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「横浜山手秋ものがたり」最終章 最終話

 これまでのあらすじ 明治時代に建てられた山手の古い洋館に住む伯母を訪ねた姪のマリカは、居間に飾られた金髪の異国の少女の絵に強く惹きつけられる。その後友人達と行った資料館で見た写真から、その少女が百年前に実在していた事を知って驚く。早速写真を提供した写真館を訪ねてみると、当時の店主が少女とは家族ぐるみで親しかった事を知ってさらに驚く。その後店主親子の協力のもと少女の新たな写真も見つかり、少女の実像が次第に明らかになって行く。興奮するマリカと仲間たち・・・やがて少女の父親が書いた一通の古い手紙が発見される。そこには少女の謎を解く、重大な事実が記されているのだった・・・


  1.真実

   親愛なる友へ

  富次郎、君はまだ僕の事を覚えていてくれるだろうか?

私の名はジェームス・ラチェット。今からおよそ四十年前、私は君の住む

横浜に住んでいた。幼い頃から憧れていた東洋のエキゾチックな島国、日本

に到着したときの喜びは、今でもはっきりと思い出すことが出来る。

 私は英国人の貿易商であり、当時父が拠点としていた中国、上海にて商売

の経験を積んでいた。その後販路を日本へも広げることになり、私は父の承

諾を得て結婚したばかりの妻を伴い、意気揚々と憧れの地へと上陸したので

あった。

 来日した私がまずしたかった事は、この国の独特の風俗や文化を知ること

であった。そのため居留地を出て出来るだけ積極的に街に出て行き、地元の

人達と触れ合うよう努力していた。

 そんなある日のことだった。元町をぶらぶらしていた私は、一軒の店の前

で足が留まった。”photoshop ichinose"と英字で書かれた看板のあるその店

には、美しいアルバムが飾られていた。蒔絵や螺鈿細工等が大胆に施された

そのアルバムは非常に美しく、私の目は一瞬で釘付けとなってしまった。


「メイアイヘルプユー、サー?」

その時近付いて声を掛けてきたのが富次郎、君であった。

小柄な君は人懐っこい微笑みを浮かべてこう言った。

「もし良かったら店の中でゆっくりご覧になりませんか?」と・・・

そこで嬉しくなった僕はすぐに、その誘いに乗る事にした。

 店内に入ると、そこには展示されていた物以外にも、沢山の種類のアル

バムがあった。開いて見ると、そこには日本各地の美しい彩色写真が沢山

掲載されていた。例えば雪を抱いた雄大な富士山の姿や京都、奈良の代表

的な神社仏閣、大仏等々・・・また別のアルバムには、艶やかな着物を纏っ

てポーズを撮る芸者や、ハッピ姿にねじりハチマキの祭りの日の若者など、

人物中心に掲載されたものもあった。私はそれらの写真にすっかり引き込ま

れ、時間を忘れて夢中になって眺め続けた。するといつの間にかそばにいた

君がこう言った。


「これらのアルバムは”横浜写真”と呼ばれていて、全てこの横浜で製作され

たものなのですよ。日本のお土産として、外国のお客様には大変評判がいい

んです」

 君は得意そうに言うと、更にそのアルバムの魅力を熱く語って聞かせた。

私はその話に何度も頷きながらこう考えた。(ひょっとするとこれは、我が

社の新しい輸出用商品として、うってつけではなかろうかうか?と・・・) 

そこで私は躊躇なく申し出た。

「それじゃあ今日はここにあるアルバムを一冊ずつもらって帰ることに

しよう」と。

 すると君は満面の笑みを浮かべて、深々と頭を下げた。そして今お茶を

煎れてきますからと行って、奥の席で待つようにと勧めてくれた。

 

 待っている間に僕はあらためて店内の様子をじっくりと眺めて見た。

すると壁のあちこちに、沢山の肖像写真が飾られているのに気がついた。

それらのほとんどは外国人を写したのもので、夫婦や家族単位で写って

いる家族写真も多かった。

「ふうん、どれもなかなかよく撮れているじゃないか?これらは皆、ここで

撮影したものなのかい?」

 僕は早速、茶を運んできてくれた君に質問してみた。すると君は誇らしげ

にこう答えた。

「オフコース、サー。ご希望とあればここでもどこへでも、ご希望の場所に

この私が直ちに参上致しますよ」

「そうか?それはいいね?それじゃあ機会があったらいつかぜひ頼むとしよ

う!」

 私はそう言って、上機嫌で店を後にしたのだった。


 それからのことは、もしかしたら君も覚えているかもしれない。

そう、その約一年後、僕は妻と生まれたばかりの娘を伴って、再び店を

訪れたのだった。僕の予想通り君は僕をよく覚えてくれていて、大歓迎して

くれた。そして初対面の妻に向かってうやうやしく挨拶をした後、こう言っ

た。

「今日はもしかして家族写真をご希望なのでしょうか?でしたらどうぞ、

奥の方へお進みください・・・」

 それから君はゆったりとしたビロードの椅子に妻を座らせると、私をその

後ろに立つようにと指示した。それから太鼓のようなおもちゃを取り出すと

手慣れた様子で我が子をあやし始めた。そして冗談を言って私達をリラック

スさせながら、あっという間に撮影を終了させてしまったのだった。

 その手際の良さは実に見事であり、僕達夫婦はすっかり感心してしまっ

た。またそればかりではなかった。仕上がりも迅速で、かつ出来上がった

写真はどれも自然で素晴らしいものだった。

 

 その後、僕は娘の誕生日が来ると毎年決まって写真館を訪れ、記念撮影を

するようになった。やがて君は実は自分にも同じ年頃の娘がいるのだと打ち

明けて、ひとり娘のおハナちゃんを紹介してくれたのだった。

彼女は色白で日本人形のように可愛いらしく、娘とはすぐに仲良くなった。

間もなくお互いの家を行き来するようにもなり、国籍は違っても姉妹のよう

に仲睦まじく遊ぶ二人の姿を見て、君は何枚もカメラに収めてくれたのだっ

た・・・

 

 その時写した写真は今でも、僕の書斎の上に大切に飾ってあるよ。

あれからもう、四十年の月日が流れてしまった・・・

こんなことを書く私に、今頃君はこう思っているかもしれないね?

あれから何十年も経ったというのに、どうして今頃手紙など書いてよこす

のだろう?と・・・ 

 友よ、もちろんそれには理由がある。しかしその答えをすぐに明かす前

に、君にはどうしても知っておいてほしい事がある。それはそう、運命の

のあの日のことだ。その日僕達親子に一体何が起ったのかという事を・・・


 あの日。そう、それは忘れたくても決して忘れる事は出来ない日。

大正十二年の九月二日。まだ厳しい残暑が残るその日の昼頃だった。

 その日、突然突き上げるような激しい揺れが関東一帯を襲った。

それは後に”関東大震災”と呼ばれる事になる、未曾有の大地震であった

・・・

 その二日前のこと、僕は娘を呼び寄せるとこう言った。

「ハンナ、聞いてくれ。パパは大事なお仕事があって、明日から神戸に

行かなくてはならなくなったんだ。そこで三日ほど留守にするんだが、

おミツ(当時の女中)と一緒にいい子で待っていてくれるかい?」

 すると娘は、そのつぶらな青い瞳を真っ直ぐに向けるとこう言った。

「わかったわ、パパ。私は大丈夫よ!だって明日はおハナちゃんが遊びに

来てくれるんだもん」

「そうか、おハナちゃんか?それは良かったね?」

「うん。いつものように塔の上のお部屋に行って、そこで内緒のお遊びをす

るのよ」

 ハンナはそこで茶目っ気たっぷりにこちらを見たので、私は尋ねた。

「ふうん・・・一体何をして遊ぶのかな?」

「だからそれは内緒なの!!」

「ハハッ、そうか。まあいいや。それなら気をつけて、一緒に仲良く遊ぶ

んだぞ?そうだ!もしいい子にしていたら、君達二人に沢山おみやげを買っ

て帰ろう」

「ほんとう?嬉しいパパ。それじゃ約束よ!!」

 ハンナはそう言うと、思いっきり抱きついてきた。そこで僕は彼女の柔ら

かな金髪を、優しく撫でつけたのだった。

 まさかそれが永遠の別れになるとは知らずに・・・


 「大変だ!!ミスターラチェット。関東地方に、大きな地震が襲ったよう

だぞ!」

 その翌々日のことだった。予定通り神戸で商談を初めていた僕は、寝耳に

水のその報せを聞き、青ざめた。そして瞬時にハンナのことを思い出し、

無事を確かめるため急いで電話をしようとした。ところが何度試みても電話

は繋がらず、なすすべもなかった・・・


『 首都、東京は壊滅的被害!川崎、横浜でも死傷者大多数!! 』

 その翌日、新聞に躍った見出しを見て僕はショックで倒れそうになった。

東京のすぐ隣に位置する横浜は、想像以上に大きな被害を受けてしまったら

しい。激しく動揺する僕に、親切な仕事仲間が助け船を出してくれた。

人脈の広い彼はあちこちに連絡を取ってくれた後、僕にこんな提案をした。

それは救援物資を運ぶために横浜に向かう輸送船があるから、それに乗って

行ったらどうかという事だった。知り合いの軍の関係者には今話をつけてお

いたからと・・・私はこの涙が出る程有り難い提案を受け、直ちに

神戸港へと急いだのであった。


 その翌日、船は横浜港に到着した。真っ先に見たその光景は、出発時とは

まるで違っていた。美しく整備されていた港の景観は一変し、桟橋は折れ、

その周りにあった税関や倉庫などの建物は、ことごとく崩壊していた。

 また海岸沿いにあった外国商館やホテルなども同様だった。もとの形を留

めているものは僅かしかなく、火災による被害も甚大なようであった。

あちこちには黒く焼け焦げた家屋の残骸があり、いまだに黒い煙が立ち上っ

ている所も見える・・・

 この想像を絶する悲惨な光景を目の当たりにして私は呆然とし、目の前に

見えているものが現実とは、どうしても信じたくなかった。

 しかし慌ただしく下船の準備を始めた船員達を見て、これは夢ではないと

悟った。そして一刻も早く、愛するハンナのもとに帰らなければと思い直し

たのだった。


 その後は小舟に乗り換えて上陸した。桟橋が使えなかったためである。

それからはすさまじい悪路の中を、命がけで進んで行った。

 港から居留地へと進んで行くのは容易ではなく、安全に歩ける道を選び

ながら普段の数倍もの時間がかかった。そしてようやく山手の急な坂道を

登り切るとそこで足を止め、恐る恐る目を開けて見た。

「ああ、何ということだ!!」

 思った通り、その光景は無残極まるものであった。それまで通り沿いに整

然と並んでいた瀟洒な洋館の数々はほとんどが崩壊、或いは焼失しており、

見る影もなくなっていた。

 私は茫然とし、しばらくその場に立ち尽くしかなかった。いつの間にか

目からは涙が溢れ出し、頬を伝って流れ落ちていた。しかし、それを拭って

いる場合ではなかった。私は襲ってくる絶望感と必死に闘いながら歯を食い

しばり、我が家へと続く道を一歩一歩、ひたすら進んで行った。ただただハ

ンナが無事であることを祈りながら・・・


「ミスター、ミスタージェームスラチェット!!」

その時突然私の耳に、誰かが呼ぶ声が聞こえた。驚いて振り向くと、そこに

は一人の男の姿があった。身なりはすっかり汚れていたが、よく見ると彼は

私達親子が日頃から礼拝に通っている、山手カトリック教会の神父であった

・・・

 「まあまあ、よくぞご無事でミスター!!」彼はそう叫ぶと大急ぎで駆け

寄って、僕の身体をパンパンと叩いた。

「ありがとうございます!お陰様で・・・実は私仕事先の神戸から、さっき

戻ったばかりなのです」

 するとそれを聞いた彼の表情がそこで一気に曇った。明らかに動揺してい

るように見えたので、私は急に嫌な胸騒ぎを覚えた。

「・・・神父様、もしかしてあの・・何かご存知なのでしょうか?我が家の

ことを・・・」

 恐る恐る尋ねてみると、彼の表情は案の定、一層苦しげなものとなった。

そしてしばらく黙ってうつむいていたが、やがて意を決したように口を開い

た。

「・・ええ、実は知っています。あなたの家は大変な被害を受けられたよ

うです。私は先ほどあなたの家の女中さんに会って、それを知りました。

ミスター、ですからとにかくあなたは今すぐに、ご自宅に戻られたほうが

良いと思います。さあ、ご一緒にまいりましょう」

 彼はそう言うとそれ以上詳しい事は何も言わず、私の手を取って歩き出し

たのだった。

 

 その後私は神父とともに、ようやく我が家にたどり着いた。

見ると屋敷は半壊しており、あたりには多くの家財が散乱していた。

その中でポツンと一人、身をかがめて片付けしている人の姿があった。

それは女中のおミツであった。

「おミツー!!」私は思わず大声で彼女の名を叫んだ。すると彼女は私に気

がついて、顔を見るなりワーッと泣き出してしまった。

 神父がそれを見て、慌てて彼女に駆け寄って声を掛けた。

「おミツさん、そんなに泣かないで下さい。あなたの気持ちは私にはよく

わかります。ですがどうか落ち着いて。あなたのご主人様はこうして悪路の

中遠くから、必死にお戻りになられたのですよ。ですからあなたは気をしっ

かり持って、お留守の間に何があったのかをきちんと報告しなければなりま

せん。さあ、勇気を出して!」


 神父はそう言うと、励ますように彼女の肩を叩いた。

するとおミツはようやく泣き止んで、おそるおそるこちらのほうを見た。

そこで私はこう言った。

「おミツ、いいかい?私はここに来る間に、悲惨な光景をたくさん見てき

た。だからもう覚悟は出来ている。どうか頼む、落ち着いてここで何が起っ

たのかを全て、私に話して欲しい・・・」


 私は努めて冷静に、彼女に向かって話しかけた。しかし、内心では近くに

ハンナの姿が見えないことに、激しく動揺していた。

 幸いおミツはそんな僕の思いには、全く気付かぬようだった。そしてよう

やく話をする決心がついた様だった。

「旦那様、さっきは取り乱してしまって申し訳ございませんでした。

まさかお留守の間にこんなにひどいことが起るなんて信じられなくて・・・

 ではお話しさせて頂きます・・・あの日の午前中、ハンナお嬢さまはいつ

ものようにお一人で塔のほうに上って行かれました。そして頂上の見晴らし

部屋で、仲良しのおハナちゃんが来られるのを待っておられたんです。

その日は一緒に折り紙で遊ぶのだと仰って・・・何でもイギリスにいらっし

ゃる病気のお母様のために、千羽鶴を作るのだということでした。そこで

私は千代紙をたくさんお渡しして、それからお昼ご飯の用意に取りかかった

んです。かまどに火をいれて、お嬢さまの大好きなシチューを作るために

・・・それから30分ほど経ったころだったと思います。何だか地面がユラ

ユラしているなあと思いながら鍋をかき混ぜていると、いきなり大きな揺れ

が襲って来たんです!それは今まで経験したことのない、ひどい揺れでし

た。そこで私は慌ててかまどの火を消しました。火事になったら大変だと思

って・・・その後は立っている事も出来なくなりました。そこで私はしゃが

みこみ、柱につかまりながら思い出したんです。塔にいらっしゃるお嬢さま

のことを・・・そこで這うようにして外に出て、首を伸ばして塔を見まし

た。そしてゆっくりと近づいて行ったんです。そのころには揺れはだいぶ

治まっていたので・・・それから無事を確かめるため大声で叫んだんです。

「お嬢さまー、ご無事ですかー?」と・・・すると幸いな事にお嬢さまは

私の声に気が付いて下さり、窓から顔を出してこちらに向かって大きく手を

振って下さったんです。それを見た私はああ良かったと胸をなで下ろして、

ひと安心したんです。その時揺れはもう治まっていましたから、これはもう

大丈夫だと・・・

 ところがホッとしたのはほんの束の間のことでした。そのわずか数分もし

ないうちに、再び大きな揺れが襲って来たんです。

 それは最初に起った揺れよりも更に大きな揺れでした。ドドーンッという

地鳴りのような音が聞こえたかと思うと、地面にはみるみるうちに裂け目が

広がって行きました。そこで私は悲鳴を上げ、近くにあった太い木の幹に

必死でつかまったんです。ただもう怖くて怖くて目をつぶり、何妙法蓮華経

・・・とお念仏を唱えるばかりでした」

 おミツはそこで当時の恐怖を思い出したらしく、ブルブルッtと身体を震わ

せた。 しかし私はそれに構うことなく先を促した。

「そ、それでハンナは?ハンナは一体どうなったというのだ・・・?」

 

 私が急に声を荒げたので、おミツはそこでびっくりして肩をすくませた。

そして怯えた様子を見せたので神父がそこで駆け寄って励ました。すると

彼女は何とか気を取り直して、話を続けた。

「・・すみません、旦那様。えっと・・・さっき申し上げた二度目の激しい

揺れの後には、恐ろしいことが起こったんです。何とお嬢さまのいらっしゃ

る塔に異変が起こり、あちこちにヒビが入って行ったんです。そのヒビは頂

上に向かってあっという間に伸びて行き、てっぺんの屋根まで到達しまし

た。私はそれを見て危ない!と直感したんです。そこで慌てて塔に向かって

走りだそうとしました。その瞬間、バキバキッという音を立てて塔の頂上の

屋根の部分が折れたんです!それに続いてお嬢さまのいらっしゃる見晴らし

台の部屋が崩れ、屋根と共に真っ逆さまに落下して来たのです。ドドーンッ

という大きな音と共に・・・」

 そこでおミツの目は大きく見開かれた。当時の状況がまざまざと蘇ってき

たのだろう。そこには明らかに恐怖の色があった・・・しかしそこで彼女

は気丈にも、話を続けた。


「そこでものすごい砂ぼこりが立ち上がりました。そのためしばらく間、

何も見えなくなったのです。しかし私はお嬢さまのことが心配で、その中を

手探りでよろよろと進んで行きました。その時です!私の耳にうめき声のよ

うなものが聞こえたのは・・・!?

 そうして私は崩れた瓦礫の中に発見したんです。倒れているお嬢さまの姿

を・・・見るとお嬢さまは頭から血を流していらっしゃいました。身体の半

分は石材の下で・・・ですがまだ意識はしっかりとしており、私のこともわ

かるようでした。そこで私は助け起こそうと必死に試みました。でも重たい

石を動かすことがどうしても出来なくて、私一人ではどうすることも出来ま

せんでした・・・そこで私は思いました。これは誰かの助けを借りなければ

と・・・そこで急いで外に出たのです。そこにちょうど通りがかったのが、

ここにいらっしゃる神父様だったんです!」

  

 そこからは神父が話を引き継いだ。彼は血相を変えて駆け寄ってきたおミ

ツから事情を聞き、すぐに人を集めてくれた。そこで急いで現場に駆け付け

、皆で力を合わせてハンナを瓦礫の中から助け出してくれたのだった。

 しかし人々のそんな助けもむなしく、間もなくハンナは息を引き取ったと

いうことだった・・・

 神父はそこで肩を落としてこう言った。

「ミスターラチェット。まだ幼かったハンナちゃんの命を救う事が出来なく

て、私はとても残念に思っています。この突然のご不幸に対し、何と申し上

げて良いのか・・・心からお悔やみを申し上げます・・・」

 神父はそう言うと、ご遺体は教会のほうでお預かりしていますからと、

声を落として告げたのだった・・・

 
 それから私は半壊した教会の中で、ハンナの亡骸と対面した。

その身体は清められ、白い布に包まれていた。すでに冷たくなっているその

身体を抱き寄せると私は何度もその名を叫びながら、号泣した・・・

 神父はその後、ハンナのために弔いの長い祈りを捧げてくれた。

しかし正式な葬儀はおろか、その亡骸を通常のような形で埋葬することは不

可能であった。そこで私は思案した結果、ハンナの遺体を家の敷地内に

埋葬することを決めたのだった。

 

 埋葬場所は、庭の奥にある桜の木の下に決めた。そこは生前、ハンナが愛

した場所でもあった。春になると毎年満開の花の下にテーブルを出しては

ゲストを招き、花見の会を催した。そんなときハンナはいつもドレスの裾を

持って、クルクルと踊って見せたものだった。風に舞う花びらの動きに合わ

せて踊る姿は可憐で、妖精のようだった・・・


「ここならハンナも気に入ってくれるだろうか?」

私は当時の様子を思い出しながら、おミツに尋ねた。すると彼女は微笑み

ながら、すぐに答えてくれた。

「ええ、旦那様きっと。ここは日当たりもいいですし、何より桜はお嬢さま

が大好きな花でしたから・・・」

 そこで私はいまだに眠っているかのようにしか見えないそのふっくらとし

た両頬にキスをすると金色の髪にハサミいれて一房切り落とした。それから

おミツが千代紙で作った折り鶴を添えて、愛娘と永遠の別れをしたのだっ

た・・・


 それから程なくして私は父の待つ、上海へと出発した。

居留地に住んでいた外国人達の殆ども、それぞれの祖国へと次々に引き揚げ

て行った。私は最後までよく仕えてくれたおミツに礼を言って、それまでの

感謝を込めて精一杯の給金を渡してやった。彼女は港まで送りに来てくれる

と別れ際にこう言った。

「旦那様、私はこれまでの間お仕え出来て幸せでした。これからもずっと

旦那様とお嬢さまのことは忘れません。どうぞお身体にはお気をつけて。

それからお嬢さまのお墓のことは、どうかご心配なさらないで下さい。

私ができる限り精いっぱい、お守りさせて頂きますので・・・」

 私はその思いがけない恩義ある言葉に感動し、人目もはばからずその場で

号泣してしまった。

 やがて船が遠く港を離れてからも、おミツはただ一人残り、こちらに向か

って手を振り続けてくれた。その光景は今でも私の脳裏にしっかりと焼き付

いて決して消える事はない・・・


 富次郎、これがあの大震災の後、私の身に起った出来事の全てだ。

日本での私の幸せな人生は、まさに一夜にして崩れ去ったのだった・・・
 
 

 その後、私は父の許で一心不乱になって働いた。しかし不幸は続くもので

、間もなく故郷にいる妻の死も知らされた。やがて私の心は抜け殻同然とな

った・・・

 しかし日本への想いはどうにも捨て難かった。そしていつの日かまた、

ハンナの眠るあの地へ戻りたいと、密かに願うのであった。

 

 しかしその夢は突然絶ち切られる事となった。

 ある日父が倒れ、そのまま急逝してしまったのだ。この事は、思わぬ

事態を招く事となった。実は父は多額の負債を残しており、私は借金返済に

追われ、それまで自ら築いた財産も全て失う事となってしまった。

 家族と財産を一度に失い、私は次第に精神的に不安定になって行った。

それからは酒に救いを求めるようになった。飲み過ぎた日には決まってハン

ナのことが思い出されて罪悪感に苦しみ、あの子を死なせたのは自分のせい

だ!私があんな馬鹿気た塔など造らなければ、あの子は命を落とすことなど

なかったと、我が身を責めもがき苦しんだ・・・


 やがて別人のようにやつれ果てた私を見た友人が、知り合いの医師のもと

に連れて行った。その結果、私の身体はアルコール中毒に陥っているばかり

か、悪性の病にも侵されていることが判明した。

「大変お気の毒ですが、回復の見込みはまずないと思われます・・・

まだ身体が動く今のうちに、出来る事をなさっておいたほうが良いでしょ

う」

 医師は努めて冷静に、残酷な言葉を告げた。その時私は思い知った。

神が与えたもうた運命に抗うことは、何人たりとも出来ないのだと・・・


 それから私は生まれ故郷の地であるコーンウオールに戻り、そこで療養施

設に入った。窓からは美しい海岸線が見え、打ち寄せては消える、白い波

しぶきを眺めるうちに、ようやく私は落ち着きを取り戻すことが出来た。

そこでこれまでの自らの人生をじっくりと振り返って、残された時間に一体

何をすべきかを考えてみたのだった。

  
 富次郎、その結果、真っ先に僕の脳裏に真っ先に浮かんだのが君の顔だっ

た。その温かくて人懐っこい笑顔。それはどんな時にも私を幸せにしてくれ

る特別なものだった。それが浮かんで来た瞬間、私に幸せだった日本での

日々がどっと蘇ってきた。そして自分がいかに君の住む国、日本を愛してい

たかということもわかったのだった・・・

 目を閉じれば浮かんで来る、あの美しく自然豊かな風景。その上人々は皆

真面目で礼儀正しく、何より親切だった。その大好きな国で僕は仕事をし成

功をおさめ、その上可愛い娘も授かった。そして僕と娘はまた、君とおハナ

ちゃんという素晴らしい友人にも巡り合えたのだった。君達との出会いによ

って僕達親子の異国での生活はより楽しく、心安らぐものとなった。

それがどんなにかけがいのないものであったのか、今の僕には痛いほどわか

る・・・富次郎、そしておハナちゃん。僕と娘の人生に、かけがえのない素

晴らしい時間を与えてくれて、本当にありがとう!!この短い人生の中で最

も幸福だった時間は間違いなく、あの横浜での日々だったと言える。

 
 この言葉を君に伝えることが、僕が一番したかった事だ。本当に言葉にす

るのが難しいほど、僕は君に感謝している。

 今、窓の外に見えている広い海の向こうには、君の住む日本がある。

僕が愛したその国にいる君のもとにこの手紙が確実に届くよう、僕は切に願

っている・・・

 友よ、僕は間もなく愛する家族のもとへと旅立つ。これからは空の上から

君達のことを見守っているよ。どうかいつまでも元気で幸せでいてくれ。

長い手紙を最後まで読んでくれてありがとう。

 さようなら、愛しい友・・・

           

                     英国、コーンウォールにて

                       ジェームス・ラチェット     



2.鎮魂

  

 店主が手紙を読み終えた時、そこにいた誰もが言葉を失っていた。

絵の中でほほ笑んでいた少女ハンナ・ラチェットは、関東大震災による

事故によって、命を落としていたのだった。彼女の父親はその事実を自らの

生涯を終える前に、日本にいる大切な友人に書き遺したのだった。そこには

彼が愛した日本、そしてそこで出逢った友に対する愛が満ち溢れており、

感動的であった。


「おばちゃん、これでようやくわかったね?ハンナちゃんが絵の中から

一体何を伝えようとしていたかが・・・」

「そうね?マリカちゃん。あの手紙から、私もその答えがわかったわ」

「そうだよね?おばちゃん。それじゃあきっと答は私と同じだと思う。

ハンナちゃんが私達に伝えたかった事は、自分の身体が屋敷の敷地内に眠っ

ているということ・・・そうだよね?」

 すると薫は間髪入れずにこう答えた。

「ええ、その通り!答はそれで間違いはないと思うわ。ラチェット氏の手紙

から推察すると彼は埋葬後、一度も日本を訪れてはいないのよね?それにお

手伝いのおミツさんだって、あれから何年か後にはお屋敷には行けなくなっ

たでしょうから・・・主のいないお屋敷にはね?」

「そうだよね?そのうちハンナちゃんのお墓のことは、誰からも忘れられて

行ってしまったんだ。可哀想に・・・」

 マリカはそう答えながら、異国の冷たい地の下でひとりぼっちで眠る幼い

少女のことを思い、不憫でたまらなくなるのだった。

 薫はそんなマリカを励ます様に明るく言った。


「ねえマリカちゃん、聞いて。確かにハンナちゃんはすごく可哀想だった

と思うわ。何しろ誰にも顧みられずにこの一世紀近くもの間、冷たい土の下

で過ごしたんですもの。その魂が安らぐことは決してなかったでしょう。

 だけどね?時間はかかったけれど、そんな彼女の無念な気持ちも、ここで

ようやく終止符を打たれる時が来たのよ」

 薫はそう言うと、何故か自信ありげに笑ってみせた。マリカがその意味を

解せずにいると、彼女はさらに続けた。

「あのね?マリカちゃん、ちょっと考えてもみてよ。私はね、こう見えても

現在のこの館の主なんだから!」

 薫は威勢良く言い放ち、それからマリカに向かって驚くべき自分の計画を

語って聞かせた。その考えとは敷地内のどこかにあるハンナの墓を見つけ出

し、その場所に新たな墓を建てるというものだった。そして薫はこうも言い

切ったのだった。これは自分に課せられた使命であるのだと・・・


 マリカはその突拍子もないと思われる計画を聞き、初めはあ然としていた

。しかし過去に母親から聞いていた話などから、自分の伯母はこうと決めた

ら誰が何と言おうと、強固に意志を貫き実行してしまう性格であることを思

い出した。また不幸な死に方をしたハンナのために、自分も何かをしてあげ

たいという気持ちも強くあった。そこでマリカは伯母の考えに同意すること

に決めた。

「おばちゃん、よくわかったよ。ちょっと大変そうだとは思うけれど、私も

その計画には賛成する。ハンナちゃんのためにもう一度、がんばって素敵な

お墓を建ててあげようね!」


 その後の薫の行動は、素早かった。

手紙に書かれていた情報をヒントに、まず薫はそれまで足を踏み入れる事の

なかった屋敷の裏の雑木林に入って行った。そして生い茂る雑草をかき分け

かき分けして、墓の目印である一本の桜の老木を見つけ出したのだった。

それは既にだいぶ朽ちかけてはいたものの、根はまだしっかりと土の下に

張っているようだった。そこで今度はマリカに、咲や広介にも応援を頼む

よう要請した。その結果若い助っ人達はすぐに飛んで来てくれて、木の周辺

にある伸び放題でいたやっかいな下草を払いのける作業を始めたのだった。

除草作業は案の定、相当骨の折れる仕事であったが、広介の知り合いの庭師

の協力も得て、努力の結果、雑草のほぼ全てを取り除くことに成功した。

 地肌が表われた事により、間もなくその一部には明らかに他の土と違って

いる所が見つかった。そこでその部分を掘り進めて行くと、墓標と思われる

小さな木の十字架が見つかった。

 薫はそれ以上掘り進めることは望まず、その上に新たなハンナ・ラチェッ

トの墓を建立することに決めた・・・


  3.希望

 それから数ヶ月が経過した。

その日は雲ひとつない晴れ渡った青空が広がっていた。

完成した真新しい墓のそばに立つ桜の木には、愛らしい五弁の花が開花

していた。発見された当時は朽ちかけていた老木であったが、薫がその道の

専門家に相談し処置をした結果、木は見事に再生したのだった。

 ピンク色の花をつけたその下で、薫は小さな催しを開いた。

 

 そこにはマリカや咲、広介のほかに一ノ瀬写真館の店主と娘の彩がいた。

更には広介の先輩の若宮や横浜歴史研究会のメンバー等、今回の件に関わ

った多くの人々が集まっていた。人々が集う墓の前にはもう一人、白い祭服

を纏った人物が立っていた。彼は山手カトリック教会の現在の神父で、薫か

ら事の次第を聞き、今回特別にハンナのために弔いの儀式を行うことを申し

出てくれたのであった。

 神父は香を焚かれた墓の前で深く一礼すると十字を切り、心を込めて長い

祈りの言葉を捧げた。その後、純白の花輪を持った薫とマリカが十字架の上

に掛け、静かに手を合わせた。集まった参列者達も続いて一人ずつ墓の下に

白いバラの花を手向け、その後全員で黙祷した。

 墓はたくさんの花々に囲まれて白く輝き、神々しいばかりの光に包まれて

いた。その光の中に薫は進み出て、皆に向かって挨拶をした。


「 この墓には英国人の一人の少女、ハンナ・ラチェットが眠っています。

彼女はこの地でおよそ百年前に生を受け、家族とともに幸せに暮らしていま

した。ところが彼女が七才の時に関東大震災が起こって、あそこに見える塔

の頂上から転落して命を落としました。

 それを知るきっかけになったのは、私の姪が偶然見つけた一枚の古い写真

でした。開港資料館に飾られていたその写真を見た姪は、すぐに私の家に飾

られている絵の中の少女にそっくりであることに驚きました。そこで一緒に

いた友人達と一緒にその写真を出品した一ノ瀬写真館を訪れてみたのです。

 すると店主の方は、その少女が約百年前に来日した英国人の商人ジェーム

ス・ラチェットのひとり娘のハンナであると教えて下さったのです。

そればかりではなく、その写真を撮った彼の曾祖父の初代店主様とは、家族

ぐるみで親しかったということを教えて下さいました。

 写真館のご主人は、その後娘さんと一緒に当時の資料を熱心に調べて下さ

り、当時写された親子のほかの写真も沢山見せて下さいました。そしてその

後何と、ラチェット氏がひいお祖父様に宛てて書かれた直筆の手紙まで見つ

け出して下さったのです。

 その貴重な手紙には、ハンナの死に関する詳細な様子が綴られていまし

た。その時既に死の床についていた彼は、当時親しかった日本の友人に愛す

る娘の最後と、その埋葬の一部始終を打ち明けていたのでした・・・

 私はそれらの事実を知って衝撃を受けました。

そしてこのまま知らん顔してここに住むことは出来ない、ハンナのために何

かしてあげなければ!と強く思ったのです。

 

 それが今日、ここに新しく墓を造った大きな理由です。

この大胆とも言える計画に、私の姪は大賛成してくれました。そればかり

ではなく、この可愛い姪は仲間達にも声を掛け、協力を申し出てくれたの

です。作業は予想よりかなり困難なものでした。しかし彼等は一切文句も言

わず、骨の折れる作業を最後まで根気よく進めてくれました。その後多くの

人々からご支援、ご協力を得ることが出来、お陰様で今日こうして故、ハン

ナ・ラチェットの新しい墓は無事に完成するに至りました。

 これで長い間一人寂しく眠っていたハンナちゃんの魂も慰められて、きっ

と安らかな永遠の眠りにつくことが出来るでしょう。愛する家族のもとに真

っ直ぐに旅立って・・・

 
 こうして不思議な力に導かれるようにして今日、私はここにいます。

これからもずっとこの墓を守りながら、この場所に住み続けたいと思ってお

ります。そして先人達に想いを馳せながら、大好きな山手のこの地で、また

新たなご縁を結んで行けたらと願っております・・・

 本日は本当にありがとうございました 」


 エピローグ

 
 明治末期に山手の地に暮らしていた英国人の少女、ハンナ・ラチェットの

墓が現在の居住者のもとで発見され、そこに新たな墓が建造されたという

ニュースは瞬く間に広がって、地元の大きな話題を呼んだ。以来、薫のもと

には取材が殺到し、一躍時の人となってしまった。

 一方、広介の所属する横浜歴史研究会もこの一件に注目し、市の協力も得

て塔の調査が本格的に行われる事となった。また一ノ瀬写真館では、”山手に

暮らした異国の少女ハンナ・ラチェットとその足跡” と銘打った写真展を開

き、薫宅に飾られていた絵画とともに展示されたその展覧会は大評判だっ

た。
 
 この様にそれまで一人静かに暮らしていた未亡人の薫の暮らしは一変し

た。しかし秋バラがかぐわしく匂う頃には決まってマリカを呼んで、庭の花

を眺めながら静かにテイータイムを楽しむのが何よりの喜びとなった。

 山手の丘の上に建つ屋敷には、今日も秋風が優しく吹き抜けて行くの

だった・・・



                   横浜山手秋ものがたり  完                          

 







 









 


            




















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