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「横浜山手秋ものがたり」最終章後編②

 

1.過去の写真

 一ノ瀬写真館には、既に咲と広介が到着していた。

店主は穏やかな笑みを浮かべ、マリカと薫を迎えてくれた。

薫は店主とは初対面だった為自己紹介をし、その後、彩が皆の前に進み出て

挨拶をした。

「初めまして。本日はようこそいらっしゃいました。

私は一ノ瀬彩と申します。先日父から話を聞いて、皆様とお会いするのを

楽しみにしておりました。今日は私も参加して父の手伝いをして参りますの

で、どうぞよろしくお願い申し上げます」


(・・・へえー、あの店主には娘がいたのか?知らなかったな。

化粧っ気が全くないけれど、年は俺よりちょっと上くらいか・・・?)

 思いがけない娘の登場に、広介は好奇の目をあらわにしていた。

するとその視線にすぐに気付いた店主がゴホンッとひとつ咳払いをした。

「えーっと、それでは早速ですが本題に入らせて頂きたいと思います。

先日ご依頼頂いた例の少女の件ですが、あれから娘と一緒に色々と調べて

みた結果、当時の写真を色々と見つけ出す事が出来ました。幸いな事に、

どれも保存状態が良かったので、まずはそちらからご覧下さい」


 奥のテーブルには、一目で古い写真とわかるモノクロームの写真が幾つか

並べられていた。それらは昔の肖像写真で、当時の衣装を着た、外国人親子

の姿が写っていた。

「まずはこの最初の一枚にご注目下さい。ここに写っているのは英国人ジェ

ームス・ラチェットと、その家族です。彼は貿易商で、妻のローズと共に今

からおよそ百年前、ここ横浜に来日しました。その後この地で誕生したの

が、娘のハンナです。ほら、この真ん中に写っているのがあの少女ですよ」

 そこには生まれたばかりの小さな赤ん坊と、その子を抱いて椅子に座って

いる母親、そして彼女の肩に手を添えて立つ若い父親の姿があった。


「まあ、何て可愛らしい赤ちゃんなんでしょう!!」

「ほんとーまるで天使みたいだね!」

 写真を見た途端、薫とマリカが感嘆の声を上げた。

「うん、確かに。しかも両親だってなかなかの美形じゃない?特に

この父親なんか、背が高くってすっごい足長!!」

「もうー咲ちゃんったら、イケメン好きなんだから!今私達が注目すべき

なのは、ハンナのほうでしょ?」

 咲らしい感想に、マリカがすぐにたしなめた。そのやりとりをそばで聞い

ていた彩は、思わずクスッと笑ってしまった。また同時に親近感も感じたの

だった。


「さて、今ご覧頂いている写真は当館の初代店主、一ノ瀬富雄が撮ったもの

です。彼の記録によりますと、一家はこの最初に写した写真が大変気に入っ

て、その後も度々来店しては毎年のように記念撮影を行っていたと言うこと

です」

 そして彼は続けて何枚かの写真を並べて見せた。

そこには少しずつ成長して行く幼子の、愛らしい姿が写っていた。

「わあー、やっぱりハンナちゃんってとっても可愛い子だったんだねー?

見てこのパッチリした目とクルクルの巻き毛。まるでお人形みたい!」

「ホントホント。それにそばにいる親たちの表情も、可愛くって仕方がない

って感じがして微笑ましいよね?まさに幸せを絵に描いたよう・・・」

 咲の言う通り、その写真に写っている一家の姿は愛情に溢れる完璧な

ファミリーそのものであった。

 ところがそこで、店主が水を差す様な事を言ったのだった。


「まあ確かに。その写真を見る限り、一家は幸せの絶頂にいたと言えると

思います。しかしその幸せは残念ながら、長くは続かなかったようなのです

・・・」

「え?そうなんですか?」

 意外な言葉を言う店主に、広介が思わず聞き返した。

「ええ。実は我々も驚いたんですが、幸せな一家にはその後、変化が訪れた

んです。それはその後に写された写真を見て気付いたんですが・・・ほら、

この写真です」

 そこで彼は新たに、ハンナが四つの誕生日を迎えた時の写真を見せた。


「あれ?この写真、お母さんが写ってない・・・」

 その写真を見た瞬間、マリカがすぐに気付いて言った。

「その通りです。その写真にはそれまで一緒に写っていた母親の姿がありま

せん。見てわかる通り、それまで母親が座っていたはずの椅子にはハンナが

座っていて、その後ろには父親の姿しかないのです・・・」

 よく見ると、その写真に写ったハンナの姿は実に痛々しいものであった。

熊のぬいぐるみを胸にしっかりと抱き、母親のいない寂しさを必死にこらえ

ているように、口元はギュッと一文字に結ばれていた。

 これを見たマリカはたまらず質問した。

「あの・・・教えて下さい。ハンナちゃんにはこの時一体何が起ったんです

か?」

 すると店主はすぐにその答えを教えてくれた。

「ええ、実は私達もその理由が大変気になりましてね?すぐに記録を調べて

みたんですよ。するとそこにはこう書かれてありました。”ハンナの母親は病

気になって、一人で帰国してしまった”と・・・」

 

「まあ、何てことでしょう!?それは可哀想に・・・幼い子供にとって、

それは致命的なダメージになるわ!]

 薫が悲鳴に近い声を上げた。すると今度は彩がそれに応えて言った。

「はい。それはご想像の通りだったみたいです。彼女がいかにショックを

受けたかは、その後に写された写真にもはっきりと表れていますから

・・・」

 彩の言う通り、その後に写された写真には、それまでとは明らかに違う、

暗い表情のハンナが写っていた。

「ふーむ、確かに。こっちのハンナの表情はさっきとは大分違うな?

何というか、子供らしい生き生きとした明るさがすっかり失われてしまって

る感じで・・・」

 広介のその言葉には、誰もが共感していた。母親の不在によって受けた

ハンナの心のダメージが相当大きかった事は、写真を見て容易に想像する事

が出来た。

「皆さん、見ての通りハンナはしばらくの間、寂しい日々を送ることになっ

ていたようです。しかしその後、ハンナは再び明るさを取り戻すことが出来

るのです」

 彼はそう言うと、新たに一枚の写真を取り出して見せた。


 そこには二人の少女が笑顔で写っていた。一人はハンナで、もう一人は

和服を着たおかっぱ頭の日本人の少女だった。

「あ、これ、資料館で見た写真と同じだ!!」

「ホント、確かに見覚えがあるよ!」

 マリカと咲がほぼ同時に声を上げると、店主は大きく頷いた。

「はい、お二人とも正解です。この前もお話しましたが、ここに写っている

おかっぱの少女は、私の祖母なんです。祖母は当時、おハナちゃんと呼ばれ

ていて、ハンナちゃんとは同い年で名前がよく似ていた事もあり、二人はす

ぐに仲良くなったそうです」

「まあ、それはステキなことですこと!子供は大人と違って、国籍や言葉の

違いなど関係ありませんものね?」

「ええ、それは仰る通りだったみたいです。二人はその後お互いの家を

行ったり来たりするようにもなって、自然と家族同士の友好も深まって行

ったようです。取り分け父親同士は意気投合したようでしてね?

その証拠に、ラチェット氏はその後自宅で開いた盛大な催しに、曾祖父一家

を揃って招待しているほどですから・・・彩、皆さんにほら、例の式典の時

の写真をお見せしてごらん?」

 店主はそう言うと、彩にとっておきの大きな写真を机の上に広げるように

指示した。


 その写真には一際目を引く背の高い、西洋式の塔が写っていた。

その前には着飾った大勢の客達が写っており、中には初代店主とその家族

と思われる、和服姿の日本人の姿も写っていた。そしてその中央には満面の

笑みを浮かべて誇らしげに立つ、当主のラチェット氏自身の姿があった。

「これはラチェット氏が敷地内に新たに建造した塔の、完成式典の様子を

撮影したものです。初代はこの塔の撮影を任されて、家族もこの日の祝賀

パーテイーには揃って出席したと記録には書かれています。この様な本格的

西洋風建造物は当時としては珍しかったので、地元ではかなり話題に上った

らしいですよ」

 店主は写真を見せながら、少し得意そうに説明した。

するとしばらく経って、その写真に顔を寄せて見ていたマリカが薫に声を掛

けた。


「ねえ、これって、薫おばちゃん家の塔に似てない?」

「・・どれどれ?あらホント。確かによく似てるわね。最も家のはもっと古

くて、上の方はすっかり無くなっちゃっているけど・・・」

 その会話を耳にして、驚いたのは店主だった。

「え?なんですって?すみませんが今、何と仰いましたか?」

「いえ、あの・・ですからね?この写真に写っている塔が、私の家にある塔

とよく似ていると、そう申し上げていたんです・・・そうよね?マリカちゃ

ん?」

 そこでマリカはうんうんと頷いて見せた。すると彼は信じられないといっ

た表情で言った。

「まさか!?だってこの塔は百年以上も前に造られた物なんですよ?

当時の建築物で今日まで無事に残っているものがあるなんて、私は今まで

聞いた事がない・・・」

 そう言われても、薫とマリカはただ困惑するばかりで答えようがなかっ

た。するとそこで広介が、思わぬ助け船を出した。


「あ、そういえば僕、その塔を写した写真を今日、持ってきていますよ!」

 広介はそう言うなり、急いで持ってきたリュックの中から何かを取り出し

た。それはついこの間薫の家に招かれた際、庭で撮った塔の写真だった。

「ほら、見て下さい!これは今薫さんが仰っていた、お宅の庭にある塔を

写した写真です。僕、色々な角度から撮っていますから、先ほどの写真と

比較出来ると思うんですが・・・」


 これには店主も彩も、大いに驚いたようであった。

そこで二人は「ちょっといいですか?」と断ってから、ルーペを取り出して

広介の撮った写真を一枚一枚じっくりと見た。それが終わると、今度は

真剣な表情で、先ほどの初代が写した塔の写真と比べて慎重に見直した。

 一同はその様子を固唾を呑んで見守っていた。彼等の表情から、何

かただならぬ事態が起こりつつあることが感じ取れたからであった。

 やがて親子は写真から顔を上げ、小声で何かを囁き合っていた。その後、

ようやく結論が出た様で、店主はあらためて皆の方を向き直って言った。

「皆さん、お待たせ致しました。ふたつの写真をじっくりと見比べてみた

結果、二つの塔にはかなりの共通点がある事がわかりました。ですから

これらは同じ物である可能性があると言えます」


「んまあ、本当ですの?」

 それを聞いた途端、驚嘆の声を上げたのは薫だった。そして目を輝かせて

こう言った。

「それは嬉しいことを伺いましたわ。何しろ私、二年前にあの家に引っ越し

て来てからというものの、あの塔の事が気になって仕方がなかったんです

の。ところがいくら調べてみても、その記録を見つけることが出来なかった

もので・・・」

「そうだったんですか?確かにここ横浜では、関東大震災や戦争等によって

資料の多くが焼失してしまっていますから、それも無理からぬ事でしょう。

幸いウチの写真館には地下に堅牢な倉庫が造られていましたから、貴重な

資料の大部分が、今日まで生き延びることが出来たんです」

「それは幸運なことでしたわね?お陰で私、気分がだいぶ晴れましたわ。

だってずっと気になっていた我が家の謎が、ひとつ解決したわけですから

・・・」

「ハッハッハ。それはお役に立てて良かったです。しかし、もしこれが本当

に事実だとすると、我々は凄い発見をしたと言えるかもしれませんよ。

なあ彩、お前はどう思う?」

 彼はそこでさっきから真剣な表情で何かを考えている娘に意見を求めた。


「そうね?お父さん。もしこれが事実だとすると、今まで誰も気付かなかっ

た歴史的遺物をひとつ発見したことになるわけだから、確かに凄い事だと思

うわ。でもね、それはそうとして、それより私が驚いたのは別のことなの。

だってもしその二つの塔が同じものだとすると、ハンナ・ラチェットは昔、

今杉澤さんが住んでいらっしゃる所と同じ場所に住んでいたということに

なるわ。これってすごい偶然だと思わない?」

「本当だ!確かにその通りだね?」

 広介がすぐに興奮気味に頷いて見せた。

 

 その時、マリカは心の中でこう考えていた。

(・・・もしかしたらハンナちゃんが私達に伝えたかった事って、この事

だったのかもしれない。自分は昔ここに住んでいたのよ!ていうその事実

を・・・そうだ、きっとそうに違いないわ!)

 マリカはその思いつきをすぐに薫に知らせたかった。しかし、それより

先に店主が新たに口を開いたのだった。


  3.真実

「皆さん、塔の写真に関してはまだ色々と、ご意見があるかとは思います。

しかしここで私はもう一つ、皆様にお話ししておきたい事があるのです」

 彼はそこで一度言葉を切ると、彩の方を見た。すると彼女は「わかった」

と承知したように頷いて見せた。そこで彼は安心したように話を続けた。

「さて、あらためて申し上げますが、ご依頼頂いたハンナ・ラチェット嬢の

記録は、先ほどお見せした塔の完成式典の写真が最後になります。

 それ以降の彼女、もしくは一家の目立った記録は残念ながら見つけること

は出来ませんでした。その理由は言うまでもなく、その後にこの地域を襲っ

た大災害、すなわち関東大震災が発生した事によります・・・・」

 彼はそこで肩を落とすと、いかにも悲しそうな表情をした。


「そ、それじゃあハンナちゃんはどうなってしまったんですか?」 

 震える声でマリカは質問した。しかし、彼はすぐに答えようとはしなかっ

た。そしてしばらく経ってから上着のポケットに手を入れて、何かを取り出

したのだった。それは古びた一通の封筒だった。彼はそれを手にすると、

再び話し出した。

「ここに取り出したものは、私の曾祖父に宛てて書かれたラチェット氏の

手紙です。この手紙が曾祖父のもとに届いたのは戦後のことでした。それは

あの震災が起った後、ラチェット氏がこの横浜の地を去ってから、実に二十

年もの歳月が流れた後のことでした・・・実は私達親子はこの手紙の存在を

これまでずっと知らずにおりました。ところが今回の調査の過程で、全く思

いがけずにこれは私達の前に現れたのです。そこで私達家族は大変驚き、

そして感銘を受けました。何故ならラチェット氏が曾祖父のことを心から

信頼し、真の友人としてこの手紙を書いてくれたことがわかったからです。

 ここに書かれた内容は非常にプライベートなものです。従って、本来なら

人に簡単に公開すべきものではないでしょう。しかし、私達家族はよく話し

合った結果、本日ここにお集まり頂いた皆様に、その内容をお伝えしたほう

が良いと判断致しました。何故なら皆様は本当に心から、ラチェット氏の娘

ハンナちゃんのことを思って下さる事がわかったからです・・・」

 彼はそこで言葉を切って、集まっている一人一人の顔を見た。それから

マリカのほうを向き直ると、微笑みながらこう言った。

「さっきあなたが質問してくれたことへの答は、ここに全て書いてあるよ」

と。そうして彼は静かに手紙を広げたのだった。

 その時窓からはまろやかな初冬の陽射しが入り込み、彼の手元を明るく浮

かび上がらせていた。そこで彼は一瞬眩しそうに目をしばたたかせてから、

ゆっくりと最初のページに目を落としたのだった・・・

         

                            続く

 









 





















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