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「横浜山手秋ものがたり」 第三章

これまでのあらすじ

 15歳のマリカはある秋の日、横浜山手の古い西洋館に住む伯母の家に招かれる。マリカはそこにあった金髪の異国の少女の絵に何故か強く引きつけられてしまう。そしてそこに描かれている古い塔にも・・その絵を描いた画家は以前そこに住んでいた人であり、しかも既に死亡していると聞いたマリカは、友人らと共にその謎を追う事にする。そしてある展覧会で見た一枚の写真から、少女が昔実際に生きていたことを知るのだが・・・横浜山手を舞台に、歴史をたっぷりと盛り込んだ物語。


 1.一ノ瀬写真館

 その後、三人は資料館の敷地内にあるカフェでひと休みする事にした。

少女の写真と対面したマリカは興奮冷めやらない様子だったが、注文した

熱い紅茶を飲むうちに、ようやく落ち着きを取り戻し始めた。

「それにしてもホント驚いちゃった。まさかあの女の子が実在していた

なんて・・・」

「全くだよねえ。偶然とは思えないよ、ここで写真に出逢うなんてさあ」

 咲もミルクティーを飲みながら、相づちを打った。するとしばらく黙って

スマホを見ていた広介が提案した。

「ところでさ、マリカちゃん。ひとつ提案があるんだけど。もし良かったら

これからさっき言ってた一ノ瀬写真館に行ってみない?」

 マリカはテイーカップを置くと、驚いた様に広介をみつめた。

「え?その写真館って、あの少女の写真を提供したっていう?」

「そう、展示協力者のことだよ。今スマホで調べてみたら、

その店はここからそう遠くない所にあることがわかったんだ。

だからせっかくだから、これから訪ねて行ってもいいかなと思うん

だけど・・・?」

 広介はそう言ってマリカの反応を見た。

マリカがしばらく迷っているような素振りを見せると、咲が言った。

「そうだよ、マリカ。あの少女のことが気になるんだったら思い切って

行くべきだよ。今日なら兄貴も付き合ってくれるって言ってるんだから、

心強いじゃない?」

 咲の言葉には説得力があった。確かにこのまま行かずに帰ってしまった

ら、やっぱりあの時行けば良かったと悔やむことになるだろう。そして

あらためて出掛けてみようと思ったところで、果たして自分には一人で

行く勇気があるだろうか・・・?

 そこまで考えたマリカは決心がついた。

「うん、わかったよ、咲ちゃん。私その店に行ってみる事にする」


 マリカの了解を得た広介は、ならば一応店に連絡しておいたほうが

良いだろうと言って、早速連絡を取ってくれた。すると運良くその店の

店主が電話に出て、訪問の目的を伝えると快く応じてくれたのだった。

「よーし、それなら出掛ける前に、ちょっと腹ごしらえでもするか?」

 広介はそう言うなりメニューを広げ、さっさとカレーを注文して

しまった。マリカは気持ちが高ぶっていてあまり食欲はなかったが、

咲の勧めでサンドイッチを注文する事にした。


 お腹が満たされた3人は、次の目的地である写真館を目指して

頑張って歩き始めた。一ノ瀬写真館は明治のころから続く歴史ある

写真館のひとつだ。ペリー艦隊同様、日本に派遣された諸外国の使節団

にも、多くの写真家達が同行していた。例えば米国のフリーマンや英国の

ソンダース、同ベアトなどが有名であるが、中でもベアトは横浜で写真館

を開業し、その技術は多くの日本人の弟子達に伝わった。その後、彼等は

独立し、次々と店を構えて行ったのだった。当初、「写真を撮られた者は、

魂を抜き取られてしまう」との悪い噂が広まったため、集客には大変苦労

した様だが、後にはそれが全くの迷信である事がわかった。そこで人々は

それまで絵師に頼んで描かせていた肖像画から、実際の姿を正確に映し出す

ことの出来る写真を利用するようになった。そしてそれがやがて全国に

広まって行ったのである。


「写真館のある場所は、弁天通りなんだ。確かその通りには、写真館発祥

の記念碑があったはずだよ」

 歩きながら広介は、歴史クラブに入部したばかりの頃、先輩に案内して

もらったことがあるんだと話した。

「そっかあ、それじゃあ写真のはじめても、横浜だったって事だよね?」

 咲はさっき資料館で見た、”横浜もののはじまり”の展示を思い出して

言った。するとマリカも「そうそう、確か横浜写真っていうアルバムが

飾ってあったよね?」と答えた。

 ”横浜写真”とは、開国当時の日本の名所風景や日本人の風俗習慣を

写した写真が沢山収められたアルバムのことで、製作の中心が横浜で

あったため、その名がついた。その表紙には蒔絵や螺鈿(らでん)細工が

施された豪華な装丁のものも多く、展示コーナーのガラスケースの中

にも、そんな一冊が展示されていたのだった。その美しく、精緻な作りは

西洋の人々の人気を呼び、漆器や陶器などと共に、日本の代表的な輸出

工芸品ともなった。

 そんな話をしているうちに、三人は弁天通りに到着した。

さっき広介が言っていた通り、その近くには昔の箱型の写真機が載った、

ちょっと変わった形の碑があった。そこには1862年、横浜に写真館を

ひらく・日本写真の開祖、写真師・下岡蓮杖(しもおかれんじょう)と

記されていた。


「あ、あそこに看板が見えたよ!」

広介がそう言って指差した前方には、『創業明治十八年~一ノ瀬写真館』

と書かれた看板があった。正面から見ると、それはよく昭和初期を舞台に

した映画で見かけるような、三階建ての古いレトロな建物であった。

 入り口に続く石段を上ると、ガラスのはめ込まれた重厚な扉があり、

両側のショーウインドーには現在写した結婚写真や記念写真等のカラー

写真と、モノトーンの古い時代の肖像写真が比較するように飾られていた。

「さすがに歴史ある写真館って感じだな?さ、思い切って入ってみよう」

 重厚な佇まいに少し圧倒されたのか、広介は勇気づける様に言ってから、

扉を押した。


 2.店主の話

 三人が中に入って行くと、チリンチリンとベルの音が響き、

間もなく白髪交じりの男性が現れた。

「いらっしゃい。今日はどんなご用件で?」

「こんにちは。僕先ほど電話で連絡させて頂いた、田所といいます」

「電話で?ああそうか、資料館のことで話を聞きたいっていう・・」

「はい。今日は突然伺ってすみません。あ、一緒ににいるのは

僕の妹と、その友達です」

 広介がそう言うと、「こんにちは、お邪魔します」と言って、

咲とマリカがペコリと頭を下げた。


「やあやあどうも、こんにちは。まさかこんなに若い方達が揃って

古い写真に興味を持って下さるなんて、これはまた感激だなあ」

 彼はそう言って嬉しそうに笑い、自分がここの店主だと名乗った。

そしてさあどうぞ奥の方へと言って三人を応接コーナーのソファーに

座らせた。年季の入った深緑色のビロードのソファーの前には低い

テーブルがあり、その上には様々な写真の見本帳が載せられていた。

 彼はその前にある背もたれの高い椅子に座ると、話し始めた。


「ウチの店はここ横浜では古くてね、開業したのは私の曾祖父なんですよ。

明治の初めに写真の技術が外国人技師から伝わって、その弟子の一人と

して修行しました。その後、元町のほうで店を開いていたんですが、

関東大震災で焼失し、その後ここに移って来たんです。今の建物も戦争で

かなりやられましたが、父の時代に何とか元に近い状態に復元出来ました」

「そうだったんですか?どうりで風格のある建物だと思いました。それに

しても今の時代まで事業を存続されるとは、ご立派ですね?」

 広介の言葉に、彼は少し照れた様に答えた。

「いやいや、立派なんて言える程ではないですよ。何せ今の時代に写真館を

利用する人は少ないですからね?皆さん携帯を持っていらっしゃいます

から、プリントをするために来られるお客さんもほとんどないですし・・・

だから今回のように資料館などに昔の写真や機材などを貸し出したりして、

何とかしのいでいるんですよ。オッと、これは愚痴になってしまった

かな?」

 饒舌な店主はそう言って苦笑した後、本題に入った。

「ところで今日皆さんがいらしたのは、開港資料館に展示協力させて

頂いた写真のことですね?確か二人の女の子の写った・・・」

「はい、そうなんです。僕達、あの写真に写っていた外国人の少女の事

が知りたいんです。それでこちらに伺えば、何かわかるかと思いまして」

 すると店主はちょっと意外そうな表情になった。

「ほう?お尋ねになりたいのは外国人の少女のほうなんですか?それは

またどうして?」

 その質問に答える前に、広介はマリカのほうを見た。するとマリカが

小さく頷いたので、話し始めた。


「はい。実はあの写真に写っていた少女と思われる女の子が

描かれている絵を、彼女の伯母さんが持っているそうなんです。

その子が誰なのかは全くわからなかったので、さっき偶然資料館で

あの写真を見つけた時、女の子があまりにその子とソックリだったため

大変驚いて、本人に違いないだろうと言っているんです」

「ふうむ。それでその事を確かめたくて、ここまで訪ねてきたと言う

わけなんだね?」

 意外に飲み込みの早い店主はすぐに納得した様だった。そして今度は

マリカのほうを見て言った。

「そうか?お嬢ちゃん。それは驚いただろうなあ?絵の中のモデルに

なった女の子の写真が突然目の前に現れたわけだから」

「ええ、そうなんです。片方にエクボがある所とか、特徴もぴったり

同じだったので本当に驚きました」

「なるほど。それは実に興味深いな。それでその絵を描いたのは誰

なのかは知ってるの?」

「それが、私は知らないんです。でも伯母の話では、今の山手の家に

引っ越して来る前まで、そこに住んでいた画家の方が描いたものだと

言っていました」

「へえー、するとその絵はそんなに古い物ではないんだね?」

「はい。だからあの写真を見たとき、私ちょっと不思議に思ってしまっ

たんです。その人はあの女の子と会ったはずはないから・・・」

 店主はマリカの話をフムフムと聞いた後、いきなり顔を上げて告げた。


「実はねえ、あの写真は僕の曾祖父が撮影したものなんだけど、君が今

話していた外国人の少女の隣りに写っているのは、僕のおばあちゃん

なんだよ」


「え、ええーっ!!」

 今度はマリカだけでなく、三人が一斉に驚きの声を上げた。

「驚いたかな?でもそれは本当の事なんだよ。あの写真は大正時代の

初め頃撮られたもので、あの外国人の娘さんは当時のウチのお得意

さんだった英国人商人の娘さんなんだ。それで店に何度か足を運ぶうちに

自然と祖母とは仲良くなったようで・・・よく一緒に遊んでいたらしい

んですよ。あの写真はそんな仲の良い二人の姿を、曾祖父が撮った中の

一枚です」

「え?それじゃあ他にもまだあの少女の写真はあるって事ですか?」

「ええ、幾つかは残ってますよ。倉庫にも保管してありますし、確か

家のアルバムにもあったんじゃないかな?ちょっと探せば見つかると

思うけど」


「そ、その写真を見せて頂くわけにはいかないでしょうか?」

 広介は思いきって尋ねた。すると彼はあっさりと応じた。

「いいですよ。ついでにその少女のことも少し調べてみましょうか?

昔の顧客名簿を見れば、何かわかるかも知れないから」

「ホントですか?そうして頂ければ有り難いです。あ、でもそうなると

お手間を取らせちゃうかな?お礼はどうすれば・・・?」

 広介が心配そうな様子で聞くと、店主は笑って首を振った。

「いやいや、そんなお礼なんてとんでもない!今のお嬢ちゃんの話

を聞いて、僕も何だか興味が湧いて来ちゃってねえ。だから少しでも

お役に立てればいいと思っただけで」

「それはあの・・・すいません」

 マリカは店主の言葉に赤くなった。

「ハハハッまあとにかく写真が出て来たら、連絡は差し上げますよ」

「お願いします!それじゃあ僕の携帯のほうに連絡をお願いできます

か?」

 広介はそう言って番号を教えると、それではそろそろと言って席を

立ち、礼を述べた。

「今日は本当にお忙しい所を、ありがとうございました」

 マリカと咲も続けて頭を下げ、三人は店を後にしたのだった。


「ねえマリカ、思い切ってここに来て良かったじゃない?」

 写真館を出ると直ぐに咲はマリカに声を掛けた。

「うん、お店の人が親切でホントに良かった。広介さんもありがとう。

お陰でまた女の子の新しい情報がわかっちゃった」

「いやあマリカちゃん、お礼なんかいいよ。しかし驚いたよねえ?

まさか一緒に写っていた日本人の女の子が、あの人のおばあさんだった

なんてさ!あの少女が店のお客だったことまでは想像出来たけど、

まさかそこまでとはなあ」

「そうだよねえ?お兄ちゃん。だけどなんだか面白くなってきたじゃない?

あの少女の謎がこれからどんどん解けて行くようでさあ」

 咲と広介は、マリカ以上に興奮した様子で、次回はどんな事がわかるん

だろうかと口々に言い合った。いっぽうマリカは家に帰ったら早速、

今日の出来事を薫に報告しなければと、ワクワクしながら考えていた。


 3.薫の決心

 「まあマリカちゃん、どうしたの?」

 いつもの様にポーチで庭を見ながらお茶を飲んでいた薫のもとに

マリカから電話が掛かって来たのは夕暮れ時だった。

 マリカはいつになく興奮した様子で話し始めた。

今日、友達と出かけて行った開港資料館の展覧会で、偶然薫の家にある

絵の中の少女とソックリな女の子が写った写真を見つけたのだと。

またその写真を出品した地元の写真館を訪ねてみると、その少女は昔、

その店の顧客だった英国人商人の娘である事までわかったのだと告げた。

「おばちゃん、しかもね、その写真にはもう一人着物を着た日本人の女の子

が写ってたんだけど、何とその子はその写真館の娘さんで、今の店のご主人

のおばあさんだっていう事までわかっちゃったの!ねえ、これってスゴい

発見だと思わない?」

 マリカが思ってもみなかった話を一気にまくし立てたので、薫は少々

面食らっていた。それでも何とか頭を整理させながらこう答えた。


「ねえ、マリカちゃん。急な話で驚いたけれど、話を整理してみると

こういうことかしら?あの絵の中の少女は昔本当に実在していた人物で、

それは今もある写真館で実際に撮影された写真によって証明されたっていう

事なのね?」

 マリカは薫が話のポイントをよく理解している事に感心しながら、

こう答えた。

「うん、さすがは薫おばちゃん、その通りだよ」

「んまあ!それが本当だとしたら、マリカちゃん一大発見じゃない?

驚いたわあ・・・ところで一緒に行ってくれたお友達って?」

「うん、私の親友でクラスメートの咲ちゃんと、そのお兄さんの広介さん

だよ。広介さんは今横浜の高校に通っていて横浜の歴史にはすっごく

詳しいの。今回の展覧会に案内してくれて、そこで見た写真にビックリ

している私の話を聞いて、その写真館にも行ってみたら何か分かるかも

しれないよって言ってそこまで連れて行ってくれたの」

「そうだったの?マリカちゃん。それは親切な方ねえ?」

「うん。もし私一人だったらそこまで出来なかったから、今回の大発見は

広介さんのお陰だと思ってるわ。それにね、写真館のご主人もとっても

親切な人だったの。私が絵のことを話したら、あの女の子が写っている

写真が他にもまだあるから、今度見せてあげましょうとも言って下さった

のよ」

「まあ、それはまたラッキーな出来事が続いたのねえ?」

「そう、不思議なくらいに・・ねえ薫おばちゃん、だからおばちゃんも

資料館に行ってあの写真を見てみて!きっと驚くと思うから。それは

二階の企画展示室の奥のほうに飾ってあるから」

「そう?わかったわ、マリカちゃん。私直ぐにでも行って見てくる。

あ、それから写真館にも行ってみたい気がするけれど・・・」

「ああ、それなら今度私達と一緒に行かない?写真が見つかったら

店主の人が連絡してくれる事になってるから」

「そう?それならそうするわ。マリカちゃんのお友達にも会って

みたいから・・・そうだわ!それなら私、その時までにあの絵の写真を

撮っておこうかしら?」

「あ、おばちゃんそれグッドアイデアかも?あの絵の写真があれば、

本物の女の子の写真と比べて見られるから」

「そうよね?それじゃ頑張って撮っておくわ。マリカちゃん、何だか私

ワクワクして来ちゃった!」

「おばちゃん、私もだよ。咲ちゃん達とも話してたんだけど、これから

あの少女の謎がどんどん解けて行くかも知れないね?って」

「ええ、その可能性は高いかもしれない・・マリカちゃん、とにかく

今日は大ニュースを知らせてくれてありがとう」

「ううん、私おばちゃんに早く知らせたくってたまらなかったの。

だから喜んでくれてホント良かったあ」

「フフッ、もちろんよ。こんなワクワクする話は滅多にないもの。

それじゃあお友達にはくれぐれもよろしく伝えてね?」

 薫はそう言って、電話を切った。ひと息ついてから外を見ると、

夕日が地平線の彼方にゆっくりと沈み行く所であった。


 その夜、薫は自室に戻ると部屋に飾ってある亡き夫の遺影に

向かって話しかけた。

「あなた、聞いて。私がここに移り住んでからもう二年になるわ。

今までは家の手入れをしたり庭仕事に没頭したりして一人になった

寂しさを紛らわせて来たけれど、そろそろそんな生活を終わらせる時期

が来たみたい。この前遊びに来てくれたマリカちゃんが私を外の世界に

向けるきっかけをもたらしてくれたのよ。そう、新しい変化が私に訪れた

みたいなの・・・だからもうひとりぼっちで引きこもるのは止めにするわ。

これからは可愛い姪っ子のマリカちゃん達と一緒に、ワクワクするような

新たな冒険に挑戦してみる事にするわ。だからあなた、どうかこんな私を

これからもずっと見守っていて下さいね?」

 薫は写真に向かって手を合わせてから、窓を開けて夜空を仰いだ。

そこには今の薫の瞳と同じように、キラキラ輝く満天の星がまたたいて

いるのだった・・・


   第四章に続く

 








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