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「横浜山手秋ものがたり」 第二章

 第一章までのお話 

ある日、マリカのもとに横浜に住む伯母の薫から庭の秋バラを見に来ないかとの手紙が届く。大好きな伯母からの誘いに喜び勇んで出掛けて行くマリカ。優雅なお茶会の後、その家に不思議なものがあることに気付く。それは古ぼけた塔と異国の少女が描かれた何枚もの絵。その少女の瞳は妖しく輝き、何故かマリカは強く引きつけられてしまう。その事をマリカは親友の咲に打ち明けてみることにするのだが・・・横浜山手を舞台にした、ミステリー風物語の第2章。


1.親友

 週明けの月曜日。

マリカが通っている女子校の朝は、休み明け特有の賑やかさを

見せていた。そんな中、マリカはポツンと一人、窓の外を見つめていた。


「マ・リ・カ・どうしたの?ぼんやりしちゃって」

ポンと肩を叩いて声を掛けてきたのは、親友の咲であった。

「ああ、咲ちゃんか?おはよう」

「何よそれ、まだ夢でも見ている様な顔しちゃって。

それよりさあ、週末はどうしてた?」

 咲のその質問に、マリカの顔は自然とほころんだ。

「あ、その顔!さては何か良いことでもあったな?」

「へっへー大当たり!実はね、ちょっとステキなことがあったんだ。

聞きたい?」

「もっちろん、当然でしょ?」

 咲はそう言って、鼻を膨らませた。

そこでマリカは日曜日の午後、横浜に住む伯母の家に招待され、

一人で出掛けて行ったことを話した。そこで美しい庭の秋バラを

眺めながら、バラずくしの夢のようにステキなお茶の時間を過ごした

のだと、うっとりとした表情で報告した。


「へえー、いいなあ。マリカにそんなステキな伯母さんがいたなんて

ちっとも知らなかった」

「エヘヘ、まあね?私も久しぶりに会ったんだ。それより聞いて、

その家にはちょっと変わったものがあったんだよ」

 そしてマリカは例の不思議な塔と少女の絵の話をしようとした。

しかしその途端、

 ジリリリリーン! と始業を告げるベルが鳴り響いた。

「あーあ、残念!それじゃマリカ、続きは昼休みにでもゆっくり

聞かせてね?」

 咲は残念そうに言ってから、自分の席に戻って行った。


 昼休み。その日は天気が良かったので、二人は弁当を持って

屋上に行った、そして奥にあるベンチに並んで座り昼食を取り

始めた。

 咲とマリカは中高一貫の私立の女子校に入学直後に図書室で

知り合った。新刊コーナーに入荷したばかりのファンタジー小説に

マリカが手を伸ばそうとした時、もう一方から手を伸ばしてきた

のが咲だった。それをきっかけに言葉を交わした二人はすぐに意気

投合し、仲良くなった。

 童顔で色白、少しぽっちゃり気味なマリカに対して浅黒い肌に

大人びた顔立ち、すらっとした体型の咲は外見こそ対照的であったが

一緒に外を歩くと、何故かよく姉妹に間違われる事があった。


「ところでさあ、今朝マリカが言いかけていた話の続き、聞かせてよ」

 大きなたらこ入りのおむすびを、ひとつペロリと平らげてから、

咲は言った。

 そこでマリカはペットボトルのお茶で喉を潤してから、話し始めた。

「そうそう、その事なんだけどね?薫おばちゃん家にはちょっと風変わり

な建物があったんだ」

「風変わりな建物?」

「うん、母屋の裏に、古い石造りの塔があったの」

 すると咲は声を上げた。

「ええーっそうなの?塔って言えばホラ、よくおとぎ話の中に出てくる

古い灯台みたいな感じの、アレでしょ?」

 古い灯台とはよく言ったものだなと感心しつつ、マリカは頷いた。

「ウン、まさにそんな感じのやつよ」

「へえー、またどうしてそんな物がそこにあるのよ?」

 咲は興味津々といった表情で聞いてきた。

「やっぱり咲ちゃんもそう思うよね?私も同じ事思ったから

おばちゃんに聞いてみたの。だけど理由はわからないんだって」

「そっかあ。だけど珍しいよねえ、その塔は一体いつ頃造られた

んだろう?」

「はっきりとした事はわからないんだけど、百年以上は経っている

らしいよ」

 すると咲は目を丸くして言った。

「へえー、百年以上って事は明治とか大正の頃か・・・

という事は、その頃その辺りは外国人居留地だったんじゃない?」

「その通り。さすがは咲ちゃん、よく知ってるね?薫おばちゃんも

そう言ってた。だから恐らくその塔は当時そこに住んでいた外国人の

誰かが建てたんじゃないかって考えてるんだって」

「なるほど。その考え方は妥当だろうな?」

 咲はウンウンと頷きながら言った。


 マリカはそんな咲の反応を見ながらもうひとつ、気になって仕方が

ない物があったのだと打ち明けた。そして例の少女の絵について話し

始めた。家のあちこちに掛けられていた金髪の少女の絵、中でも居間

に飾られていた大きな絵は特に印象的で、少女は塔の上に立っている姿

で描かれているのだと言った。またそれらの作品は全て、伯母が住む前に

そこで暮らしていた画家の人が描いたものであり、彼は既に亡くなって

いるのだともつけ加えた。


「へえー、塔の上に佇む金髪の美少女の絵なんて、何ともノスタルジック。それにその絵を描いた画家の人はもう死んじゃってるだなんて」

「ね?なんだかちょっと気になるでしょ?」

「うん、気になる気になる。何だかちょっとしたゴシックミステリー

に出てきそうな話だね?」

 ミステリー好きの咲は、そう言って目を輝かせた。

「とにかくその日は雨で時間も遅かったから、私外にある塔の様子を

よく見られなかったのよ。だから近いうちにもう一度出掛けて行って、

よく観察してみたいと考えてるんだ。その上で、居間にあった女の子

の絵と見比べてみようと思って。ミステリーは大げさだけど、何だか

あの日以来あの絵のことが気になって仕方がないの。特にあの女の子の

眼差しが忘れられなくって・・・だから少し調べてみたいんだ」

 親友のマリカがいつになく真剣な顔つきになっているのを見て、

咲は心を揺さぶられた。そこで自分も助け船を出してみることにした。

「よーし、マリカ。だったら私も協力するよ。その話には私も興味が

あるから、一緒に調べてみようよ。それに横浜のことだったら、詳しい奴

を一人知ってるし・・・」

 咲は任せて!と言ってマリカの肩を力強く叩いてみせるのだった。


2.コースケ

 帰宅した咲は、玄関先に兄の広介の靴があるのに気付いた。

いつもは部活等で遅いのに、今日は珍しく早く帰っているらしい。

そこで咲は二階に上がり、すぐに兄の部屋をノックしてみた。

「コースケ兄ちゃんいるー?」

 すると少しくぐもった声の返事が聞こえた。

「オウ、なんだ咲か?」

「うん、今帰ったとこ。ちょっと入ってもいいかな?」

「いいぞ、入れよ」

 

 久しぶりに入った兄の部屋は、雑然としていた。

広介は趣味の多い人間で、興味を持った事柄には徹底的にハマって

しまうほうだ。当然それらに関する物が色々と集まるので、部屋は

いつも散らかっていた。咲より二つ年上で、去年入学した高校が横浜に

ある古い伝統校だったため、今はもっぱら横浜の歴史や文化を調べる

ことに夢中になっている。そこで咲は今も机の上に古地図を広げ、

ルーペで何やら覗き込んでいる兄に向かって話しかけた。


「ねえ、お兄ちゃん。兄ちゃんは横浜の古い歴史には詳しいんだ

よね?」

「ああ、まあな。開港以降の歴史なら、大体は知ってるよ。

何でだ?」

 広介は地図から顔も上げずに答えた。

「うん、実はね、友達のマリカから、ちょっと興味深い話を

聞いたもんだから」

「ふうん、どんな話を?」

「それがね、彼女の伯母さんが山手の洋館に引っ越して住んでいる

そうなんだけど、そこにすっごく古い塔が建ってたんだって」


「古い塔・・・だって?」

 広介は途端に驚いた声を出した。そして咲のほうを

振り返って言った。

「それは確かに興味深い話だな。山手は昔外国人居留地だった

から、塔のある西洋館も多く建てられたんだよ。しかし今日まで

残っている物があるなんて、知らなかったなあ」

「そっかやっぱり・・その伯母さんも色々と調べてみたらしい

んだけど、その塔についての詳しい事は何もわからなかったって」

「それはそうだよ。何せ大正時代に起った関東大震災によって、

横浜の市街地のほとんどは、壊滅状態だったそうだから。

またその後に生じた火災によって、貴重な記録の数々も焼失して

しまったんだよ」

 浩介は残念そうに言って溜息をついた。


「ところでお兄ちゃん、友達の話にはまだ続きがあるんだ。

その家には金髪の異国の少女を描いた絵があちこちに飾られていた

そうなんだけど、その中の一枚の絵がなんともミステリアスな

雰囲気がしたんだって」

「ミステリアス?」

「うん。それは大きな絵で、その絵の中の少女は塔の上に立ってる

んだって」

「塔の上?って事はさっき言ってたその家にある塔のことか?」

「多分そうらしいよ。その絵の中の女の子は特に印象的だったみたい。

それにさっきミステリアスだって言ったのは、その少女の絵を描いた

画家の人は、その伯母さんが住む前までそこで暮らしていた人なんだ

けど、既に亡くなっているんだって。だから友達はすごく気になってる

みたいで・・・」

 咲はその話をしながら、自分に語ってくれていた時のマリカの

真剣な表情を思い出していた。そこで兄に思い切って尋ねてみた。

「ねえ、お兄ちゃん、今の私の話を聞いてどう思う?」


 広介はしばらく考えてから、こう答えた。

「ウーン、そうだなあ。その話だけでは何とも・・・

確かにその女の子の絵は不思議な感じもするけれど、実際に

見たわけじゃないからなあ。だけどその塔に関しては興味があるよ。

今聞いていて思い出したんだけど、僕の所属している横浜歴史研究会

のメンバーに、一人山手に代々住んでいる一族の息子がいるんだよ。

彼ならあの辺りの様子には詳しいはずだから、その塔のある家について

何か心当たりがないか聞いてみようか?」


「ひゃあーホント?お兄ちゃん助かる、お願いー!」

 喜ぶ妹に、浩介は言った。

「そのかわり、お前はその友達からその伯母さんが山手のどの辺りに

住んでいるのか聞いておいてくれよ。山手と言っても広いんだからな?」

「うん、わかった。早速聞いてみる!」

 咲はそう言うなり急いで部屋を出て行った。

残された広介は、ひとり腕を組み考えた。

(山手の古い塔とそこに残された謎の少女の絵か・・・?

これはひょっとすると何か面白い発見に繫がるかも知れないぞ!)

 そう考えてニンマリとするのだった。


 翌日、咲はマリカに改めて広介の話をした。

するとマリカは素直に喜んだ。

「それって本当?咲ちゃんのお兄さんが協力してくれるだなんて。

私すっごく嬉しい!咲ちゃんありがとー」

 自分が一人勝手に気にかけていただけの事を咲はよく理解して

くれただけでなく、すぐさま頼もしい助っ人まで見つけ出して

来てくれたのだ。その事がマリカには心底嬉しかった。

「いやいやマリカ、お礼なんて言わなくていいよ。コースケ兄貴は

たまたま今横浜にハマっているだけだから」

「それにしたって親切じゃない?おばちゃんの家のことまで

友達に頼んで調べてくれるなんて」

「まあそれはそうだけど、期待外れになるかもしれないし・・・」

「そんなことは今言わなくてもいいよ。とにかく嬉しいなあ。

なんだか私、楽しくなってきちゃった。今度はいつ山手に

行こうかなー?」

 昨日とは打って変わって活き活きとした表情になったマリカに、

咲はひとまず良かったと安心するのだった。

 その翌日、咲は広介に呼び止められた。


「おーい、咲。今横浜で始まったばかりの展覧会で面白そうなのが

あるぞ。多分これ、この前言ってたお前の友達に良さそうなんじゃ

ないか?」

 そう言って広介は一枚のチラシを差し出して見せた。

そこにはこう書いてあった。

 『   横浜開港資料館・秋の特別展

~山手に暮らした外国人・その姿と暮らしの足跡~

明治から大正にかけての貴重な記録写真を期間限定で特別公開!

会場は当館2階企画室にて  』


「うわあ、お兄ちゃんこれスゴいね?マリカにぴったりかも」

「だろ?今朝クラブの先輩が教えてくれたんだ。俺は今度の週末に

でも行くけど、良かったらお前もその友達と一緒に来るか?」

「ホント?いいの?お兄ちゃん」

「ああ、開港資料館なら俺は何度も行ってるから慣れてるし、それに

その友達から例の伯母さん家の話も聞いてみたいからな?」

「そっか、なるほど。やっぱりお兄ちゃんもあの話が気になってたんだ。

いいよ、それじゃマリカに予定を聞いておくから」

 そうしてマリカと咲、広介の三人はその週の土曜日に待ち合わせを

して開港資料館に出掛ける事になった。


3.開港資料館

 土曜日。マリカは再びみなとみらい線の車中にいた。

つい先日山手の伯母の家に出掛けて行って見たばかりの少女の絵。

ただ一度見ただけなのに何故か強く心を惹かれてしまった自分が今、

友達とその謎を調べてみる事になるなんて信じられない事だ。

その思ってもみなかった展開に、マリカの胸は高鳴るばかりだった。

 待ち合わせの場所は資料館に一番近い、日本大通り駅の改札口で

あった。到着してみると、咲と広介は既に改札口の外に立っていた。


「咲ちゃんごめーん、待たせちゃった?」

「ううん、大丈夫。私達もさっき着いたばかりだから。それより

マリカ、うちの兄貴を紹介するね?コースケって言って、今横浜の高校に

通ってるんだ」

 すると咲の後ろに立っていた背の高い青年が前に進み出て言った。

「こんにちは。初めまして、田所広介です。どうぞよろしく」

 広介は妹から話を聞いて、今日は楽しみに来ましたと言って人懐っこい

笑顔をマリカに向けた。そこでマリカも慌てて挨拶をした。

「こ、こんにちは、速瀬マリカです。今日はお世話になりますが、

どうぞよろしくお願い申し上げます」

 緊張気味に頭を下げるマリカに、咲は笑って手を取った。

「もうマリカったらそんなに堅くならないでいいよ。それじゃ

お兄ちゃん、案内よろしくー!」


 日本大通り駅の3番出口から地上に出て歩くこと2、3分。

旧英国総領事館の向かいに横浜開港資料館は建っていた。

 ここでは江戸末期から大正、昭和初期までの国内外の歴史資料を

集めて広く一般に公開しており、横浜の歴史を知る上では最適な場所

だ。そのためいつも多くの人が見学に訪れている。


「さあ、中に入る前にまず、あそこに立っている大きな木を見て

ごらん?」

 広介はそう言って中庭にある、大きく枝葉を広げている木を指さした。

「これは玉楠の木(たまくすのき)と言ってね、実はとても歴史的価値

のある木なんだ。何せあのペリーがこの地に初めて上陸した時から

この場所に立っていたと言われているんだから」

「エエーッ、お兄ちゃんそれ本当?」

 驚いて目を丸くする咲に、広介は言った。

「ああ、本当だよ。火事で一度は焼けてしまったんだけど、強い

生命力があって再び復活してここにあるんだ」

「へえー、それはスゴいなあ。初めて聞いたよ。ね?マリカ」

 咲はそう言って後ろを振り返った。するとマリカはそばに立っている

表示板を見ながら言った。

「うん、私も初めて聞いたわ。ここに書いてある。この玉楠の木は

日本の歴史上最も重要な場面をそばで見守った、大切な生き証人で

あるって」

「その通りだよ、マリカちゃん。戦争や災害も乗り越えて、この木は

この場所でたくましく生き続けているんだ。物も言わずにね?」

(物言わぬ生き証人だなんて・・もし今この木が口をきく事が出来たら、

一体どんな話をしてくれるんだろう?)

 マリカはそんなことを考えながら、もう一度玉楠の木を仰ぎ見た。

少し色付き始めた大木の葉が、その時サワサワと風に揺れた。


 中庭を横切って資料館の中に入ると、一階の展示室には、

”横浜開港への道”と示されたペリー来航とその前後の世界情勢や

日本、そして横浜の様子を紹介してあった。中でも一枚の大きな絵が

人目を引いていた。

 ”ペリー提督、将兵の上陸図”と題されたその絵には、1854年に

ペリーが武装した水兵と共に横浜(当時は横浜村)に上陸した場面が

描かれていた。その様子を遠くから見守っている村人とともに

右端にはさっき見たばかりの玉楠の木が、確かに描かれているのだった。

 咲とマリカは大いに感心しつつ、その絵に眺め入った。またペリーの

日本遠征記や瓦版(当時の新聞のような物)に描かれた、ちょっと

ユーモラスな似顔絵を見ては吹き出したりしながら展示室を見て廻った。


 二階の展示室に上がると、そこには ”街は語る~開化ヨコハマ”

と題された展示があり、、横浜で始まった「横浜もののはじめ」に関する

物が沢山紹介されていた。文明開化の中心地となった横浜が、世界へ

開かれた港町として発展して行く様子が、これらの展示を見るとよく

わかった。今では当たり前に存在しているクリーニング店や理髪店、

レストランや病院、公園などの店や公共施設等も、この地で初めて生まれた

ものであり、パンやビール、アイスクリームといったおなじみの美味しい

食べものの数々も、ここ横浜の地で初めて作られたことを、マリカと

咲は初めて知った。


「あー面白かった!!」

「ほんとに!横浜で生まれたものがこんなに沢山あるなんて知らな

かったから、すっごく勉強になっちゃった」

 展示室を出た咲とマリカが口々に感嘆の声を上げるのを、広介は

満足そうに眺めてから言った。

「それは良かった、喜んでくれて。実は僕もここに初めて来た時は

大いに感動してね?それがハマの歴史に興味を持つきっかけになったんだ。

それからすぐに学校の歴史クラブに入って、そのあと地元の研究会にも

所属する事に決めたんだ。そうそう、最近研究しているテーマはというと

ね・・・」

「ストップ!兄貴、今ここでマニアックな話をするのは遠慮してくれる?

まだ肝心の特別展示も見ていないんだから」

 咲に止められた広介は、そうだったな?と苦笑して頭を掻いた。

そして3人は二階の奥にある、企画展示室に入って行った。


 4.少女の写真

「ここでは資料館にある所蔵品だけじゃなくて、他の施設や個人収集家

からの出品作品が多いんだよ。だから中には珍しい物があるかも

知れないよ?」

 広介はそう言って、ガラスケースを示した。

”山手に暮らした外国人・その姿と暮らしの足跡~”と題された展示品の

多くは、古い書物や写真だった。

 広介の説明した通り、ケースの中には手紙や日記など、個人的な所有物

と見られる品々が目についた。中には家計簿や商店への注文書のような、

当時の生活レベルを知る手がかりになる資料もあり、広介と咲は面白がって

それらに見入っていた。しかしマリカの興味の対象は違った。壁面に展示

されている写真パネルのほうに、真っ直ぐに進んで行ったのである。


 マリカはその一枚一枚をゆっくりと見て廻った。

写真は明治時代の初期から始まっており、モノトーンの色彩の中に、

いにしえの時代に生きた人々の姿が映し出されていた。

 立派な口ひげを生やし、いかめしい顔つきをした紳士。その傍らに

寄り添うように立ち、裾の長いドレスを纏った婦人たち。そうした人々

を写した写真の多くは肖像写真であり、笑顔のものは一枚も見られ

なかった。しかし少し進んで行くと、そこにはテニスに興じる人々や

野外でパーテイーを楽しむ人々を写した写真があり、くつろいだ様子の、

いかにも楽しげな表情をした姿が映し出されており、マリカはホッと

した。また時代が進むにつれて、外国人とともに写真に収まる

日本人の姿も現れた。その中の一枚には、外国人の赤ん坊を腕に抱く

和服姿の日本人女性が写っており、キャプションを見ると、”子守を

する日本人女性”と記されていた。西洋の人々が暮らして行く上で、

その手助けをする日本人が数多く存在していた事が、そうした写真の

数々から見て取れた。やがて横浜にいる外国人の姿は珍しくなくなり、

日本人の中にも英語を初めとする諸外国の言葉を話せる人達が増えて

行き、国際都市となる基盤が築かれて行く事になるのだった。

 文明開化の発祥の地であった横浜は、新しい文化を吸収する

スピードも速かったのかもしれないと、マリカは想像した。

 そんなことを考えながら写真パネルの最後のコーナーに差し掛かった

マリカは、ある一枚の写真の前で目が釘付けになってしまった。


「こ、この写真て!?」

 そこには二人の幼い少女の姿が写っていた。仲良く手を繋ぎ、はにかむ

様に微笑んでいる一方の少女は、おかっぱ頭に着物を着た日本人の少女

だった。そしてもう一人、白いエプロンドレスを着て少しウエーブの

かかった長い髪の少女は・・・

(こ、この子、薫おばちゃん家で見た絵の中の女の子にそっくりだわ!)

 ひと目見てそう感じたマリカは、自分の直感を確かめようと更に

もう一度、その絵に近づいて見た。

「・・・ウ、ウソでしょ?信じられない!!」

マリカは思わず大声で叫んでいた。その声を聞きつけた咲と広介が

驚いて駆け寄って来た。


「一体どうしたのよ?マリカ」

 顔色を変えて立ちつくしているマリカに、咲が尋ねた。

するとマリカは震えながら、目の前の写真を指さして言った。

「この子、この女の子ね?おばちゃん家で見た絵の中の女の子に

ソックリなの」

「え、ええーっ、ホントにー?」

 咲と広介はマリカが示した少女の写真に近づき、ガラスに顔を

くっつける様にして覗き込んだ。

「うん、絶対に間違いないと思う。だってほら、その子の左ほほには

片エクボがあるでしょ?あの絵の中の女の子にもあったもの。それに

こっちをジーッと見つめる印象的な大きな瞳、それもうり二つだし・・・」

 マリカの声は興奮のあまり、少し上ずっていた。

 その時、何かに気がついた広介が口を開いた。

「ねえ、二人とも、ちょっと聞いて。ホラ、ここにこの写真の展示協力者

の名前が書いてある、一ノ瀬写真館って。ここは地元では老舗の、名の

通った写真館なんだ。だからここに問い合わせてみれば、この少女の

詳しい情報がもっとわかるかも知れないよ?」


 それはマリカにとって、衝撃的な事実であった。

(あの日、絵の中から私のことをジッと見つめていた女の子、

あの子はやっぱり本当に実在していたんだ!!)

 マリカの心臓は、途端にバクバクと打ち始めた。

写真の中の少女の瞳は再びマリカをとらえて離さないのだった。

そうしてこの日から、マリカは咲と広介を巻き込んで、秘められた

少女の謎を追って行く事になるのだった。


                第3章に続く








 

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