写った作品を

ファイルから注意深く取り出して順々に並べて行き、改めてじっくりと観察

してみた。すると間もなくして、彩はふと違和感を覚えたのだった。

 ある時を境に、一家の家族写真から婦人の姿が消えてしまっている事に

気付いたからであった。


 「あれ、なんで?お母さんがいなくなってる・・・」

 彩は不思議に思い、改めて記録をよく確かめてみた。すると婦人の姿

が見えなくなったのは、大正八年の作品からである事がわかった。それは

最初の作品が撮影された年から四年を経た年であり、そこから考えてみる

と、その時少女は四才になっていると思われた。

 作品№4、と記されたその写真を見て彩は首をひねった。

 (何かあったんだろうか・・・?)

 

 彩が注目したその写真には、椅子に腰掛けた幼い少女と背後に

立つラチェット氏のみが写っていた。少女の両手には熊のぬいぐるみが

抱かれており、その肩をいたわるように父親の両手がそっと置かれていた。

気になって少女の表情をルーペでよく見てみると、その笑顔にはどこか

翳りがあるようにも思われた。

「一体お母さんはどうしちゃったのよ?体調でも悪かったの?」

 彩は疑問に思いながらさらに記録帳をめくって行き、その後の一家の

写真を辿ってみた。しかし残念ながら大正八年以降、ラチェット一家の

家族写真から、婦人の姿を見つけ出す事は出来なかった。またそれとほぼ

同時期に、一家の写真は家族単位のものからそれ以外の人達と共に写した

集団写真へと変化して行った事も認められたのだった。


 「あーあ。残念だけど、この後の写真からはどこにも少女の母親の

姿は見つからないわ。この子の学校の行事の写真や野外でのパーティー、

それに父親関連の写真の類いとかからも全く!」

 忽然と姿を消してしまった少女の母親。こうなると考えたくはないが、

少女の母親の身の上には大正四年以降、何か特別な出来事が起ったのだと

予想される。そうして少女は、以降父親と二人きりの家族になってしまった

という事なのだ・・・

 彩は一連の少女の写真を辿って行くうちに、いつしか少女の顔から微笑み

が消え、どこか寂しげな虚ろな表情に変化しまっていることに気づき、

ため息をついた。それから急に気が滅入ってしまい、少女の写真の探索を

これ以上続ける気が失ってしまった。そこでこの辺でこの作業は中断しよう

かと考えていた矢先のことだった。


 「おーい彩、そろそろ休憩にして、お茶でも飲まないかー?」

 階上から父親の声が響いてきた。それからトントンと階段を降りてくる

音が聞こえ、お盆を持った父親が再び現れた。

「あれ?どうしたんだ彩、浮かない顔して」

 並べられた写真を前に、彩は腕組みをして考え込んでいた。

「ウーン、それがね?写真のほうはすぐに見つかったんだけど、ちょっとね

え・・・」

「なんだ、一体どうしたんだ?」

 彼はマグカップをテーブルの上に載せてから、彩のほうに近づいてきた。

「あのね、この一家の写真は大正四年の少女の誕生の時から始まっている

ことが分かったんだけど、調べてみると、どうも変なの。それまではいつも

仲良く家族全員で揃って写っていたのに、その後の大正八年の写真から、

母親の姿だけがぷっつりと消えてしまっているの・・・ほら見て、この写真

からよ」

 彩はそう言って、ラチェット氏と少女のみが写っている写真を指で示して

見せた。


 「ふーん、なるほど・・・」

 店主である父親は頷いた後、彩が投げ出していた記録帳を取り、ページ

をめくって行った。そしてある場所を開いて見せた。

 「彩、ちょっとここを読んでごらん?」

 それに従って彩が示された場所を見ると、そこにはこう記されていた。

 ”作品№12 大正十年。ラチェット氏、久シブリ二来館ス。談笑スル

ウチ、ハンナ嬢ト華子ガ仲良ク遊ブ姿ヲ見テ大変喜バレル。ソノ後

二人ノ姿ヲ写シタ作品也” 

 「へえー、ここに書いてある華子っていうのはひいお祖母ちゃんの

ことだよね?」

 「うん、その通りだ。つまりそれが幼い頃のおばあちゃんとハンナ

ちゃんを写した記念すべき一枚だったというわけさ」

「なるほど、これが資料館に貸し出した写真のオリジナルだったのかあ?」

「そうだよ。見てごらん?二人の表情を。とっても楽しそうだろ?」

 彼は寄り添うように写った二人の写真を改めて示した。

「ほんと、そうだねえ。子供は言葉が通じなくてもすぐに打ち解ける事が

出来るって聞いた事があるけど、この二人もきっとそうだったんだろう

ね?まるで姉妹みたい!」

 彩はどこか雰囲気が似て見える二人の姿に、感心したように呟いた。

それからほっとした気分でしばらくお茶を飲み休憩していると、

父親がまた思い出した様に言った。

 

「そうだ、彩。例のお客さんと話してから僕はずっとおばあちゃんのことを

考えていたんだが、いくつか思い出した事があったんだよ」

「ふうん、どんな事を?」

「ずいぶん前のことだけど、おばあちゃんが昔、自分には青い目のお友達が

いたって話してくれた事を思い出したんだよ。その子は山手にあるお屋敷に

住んでいたんだって」

「青い目のお友達?それってもしかして?」

「うん、ハンナちゃんに間違いないだろう。それからおばあちゃんはこんな

事も言っていたんだよ。『私達が仲良くなるきっかけは、二人の名前がとて

もよく似ていたからなの』ってね?」」

「二人の名前?って事はつまりその子がハンナで、ひいお祖母ちゃんが

華子だから・・・あ、そうかわかった!つまりハンナとハナコで名前の響き

がよく似ているってことなのね?」

「その通り!それがどうやら二人を近づけるきっかけになったらしいんだ。

その後二人はアッという間に仲良くなって、お互いの家を行ったり来たり

して遊ぶようにもなったそうだよ」

「ふうん、それはステキな話ね?あ、そう言えばひいお祖母ちゃんは英語

も上手だったじゃない?それはきっとその頃習得していたのかも?」

「ああ、きっとそうに違いないさ!」

 二人はそう言うと声を上げて笑った。


 「そうそう、それからもうひとつあるんだった。この事はさっきお前が

気に掛けていた答えになるとも思うんだが」

「え?お父さんどういう事?」

「うん、おばあちゃんがな、こうも言っていたんだ。そのお友達は

いつも広いお家にお父さんと二人っきりで寂しそうだったって。それは

お母さんが病気になってイギリスに帰ってしまったからなんだって」

 それを聞いた彩は声を上げた。

「お父さん、それよ!きっとそれがさっきの答えなんだわ!一家の写真

からハンナちゃんのお母さんの姿が消えてしまったのは、彼女が病気に

なって本国に帰国してしまったからだったんだわ。あーあ良かった、

これでようやく謎が解けたわ!」


 最悪な事態も想像していただけに彩は一安心して、それからは父親と

一緒にハンナのその後の写真の探索を再開した。

 その後、ハンナは順調に成長して行ったようで、それは生き生きとした

子供らしい明るい表情の写真から覗い知る事が出来た。そこで彩はこう

思った。(これはひょっとすると仲良くなったひいお祖母ちゃんのおかげ

かもしれないな・・・?)と。

 少し嬉しくなってそんなことを考えていると、今度は父親のほうが何かを

発見した様だった。

「彩、ちょっとこの写真を見てごらん?ほら、変わった物が写っているよ」


 その写真はそれまでの写真とは全く違っていた。

縦に細長く引き延ばされた写真には、堂々とした背の高い、西洋風の石造り

の塔が写っていたのであった。彩の父は記録帳に記された記載を読み

上げて言った。

 「”大正六年七月三日、ラチェット氏の依頼二ヨリ、敷地内に新設サレタシ

 英国式石塔ノ撮影二出向ク。非常二重厚デ立派ナ建造物二驚嘆スル。

 尚、七月七日二ハ、完成式典ガ盛大二催サレ、我ガ一家モ招待二預カリ

 光栄也" だと」

 それを聞いた彩は目を丸くした。

「え?なになに?この塔の完成式典?それはスゴいね?・・っていうか、

ラチェット氏はなんでまた塔なんて変わった物を建てちゃったんだろう?」

「・・・確かに。当時のことだから、恐らく建築資材や職人等は本国から

運ばせたのに違いないだろうからな?それほど手間ヒマかけてまで造った

目的は一体何だったんだろう・・・?」

 二人は不思議に思いながら、しばし塔の写真を眺めていた。そして

その昔、店の顧客であったラチェット氏とその娘のハンナの、どこか謎

めいた暮らしぶりについて、あれこれと想像してみるのだった。

 その後も彼等の記録をずっと注意深く辿って行ったものの、結局その答え

を見つける事は出来なかった。そして塔の完成式典以降、一家の写真は急速

に減少して行き、大正十二年の関東大震災発生以降、遂に一枚も発見する事

は出来なかったのである。


 4.謎の解明

 広介が先輩の若宮と会ったその二日後のことだった。

自室にいると携帯が鳴ったので出てみると、それは一ノ瀬写真館の店主から

であった。

「あ、はい田所です。先日はありがとうございました」

「いやあ、こちらこそ。あの時はわざわざ訪ねて下さって嬉しかったです

よ。それより早速なんですが、例のお頼まれしていた少女の写真、見つかり

ましたよ」

「えっ、ホントですか?」

「ええ。それでね?写真は何枚もありますし、少女についてわかったことも

色々とあるので、良かったら近いうちに皆さんでまたご来店されません

か?」

 広介は即答した。

「ハイ、ありがとうございます!是非伺わせてください!」

「良かった。それじゃあ皆さんの予定が決まったら、来店される日を

お知らせ下さいますか?お待ちしていますから」

「わかりました。早速連絡を取ってお返事します」

 

 電話を切った広介は興奮していた。実は広介は若宮から塔のある西洋館

についての気になる噂を聞いて以来、ずっと気落ちしていたのだった。

何故なら、その話を自分の胸の内に留めておいて良いものか、ずっと悩み

続けていたからであった。それが今掛かって来た電話によって、その答えを

どうするか、方向性が見えてきた様な気がしたのだ。

「よし、とにかくこれで少女についての新たな情報がもたらされる事に

なる!それによって先輩から聞いた話が真実であるかどうか、確かめる事

が出来るかもしれないぞ・・・こうなったらグズグズしている暇はない、

出来るだけ早く店に行って話を聞いてみなければ!」

 広介はそれから直ぐに、妹の咲の部屋へと急ぐのであった。


                  最終章に続く・・・


                          





 








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