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私家版・プロ野球ユニフォーム史 2004-2020 Vol.2

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【千葉ロッテマリーンズ②】

・サード(2003~2004・2004~2007・2008~2009・2010~2013)

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 球団初のサードユニフォームは、2003年から2シーズン着用したグレー。先代のビジターユニフォームと同じカラーだが、ラケットラインを加えてロゴもMarinesからM一文字に変更されている。

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 2004年から登場したのが新選組の羽織を思わせる袖のギザギザ模様が特徴の、通称「誠ユニフォーム」。2004年だけはホームと同じピンストライプのパンツだったが、バランスを取るため翌年からは白のパンツに変更された。2005年からはこの「誠」の他に、ピンストライプを「戦」、そして「誠」と黒パンツの組み合わせを「侍」と呼び、先発投手がこの中から好きなユニフォームを選択できるという取り決めがされていた。ただし「侍」はそのデザインの奇抜さと試合でのゲンの悪さからか、1試合しか採用がされなかった。

③2008サード

 2008年からのサードユニフォームは白・黒・赤にギザギザ模様と、あらゆる要素をごった煮にしたようなデザイン。満塁男・大松尚逸の活躍もこのユニフォームとともにあった印象が強い。

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 2010年からはピンストライプ+黒い袖の、通称「パンダユニフォーム」が登場。4シーズンにわたり使用されたが頻度は次第に低くなっていき、やや印象の薄いデザインとなった。これ以降、ALL for CHIBAやマリンフェスタといったイベントが開催されるようになり、マリーンズのユニフォームはさらに色鮮やかに変化を遂げていくことになる。


・ALL for CHIBA(2012〜2015・2016・2017〜2019)

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 地域との共生がパ・リーグ球団の最重要課題と叫ばれた時代、マリーンズもCHIBAのロゴを取り入れたユニフォームの着用を2012年から開始する。最初に登場したのはこれまでのカラーを踏襲したような、白と黒を基調としたデザイン。よく言えばシンプル、言い換えれば地味。それもまた千葉県らしさか。

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その地味さから脱却するかのように、2016年からは赤いユニフォーム、通称「サンライズレッド」に変更。公式発表では千葉移転当初のデザイン「サンライズピンク」の伝統を受け継ぐとしていたが、県のキャラクター・チーバくんのカラーのようでもあり、2014年から加入したアルフレド・デスパイネも着用したことによりキューバ代表のユニフォームにも見えると指摘された(胸のロゴがCHIBAから筆記体のChibaに変更されたことも一因か)。

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 2017年、肩口の黒いラインがわずかにマイナーチェンジ。ALL for CHIBAのイベントでパートナーシップの関係を築いた千葉県内の市町村のワッペンが袖につけられるようになった。

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 ALL for CHIBAは新たなデザインとなることが決定している2020年。マスコットのリーンちゃん・ズーちゃんがALL for CHIBAの試合のみの登場となり、地域振興のイベント活動が中心となることが球団から発表されてファンを驚かせた。マリーンズは千葉に対して何ができるのか。「すべては千葉のため」と大上段に構えている以上、県内の隅々に行き渡るまで共に生きていく姿勢を示し続けてほしいと願わずにはいられない。やるべき課題は多く、それゆえALL for CHIBAのユニフォームには重みがあるはずだ。


・マリンフェスタ(2015・2016・2017・2018・2019)

 「毎月、ファン感謝デーの開催」として打ち出しているマリンフェスタ。主にファミリー層をターゲットとしていることもあり休日の開催が多く、デーゲームの印象が強い。ユニフォームのカラーとして採用されているのは、本拠地である千葉市美浜区のシンボルカラー・マリンブルー。余談ながら、ZOZOマリンスタジアムの外壁にもオープン当初からこのマリンブルーが取り入れられている。

⑤マリン2015

⑤マリン2016

  ユニフォームのデザインは毎年異なっている。初めての試みとなった2015年は黒の差し色とロゴの赤い縁取り程度でシンプルだった。2016年にはグラデーションを採用。グラデーションと聞いて2008年のビジターユニフォームを思い出してギョッとしてしまったが、そこまで過激なデザインではなかったので安心した記憶がある。

⑤マリン2017

 2017年になるとMarinesのロゴの中に大量のカモメが舞い、袖には水玉模様という芸の細かいデザインが出現。

⑤マリン2018

さらに2018年は全身に波とカモメが漂い、一気に派手に。ついには新たなMARINESのロゴも登場することとなる。

⑤マリン2019

 2019年は水色の地に白のピンストライプ、と思いきやこのストライプはカモメが並んでいるデザインという凝り様。極めつけは背ネームが選手のニックネームになるという、NPBで初の試みに挑んだ。ケガを押して出場した中村奨吾のネームが「BRAVE MAN(勇者)」だったのは偶然か必然か。

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 2020年のマリンフェスタのユニフォームはこれまででもっとも薄い水色に。童顔の選手が着用すると幼稚園児のスモックのように見えなくもない。

 白、黒、赤、青というユニフォームのわかりやすい色分けは、イベントの意義をはっきりさせるためにうってつけ。今後も「デザインのためのデザイン」に溺れることなく、コンセプトを貫き通してほしい。


・サマースタジアム(2018・2019)

 様々なイベントが開催されるようになったマリーンズに登場した「第5のユニフォーム」、それが幕張サマースタジアムのユニフォームだ。同じマリンでの夏フェス・サマーソニックにも負けないイベントを野球でも、という意気込みのもと作られたユニフォームはめいっぱい派手。

⑥サマー2018


⑥サマー2019

 2018年はヤシの葉の模様をデザインした濃いグリーンのボタニカル柄、2019年は波打つビーチをバックにヤシの木や南国の花々を散りばめたトロピカル柄。どちらもアロハシャツと表現して差し支えないくらいの攻めたデザインだ。このユニフォームを着用して真剣な表情で試合に臨む選手たちの姿はなんともいえないものがあったが、井上誠哉や田村龍弘、それに彫りの深い顔立ちの井口資仁監督あたりは妙にマッチしていた印象がある。同様のデザインが施されたタオルやハットといったアイテムも人気を博しており、球場は目論見どおり夏フェスの雰囲気があふれていた。

 2020年も継続することが決定している幕張サマースタジアムは、どのような展開を見せてくれるだろうか。単なるおふざけではなく、ギリギリのラインではじけまくるイベントとして夏のマリンの名物として成長してほしい。


・復刻(2008・2009・2011・2013)

 球界全体に復刻ユニフォームの波が押し寄せ、マリーンズでも懐かしいデザインがお目見えする機会がおとずれた。

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 まず2008年はロッテのプロ野球参入40周年という名目で川崎球場時代のロッテオリオンズのユニフォームが復刻。ガラガラの球場やチームの弱さばかりが目立っていた時期で、あの10.19ではヒール的な役割を背負ってしまったが、2000年代のファンにはかえって目新しく映ったものである。唐川侑己と荻野忠寛を登場させたポスターは抜群のインパクトを与えてくれた。

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 続く2009年には1969年に使われていた東京スタジアム時代のロッテオリオンズのユニフォームが登場。袖に入ったOrionsのロゴが小さく主張する、これまた非常にシンプルなデザインだった。

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 2011年は千葉移転20周年を記念してピンクのユニフォームが復活。千葉の日の出をイメージしたとされるが、なぜピンクだったのかはいまだ謎のまま。

⑦復刻2013

 2013年はパ・リーグ6球団共同で開催されたオールドユニフォーム企画「レジェンドシリーズ」に乗じて、川崎球場時代のロッテオリオンズのビジターユニフォームを復刻。なんの因果か、西武ライオンズ黄金期の正捕手であった伊東勤監督が最弱時代のオリオンズのユニフォームに袖を通すことに。「これだけは着たくなかった」と明言してしまうあたり、実直すぎる彼の性格がにじみ出ていたというべきか。

 今後、東京オリオンズ以前のユニフォームを登場させるタイミングは来るのだろうか。復刻そのものが打ち止めになるのか、2周目(再度の復刻)の波が来るか、あるいはつい最近と思っていた2000年ごろのユニフォームが「あの頃のデザイン」として姿を現すのか。こればかりは誰にもわからない。復刻ユニフォームは、ファンを少しだけセンチにさせる。

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