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<陸自幹部の第1空挺団勤務記録> その11 |2度目の空挺団訓練検閲 空挺降下で長時間上空待機→嘔吐準備完了→集結地で真夏の長時間日干し→100km行軍前に半死状態に!

こんにちは。

元・国防男子のMr.Kです。

今日の記事は前回の記事の続きで、僕が経験した空挺団で2度目の訓練検閲の中身について記載したいと思います。

何となく予感していたとおり、訓練検閲は当初、とんでもない”波乱”の幕開けででした・・・・

前回までの記事を見ていない人は、是非読んでください!

木更津駐屯地から搭乗して東富士演習場へ降下

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(陸上自衛隊第1空挺団HPより引用)

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千葉県の木更津駐屯地から静岡県御殿場市にある東富士演習場までヘリで約30分。東京湾上空を通過して演習場に直接降下する。

かなり重い荷物を体に装着して搭乗し、降下までの間、待機しなければならない。

CHー47の中は、すし詰め状態。

真夏ということもあり、機内もかなり暑い。

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

実際は、この写真に個人毎の背嚢(リュックサック)と小銃がプラスされた状態。

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(陸上自衛隊第1空挺団公式HPより引用)

空挺降下を行う御殿場市の東富士演習場に近づいてくると、降下長(降下の指揮をして、隊員を降下させるリーダー)から、降下場地域の気象と、降下までの時間が伝達された。

これから、いよいよ降下をして訓練検閲が始まる。 

(ドキドキ・・・)

まずは、降下で怪我をしないようにしなければならない。

東富士演習場での降下で、一番怖いのが着地時の怪我。

地隙があったり、大きな岩がゴロゴロしている。

着地地点が悪かった場合、岩の上に乗って足首を捻ってしまったり、『5点着地』(着地時に転がり、衝撃を殺しながら着地する方法)をしたときに大きな石にぶつかって骨折してしまう場合もある。

空挺団では、『骨折以外は怪我ではない。』と言われている。 

しかし、訓練で肋骨を折っていても100km歩いて最後まで訓練を乗り切った隊員や、足の指の骨や肋骨を折っていても100km歩いた隊員もいるような部隊。 

怪我をしたのは、運もあるが自分の責任。どんなに痛くても、苦しくても、とてつもない「気合」「根性」で乗り切る。

周りの『基準』がそんな感じなので、作戦の中心となっている幹部自衛官が怪我を理由に途中離脱はできない。 

だから、骨折をしても、歩ける限りは無理をしてでも歩くと決めていた。

怪我をしないことを祈りながら降下長の降下開始の合図を待った。

地獄の上空待機

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(陸上自衛隊第1ヘリ団HPより引用)

東富士演習場に航空機が進入して、降下長から機内での装具点検などの号令がかかった。重い荷物を持ち上げて、狭く、揺れる機内で何とか立ち上がり、降下の時を待った。

しかし、降下地域の風速が速いため、降下場にいる降下誘導班から降下待機がかかっているようだ。なかなか、降下長から『降下』の合図が出ない。

降下場には、航空機を誘導したり、降下地域の風向や風速を計測したりする部隊の隊員が事前に潜入して、主力部隊の降下を安全に誘導する。

風はすぐに止むと判断したのだろうか・・・

風が収まるまで、ヘリは上空で旋回することになった。 

僕は、中隊長に引き続いての2番目の降下だったので、前方の降下扉から外の景色がよく見れた。

駿河湾、箱根、富士山、愛鷹山系・・・

(これが訓練でなければ最高なんだけどな・・・)

降下準備のために立って飛び出す準備をしていたが、降下長の隊員から一度座るように指示があった。 

どうやら、降下場地域の強い風が収まりそうにないため、現段階では降下ができそうにないらしい。

(これは長期戦になりそうだな・・・)

そんなとき、ある不安が頭を過った。

空挺降下が中止となって、『リペリング』卸下に変更・・・

(・・;)

(前回の記事で記載したが、僕はリペリング経験が殆ど無かった。そして、実機からのリペリングは一度も経験がなかった。)

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(陸上自衛隊公式HPより引用)

(おいおい空挺降下中止になって、まさか、リペリングで卸下ってことにはならないよな・・・)

これは、僕が一番恐れていたシナリオだった・・・ 

(頼むから落下傘降下させてくれ〜!!)

心の底から祈り続けた。

 

そして、航空機が旋回をし続けて、20分くらい経過。

降下長から号令があった。

「気象!!」

「風向、◯◯の風。進行方向に対して◯◯の風」

「風速、最大6m。」 

「降下可能!」

(よっしゃぁぁぁー!!!)

やっと降下できる!!!

 

降下長の号令は続く。 

「いっせんかーい(1旋回)、いくぞ(オウ!)、いくぞ(オウ!)、いくぞ(オウ!)」 

「降下よーい! 立て!」

「そーぐ(装具)点検!」 

「報告!」(「異状なし!」) 

「この位置まで前へ!」

数歩踏み出せば、飛び降りれる位置まで移動した。

降下長の「降下」の号令がかかれば、いつでも降下できる状態。

降下前に、降下動作してから集結するまでの動きをもう一度頭の中で確認して、冷静さを保つ。

(ん??また、ヘリが旋回してる?)

 (何で旋回してるんだ??)

地上の風が強まったのか、中々「降下」の号令がかからない。

ヘリはまた旋回を始めてしまった・・・

 (はぁぁぁぁ・・・、マジか。。。)

 (;´д`)トホホ…

そのまま15分くらい経過。

旋回のときのヘリの傾きとヘリの揺れで、何度も降下扉から落ちそうになる。 

(一体、どうなってるんだ?)

(もうマジで限界・・・)

(いつまで待たせるんだ?)

(頼むから、早くしてくれ〜)

自分の体重くらいある重い荷物を背負って、不安定なヘリの中で『自動策』と呼ばれる落下傘と航空機繋ぐ紐を持つ左手を挙げてのしばらくの待機。

肩と腰に負担がかかり、とてつもなく苦しい。

そして、落下傘の自動索を持っている側には小銃を縛り付けているので、血流が悪くなり痺れて腕の感覚が無くなってきた。

更にはエンジンに匂い、暑さ、荷物の重さ、寝不足、航空機の旋回で航空機酔い。

食道の辺りまで“ブツ”が来ている・・・

(やばい、本当に吐きそう!)

(本当にもう限界・・・)

(どこでもいいから、今すぐに落としてくれ〜)

イライラはMAX。

降下する時の恐怖心よりも、早く航空機の中から出たいという気持ちのほうが強かった。

そして、悲願の空挺降下

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(陸上自衛隊第1空挺団公式HPより引用)

やっと、降下ランプが青に変わり『降下』号令がかかった。

(解放されたぁぁぁー!)

今にも吐きそうな状態で、中隊長に引き続いて飛び出した。

落下傘は異常なく開傘し、長時間機内で苦しんだ分、降下中の景色は抜群に綺麗に感じた。

降下後、傘集積場まで落下傘の主傘と予備傘を運ばなければならない。

自分の荷物と合わせると60kg以上ある荷物を担いで、集積場まで運ぶ。

そのため、できるだけ傘集積場近くに降下したいが・・・ 

思ったより風が強く、風に流され、どんどん落下傘集積場から遠ざかってしまう。

しかも、傘集積場までは上り坂。

(これ、落下傘集積場に行くまでに死ぬな・・・)

そう思いながら、上空50m地点で、背嚢(作戦間の自分の荷物が入ったバックパック)を切り離す。

今度は着地に集中する。

怪我をしないように、傘を操縦して少しでも安全な場所に着地したい。

でも、不思議なことに、「あそこには絶対に着地したくない!」と思ったところにどんどん進んでいく。

「あーー!」

ドカッ!!

運悪く、地隙に激突してしまった。

頭を強打して、衝撃を殺すための着地時の『5点着地』ができなかった。

(足は大丈夫か??)

着地するや否や、風速が早いために風で落下傘が飛ばされて、体ごと落下傘ごと引きづられてしまう。

 (でも、怪我は無さそう。)

急いで起き上がり、風上に周り込んで落下傘を畳む。

(はぁ・・・)

(結構、傘集積場から離れてしまった・・・)

60kgの荷物を背負って、ぜーぜー言いながら500mから600mくらい走って、登った。

これだけで、かなり体力を消耗してしまった。

 

全員が降下を終えて、集結地に集結完了。

降下するのが久しぶりだった上級陸曹が1名足を捻挫で負傷してそのまま後送されてしまったが、それ以外の隊員は、異状なし。

空挺降下の場合降下での少しの損耗は考慮に入れているので、それが1名だけで良かった。

そして、悲劇はまだまだ続く

中隊の降下完了を団本部に報告した後、団本部からの無線が入った。

「米軍の物料投下訓練のため、1500にLD※を通過せよ。」

※ Line of Departure(出発点)

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(陸上自衛隊第1空挺団公式HPより引用)

実は、東富士演習場を含めて日本の演習場の使用は米軍の訓練が最優先される。

陸上自衛隊にとって1年くらい前から計画されている大切な訓練検閲であっても、突如入ってきた米軍の訓練が優先させてしまうのだ。

それに、物料投下となると投下地域に人員がいたら危険、かつ風向によりどこに落ちるかわからないため、演習場地域の大部分が使用制限を受けてしまう。

時計を確認すると、現在時刻、11:00頃。

(えっ!? これから4時間も待機???)

8月下旬の灼熱の太陽が降り注ぐ東富士演習場。

集結地域は、草が刈り取られていて、ほとんど日陰がない状態

そのため、真夏の直射日光を浴び続ける。 

(こんな日陰もないところで、4時間近くも待機するのか・・・)

重い鉄帽を被り、暑苦しい迷彩服も着ている。暑さで鉄帽の中が蒸れて、頭皮から汗がダラダラ吹き出てくる。当然、迷彩服は、すごい量の汗で色が変わっていた。

それに、顔にはドーランを塗っていたので、汗でドーランが垂れてきて、汚水が目の中に入って目が痛い。

顔面に分厚く塗っているため、新陳代謝が阻害されるため、唇が乾き、喉も渇く。

ドーラン ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

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(陸上自衛隊公式HPより引用)

警戒態勢をとりながら、灼熱の演習場のなかで出発までの間、待機し続けた。

暑さのため、汗が滝のように流れていく。

そして、大切な水がどんどん消費されていく・・・

真夏の100km行軍のために準備した水がどんどん減少していく・・・

(あぁ、地獄・・・)

そして、水が少なくなったこれからの100km行軍はもっと地獄・・・

さすがにこんな事態は予測していなかった。 

枯れ草を積み重ねて、少しでも日陰を作り耐え忍んだ。

待機している間、作戦準備間に寝ていなかったこともあり、こんなに暑い状況でも眠くなった。 

米軍の物料投下が終わるまでは、訓練統裁部も何もできないだろう。 

訓練中なのに辺りは静かで、枯れ草が風でカサカサ音を立てている。

それが更に眠気を誘った。

猛暑の中、草むらの中で眠りについた・・・ 

1時間後。

「はっ!?」

検閲中なので、流石に熟睡はできず、眠りは浅かった。というよりは、暑さで目が覚めた。

時計を見たら、14:00くらい。

(良かった、寝過ごしていない。)

幸いにも100km行軍前に1時間ちょっとの睡眠時間を確保することができた。

これだけの睡眠でもかなり頭の中がスッキリした。

出発まであと1時間弱くらい余裕があったので、睡眠中に汗となって出てしまった水分と塩分を補給し、汗で流れてしまったドーランを塗り直して行進準備を整えた。

当初の計画よりも大幅に行軍のスタートが遅れてしまった。

隊員たちも含めて、事前に用意した水も確実に減ってしまっている・・・

幸先の悪い訓練検閲となってしまった。

そして、このような状態になってしまった以上、これから先、再び地獄が待ち受けていることは容易に予測できた・・・

正に、『負のスパイラル』に陥っていました。

そして、この後もその嫌な予想が的中し、とんでもない波乱が待ち受けていました。

 次回につづく。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

今日も皆様にとって良い一日となりますように!

元国防男子 Mr.K


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