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<陸自幹部の第1空挺団勤務記録> その10 |2度目の空挺団訓練検閲 出撃準備でまたまた大失態→中隊長ブチギレ

こんにちは。

元・国防男子のMr.Kです。 

今回は、僕が空挺団で経験した2度目の訓練検閲の『出撃準備』に関する記事を書きます。

『出撃準備』とは、空挺団の作戦が開始されるまでの作戦に向けた諸々の準備のことです。具体的には、訓練のためのシナリオを受領して、それに関して部隊の任務分析をして、作戦計画や部隊の行動命令を作成したりします。加えて、空挺作戦に必要な降下前の訓練や物量梱包と呼ばれる車両や補給品を梱包する実働を伴う訓練などを行います。

出撃準備中に計画を作成中、意識がなくなりそうなくらい、とんでもない悲劇が起こってしまいました。

前回の記事を見ていない人は、前回の記事を是非読んでくださいね。

いざ、空挺作戦へ向けて

訓練検閲のため、空挺団本部から訓練のシナリオを受領し、空挺団としての作戦計画が示達されて、作戦準備期間は5日程度。この5日間で、作戦計画や命令を作成したり、作戦のための訓練を準備する。

依然、中隊に幹部は、中隊長と僕の2名しかいなかった。

特殊な部隊なため、なかなか補充の幹部がないのだ。

幹部2名だけで訓練検閲に臨むとなると、正直かなりきつかった。

流石に中隊長に色々とお願いすることもできなかったので、中隊長から指針を貰い、中隊の作戦計画の策定や出撃準備間の訓練等の統制は、すべて僕がやらなければならなかった。

降下前訓練

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(陸上自衛隊公式HPより引用)

訓練検閲前に、落下傘降下ができなくなった場合に備えて「リペリング」のための訓練を駐屯地内のリペリング訓練場で実施した。

『リペリング』とはロープを使用してヘリや高所から卸下する技術のこと。

落下傘降下は、雲高や降下地域の風量に大きく影響を受け、状況によっては降下できなくなってしまうので、その代替手段としてリペリング降下を行う。 

写真のような空身ではなく、荷物を背負ってからのリペリング降下となるため難しい。

僕は今回が初めてのリペリング訓練だったので、『座席』の作り方から教えてもらわなければならなかった。

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(出典:https://blog.goo.ne.jp/tono-1122/c/6e3f45bdedded93fa653b6073c1a033e)

もちろん、実機からのリペリングはやったことがなかった。

忙しい作戦準備間に新しいことを覚えなければならなかったことはとてもストレスフルなことだった。

訓練の結果、

駐屯地のリペリング訓練場での卸下は何とかできるようになったが・・・

結局、ヘリからのリペリングは経験することなく、本番を迎えることになった。

たった数時間の訓練のみで、訓練検閲でいきなり実機からのリペリングはハードルが高すぎる。

訓練検閲で、落下傘降下ができることを祈った。

車両等の重物料梱包

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(陸上自衛隊公式HPより引用)

空挺作戦においては、空挺降下後の戦力化のために車両や補給品等の重物料を梱包し、落下傘を装着して、航空機から投下する。

地上にいる部隊は、その車両や補給品を回収して部隊の戦力化をするのだ。

前回の訓練検閲は、着隊したばかりということもあり重物料梱包に関する知識はゼロ。検閲準備の重物料梱包でもノータッチだった。

しかし、今回の訓練検閲では、以前に『降下長課程』を卒業して重物料梱包に関する知識も持っていたので、この検閲課目にも参加した。

中隊が保有している数種類の車両や補給品の梱包をして、空挺団で定められている時間内に梱包できるか、正しい梱包要領で梱包できているかを点検される。

当日は、空挺団後方支援隊の重物料梱包を専門にする隊員たちの立会のもと、それぞれの梱包物毎に班長を定め、定められた人数で梱包をしていく。

隊員たちには本番までに、何度か梱包の訓練計画して納得できるまで訓練をさせて臨んだ。

幹部だった僕は、全体の梱包を統制する役目なので直接梱包作業には携わらない。

だが、隊員たちの重物料梱包は、素晴らしい練度!

素早く、正確にどんどん物料が梱包されていく。

余裕で制限時間内に完了し、梱包要領もほぼ完璧の出来。

課目の評価は検閲が終わってからでなければわからないが、

中隊にとって幸先の良いスタートだった。

以前の記事でも紹介したが、『重物料梱包』はかなり複雑・・・

そして、梱包物毎に梱包要領が異なっている。

写真を見てもらえばわかるが、色々な種類の紐があり、それぞれの結び方や結ぶ位置が決まっている。

間違えたら、航空機もろとも墜落か、投下した装備品が破損する恐れがある。

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救急法検定

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(出典:https://togetter.com/li/950027)

陸上自衛隊には、『救急法検定』というものがある。

作戦中、自分もしくは仲間が負傷した場合の止血動作等の応急処置を速やかにする必要がある。

これは、全員ができなければならない基本的動作なので全隊員が1回/年実施することが義務付けられている。

部隊では、訓練検閲に合わせて実施するところが多い。 

検閲中には、この動作がしっかりできるかを確認するため、「負傷」の状況付与もされる。この状況を与えられた隊員、もしくは近傍にいる隊員は、負傷部位に対して必要な処置を実施する。

訓練検閲では、そのような場合の対処要領についても評価されるのだ。

中隊作戦計画の作成、空挺団長への報告
これが僕にとって検閲準備の中で一番きつかった。

幹部自衛官にとって、この計画作成が一番の力の入れどころ。

空挺団の全般作戦計画から中隊の任務を分析し、中隊の作戦間の計画を作成するのだが、あらゆる不測事態を想定して部隊が動けるように計画を作成し、隊員たちに徹底する。

しかも、計画作成できる幹部は僕しかいなかったので、一人での作業。

中隊作戦計画を隊員たちへ徹底するためのプレゼンテーション、

中隊長が団長へ報告するためのプレゼンテーションを作成する。

そして、プレゼンだけでなく「文書」の作戦計画も作成する。

この計画だけでなく、作戦準備間の訓練にも参加しなければならない。

計画作成ができるのは、実質夜中しかない・・・

このため、作戦準備間は毎日2時間睡眠。

もう一人だけでも幹部がいてくれれば・・・

何度もそう思ったが、これが現実。

やるしかない。

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(出典:Neverまとめより引用)

そして、次の日に空挺団長への計画報告と隊員への計画示達が迫っていた夜のこと。

まだ、報告のプレゼン資料が出来上がっていないことに中隊長も痺れを切らしていた。

中隊長も部隊に宿泊してくれて、出来上がるのを待ってくれた。

必ず間に合わせなければ・・・と思いながらパソコンに向かう。

ここ数日は、毎日2時間睡眠で殆ど寝ていない。

でも、焦りでアドレナリンが出て不思議と眠くはならなかった。

すると、夜の10時ごろ。

心配をしてくれたある中級陸曹が中隊の幹部室に入ってきた。

彼は駐屯地外に住んでいて、僕が空挺団に着隊したときの小隊陸曹として僕を支えてくれた隊員。

十年くらい前に他部隊から異動して来て、部隊レンジャーの教官を経験し、『自由降下』の資格も持っている。

他の隊員からの信頼もかなり厚い。 

「小隊長、最近寝てないっしょ?大丈夫すか?」

そして、ニヤニヤしながら、

「小隊長、これ飲んで頑張ってください。」

と言いながら、缶ビールの6本入を手渡してくれた。

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(出典:アマゾンHP)

駐屯地内では飲酒ができない規則になっているので、

(えっ、ビール??)と思ったが、

ありがたい!!!

わざわざこんな夜遅くにビールを買って、励ましに来てくれたことに感謝した。 

彼は、他の隊員からすごく慕われていた。

なぜなら、こういう思いやりある行動ができ、人間的にとても魅力のある隊員だったから。彼に対する悪口は、一度たりとも聞いたことがない。

年齢は40歳を超えていたが、体力、筋力バリバリ。

人付き合いがものすごく上手で、仲間や自分の周りにいる人を大切にできる人。

彼の周りの人はいつも笑顔。

そして、前中隊長が亡くなって僕が幹部一人で奮闘していたときにも、

僕の大変さを理解してくれてか、中級・初級陸曹や陸士隊員たちを集め、

「今の中隊の状況わかるよな?」

「これから、K2尉の言うことには一切文句をいうなよ。文句を言わずにやれ!」

「文句を言っているのを聞いたら、俺がぶっ飛ばすからな。」と。

偶然その言葉を耳にした僕は、感激してしまった。

 (ちゃんと見てくれてたんだ・・・)

これを期に、着隊して数ヶ月の僕はかなり仕事がやりやすくなった。

隊員たちの僕に対する接し方もかなり変化した。

そして、この検閲準備で大変なときにも、彼のこの行動には勇気づけられ原動力となった。

こんなちょっとの心遣いで、人間って頑張れるんですよね。

リーダーシップに大切なことをこの隊員から学びました。 

とは言っても、

睡眠不足のためなかなか作業が捗らない。

中隊長は中隊長室で仮眠をとっていたが、なかなか出来上がらないことに苛立っていた。

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中隊長は、午前2時頃、状況を確認するために起きてきた。

「おい、K、まだ終わらないのか?」

「お前、どういう時間計画でやってんだよ!間に合うのかよ!」

「報告までには間に合わせます!」 

「何でもっと早くから準備をしなかったんだ?」

「こうなるのはわかってただろう?」

「はい。僕の時間見積もりが甘かったです。すみません・・・」

午前2時くらいから1時間くらいずっと説教を受け続けた。

(「何で、こんなときに説教するんだよ!だったら、少しでも手伝ってくれよ。こっちは全て一人でやってんだよ!」)

心の中で思った。

その非建設的な説教を受けている時間が勿体無い。

過去のことをウダウダ言われても、現状が改善するわけではない。
それより、まずは数時間後に迫っている団長報告へ向けての準備が先決。

失礼だと思いながらも、キーボードを打ちながら話半分に聞いていた。

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そして夜が明け、朝6時半頃。隊員たちがどんどん出勤してきた。 

何とか、団長報告や隊員への作戦計画示達に間に合うかのところ。

そんな時、ここにきて最大の悲劇が起こった。

パソコンがまさかのフリーズ・・・ 

「えっ、どういうこと?なぜ、今??」

 工エエェェ(´д`)ェェエエ工 

「えっと、どこまで保存をしてたっけ?」

かなり焦る・・・

心臓は、飛び出しそうなくらいバクバク鼓動している・・・

頭の中はパニック状態

それにしても、凄まじい破壊力

意識が遠くなった・・・

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(出典:https://www.relation-irago.com)

((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

(頼む!自動補修しててくれ〜)これまでにないくらい、神様に祈った。

そんな祈りも虚しく・・・

昨夜の10時頃以降にやった作業はすべてぶっ飛んでいた!

Σヽ(`д´;)ノ うおおおお!

怒り、悲しみ、焦燥感、絶望感、色々な思いが爆発しそうになった。

あぁ、神様はなんて非情なんだ!!こんな時に最大の試練を与えるとは・・・

 ((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

団長報告まで、あと2時間しかない!どうする!?

急いで中隊長にこのことを報告すると、 

「何やってんだ!もう一度しっかり確認しろ!」と怒鳴られた。

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もう一度確認しても、やっぱりパソコン上の履歴には残っていなかった。

流石に団長への報告時間を遅らせてもらうことはできないので、

とりあえず、団長へ説明できるようにポンチ絵だけ仕上げることにした。

あとは、中隊長にポンチ絵を使ってわかりやすく説明してもらうしかない。

報告まで使える時間は、資料の印刷時間を除くと約1時間半

これまでにないくらい、そして、1週間ほぼ徹夜と思えないくらい猛烈な集中力でガシガシと資料を作成していく。

プレゼン資料は一度作成していたので頭には入っていた。

あとは、説明に必要な最低限の情報を打ち込んでいくだけ。

団長への報告まであと15分・・・

何とか説明できるだけのプレゼンテーション資料を作成できた。

急いで資料を印刷し、データを団本部に送信。

あとは、陸曹たちに準備をしてもらう。

作戦計画のWord文書だけでも200ページ以上はあった。

中隊のコピー機、事務所のプリンターはフル稼働。

そして、僕は、中隊長に団長への報告のポイントを説明する。

文書の「中隊作戦計画」とそのプレゼンテーションを印刷して何とか団長報告に間に合わせることができた。

(ふぅ〜、なんとか乗り切った・・・) 

中隊の隊員への中隊作戦計画の示達(じたつ)は、流石に修正が間に合わなかったので2時間遅らせて、何とか計画示達まで終わらせることができた。

隊容検査

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(出典:https://twitter.com/hashtag/%E9%9A%8A%E5%AE%B9%E6%A4%9C%E6%9F%BB)

そして、最後は隊容(たいよう)検査。

隊容検査とは、物心両面において作戦できる態勢ができているかを点検するもの。

部隊の長である中隊長が、

物品の点検や器材の動作確認や隊員達の持ち物、作戦の内容に関する知識を隊員たちに細かくチェックする。

そして、できていない事項は是正させて訓練に臨む。

光るものには、全て遮光する。

例えば、ペットボトルには黒色の靴下を被せたり、黒色のテープでペットボトルを巻いたりして、光が反射しないようにする。

そして、防水処置。

雨が降ったら背嚢の中まで濡れてしまう。

濡れたら荷物が重くなるし細菌が繁殖して衛生的にも良くないため、下着類も含めて黒っぽいシップロックに入れて防水をする。

隊容検査は、最後に中隊長が本作戦についての訓示を述べて終了する。

ここで、空挺作戦の出撃準備は終了する。

作戦開始前なのに、すでに体はボロボロ・・・

出撃準備間の5日間は、毎日2時間睡眠。そのうち1日は徹夜。

作戦準備だけでクタクタだった。

こんな疲弊した状態で、残暑の残る中の訓練検閲を乗り切れるだろうか?

準備が完了したら、休む間もなく翌日から訓練検閲がスタートする。

降下、2夜3日での100km行軍、その後1週間程度の防御作戦・・・

作戦間は、部隊の中心となって部隊を統制しなければならないため更に休めない。

自分はどこまでできるのだろうか?

正直、未知の世界・・・

ここまで寝不足で疲弊した状態で、空挺団の激烈な実働訓練に臨んだことはこれまでなかった。

しかし、どんなに疲弊していても、何とかやりきらなければならない。 

やっと自分の準備ができる・・・

そんな不安を抱えながら、次の日には航空機に搭乗するために航空科部隊が所在する千葉県の木更津駐屯地に前進しなければならない。

習志野駐屯地での作戦準備間は、家に帰れず自分の演習準備が全くできていなかったが、木更津駐屯地へ前進する前日、少しの時間だけ家に帰れることができた。

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(出典:http://www.kyoto-gekikara.com/976)

車で官舎の近くにあるショッピングモールへ行き100km行軍を乗り切るための食料を入手した。

あー、落ち着く・・・平和・・・

少しの間だけ戦場から離れて、現実逃避。

何度も行軍をしているので、自分に合った食料も決まっている。

部隊から支給される糧食は、持ち運ぶには重く、夏場の演習中には喉を通らないので、

パックの梅入りのおかゆ、カルパス、魚肉ソーセージ、塩味のポテトチップス、食塩の入った飴。

できるだけ軽いもので、すぐに食べられるものが良い。

僕の場合は、これだけあれば100km行軍は余裕を持って乗り切れる。

特に夏場は、大量に汗をかくので脱水症状になる危険性がある。

このため、塩分はできるだけ摂取するように心がける。

次の日は出発時刻が早く、疲労が蓄積していたため、もしものことを考えて部隊に戻って宿泊した。

航空機搭乗のために木更津駐屯地へ

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(出典:http://dualmoon.hatenablog.com/entry/2016/03/26/190208)


今回の空挺作戦は、木更津駐屯地でCH-47(チヌーク)に搭乗して、東京湾上空を越えてそのまま静岡の東富士演習場で降下をして作戦が始まる。 

木更津駐屯地内で降下前の訓練をして、体育館内で作戦開始前の最後の戦闘指導をする。 

『空挺隊員は、最後の一員になっても任務完遂に努めなければならない。』

空挺精神にもある通り、

例え陸士の隊員であっても最後まで任務を遂行できるように徹底的に作戦内容や不測事態対処等について理解させる。

8月下旬の猛暑での訓練検閲。様々な波乱が想定される。

その日は、木更津駐屯地の体育館での宿泊となった。もちろん、体育館には冷房、扇風機などない。

 それにしても、暑い・・・ ι(´Д`υ)アツィー

 そして、眠い・・・  (つд⊂)ゴシゴシ 

気休めに出発前に駐屯地の売店で栄養ドリンクを買って飲んだ。 

疲弊し、暑さで喉が渇ききっていた僕の体の細胞の一つ一つにエネルギーが染み渡る。

これまでの2年間、できる限りの訓練、準備はしてきた。

さあ、明日から出撃だ!

次回につづく。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

今日も皆様にとって良い一日となりますように!

元国防男子 Mr.K


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